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第三章 二人の冷戦編
54.王子は待ち構える【N side】▼
しおりを挟む朝7時過ぎの西部行きの列車は、悪天候のためか乗客も疎だった。
一日三本走るこの旅客車は王都から西部までを数時間掛けて移動する。大きなトランクケースを引っ張って歩く人々の間を擦り抜けるように進んだ。7両編成の列車の中、ロベスピエール兄妹の座席の位置は頭の中に入っている。
走って来た子供の群れを避けた。玩具の飛行機や車といった乗り物を手に持った小さな彼らは、明るい未来を信じて疑わないように大きな声で笑う。
コンクリートで出来たホームを蹴って、既に停車して乗客を待っていた列車へ乗った。
(乗り遅れずに来てくれたら良いが…)
オーギュスト・ベルナールに頼んだことは二つ。ロベスピエール兄妹の取った座席の確認と変更、そして車両の追加。通常6両で走るこの西部行きの列車に幻の7両目が追加されていることに、果たして友人は気付くのだろうか。
後方の座席に身を沈め、窓ガラス越しに外の景色を眺めた。その時、大きく音を上げて出発を報せる列車へ向かって金髪の男女が駆けてくるのが目に入った。手に持った切符に目を落として、女は前方の車両へ、男はこちらに向かって早歩きで近付いて来る。
二手に分かれるロベスピエール兄妹の姿を見て安心した。早朝であること、天気が大荒れしてくれたことも幸いして、乗客の少なさにも違和感を感じていないようだ。
重たい扉を横に引っ張って、男の方は数歩車内に足を進めた。
「ギリギリのご乗車、ありがとう」
「……!」
驚いたように目を見開いたまま固まるエレンとの距離を詰めると、警戒したように両手を胸の前で広げた。まさか、といった驚きの表情は期待通りで笑ってしまいそうになる。
「どうか逃げたりしないでほしいんだ。君の妹のためにも」
「お前…!カーラに手を出してみろ!」
「お前が俺にやったやり方だよ、文句は言うな」
「何が狙いだ?金か?それとも謝罪か?」
「金が狙いだなんて本気で言ってるなら相当頭が悪いよ」
そんなもの腐るほどある、と付け足すとエレンの拳がギュッと握られるのが分かった。
「話をしたいんだ、友人として」
「…友人?笑わせてくれるな!お前の周囲の人間が、お前のことを友人と思っているなんて本気で信じてるのか?馬鹿はそっちだよ、お前が王族だから俺たちは合わせてるんだ!」
「そうか。じゃあ儲け物だね、友情すら金で買える」
ニコニコ微笑むとエレンは腹立たしげに座席のシートを殴った。相当苛ついているのか、目には強い憎しみが宿っている。これ以上彼を怒らせるよりは、早めに本題に入った方が良さそうだ。
「さて…聞きたいことがある。お前が俺に吹っ掛けた冤罪の主張だけど、真相を話してくれないかな?」
「……屈辱的な話をさせるんだな」
「土下座までしたんだ。聞く権利はあるだろう?」
「っは、どうせお前の心に詫びる気持ちなんてない」
それはあまりにご明察なので黙っておいた。
「……五年前、南部に好きな女が居た。彼女は娼婦で、俺は身請けしたかったが金が無かった。駆け落ちしようとしたけれど断られたんだ。彼女、なんて言ったと思う?」
「………、」
「ノアだったら良かったのに、だって。貴方がノアだったら私はこんな惨めな思いをしないって、確かにそう言った」
エレン・ロベスピエールは二本の腕を広げて、訴え掛けるように語る。その目には悲壮感と有り余る怨念が浮かんでいた。
「それで殺したなら女が気の毒だ。完全に逆恨みだな」
「ああそうだ、お前にとっちゃそうだろう!だが、俺にとっては堪ったもんじゃない。お前と同じように遊び、同じように女を抱いた。どうして俺はお前になれないんだ…?」
窓の外では大粒の雨がガラスに叩き付けられては流れ落ちて行った。既に走り出した列車はどこかの田舎の風景の中を縫うように進んでい行く。
緑色の木々を眺めながら、かつてリゼッタが「年老いたら自然に囲まれた落ち着いた場所で暮らしたい」と言っていたことを思い出した。その時は、彼女の小さな願いを絶対に自分が叶えたいと思ったし、願わくば老いた時に隣に居るのは自分でありたいと強く思った。
そう、本当はずっと分かっていたこと。
彼女が良いのではなくて、彼女でなければいけない。
「ノア…お前のこと羨ましいよ」
「?」
「俺の悲痛な叫びを前にしても、お前は考え事が出来る。その余裕な態度がずっと目障りだったんだ…!」
エレンが振り上げたナイフが服を切り裂き上腕に食い込むのが分かった。咄嗟に急所は避けたものの、利き腕を取られては厳しいものがある。刃物を握ったその右手を掴んで押すと怯んで腰を引かれたので、勢いよく二人で通路へ転がった。
万が一に備えて用意していた小型のナイフは命を狙うには向いていないものの、手首ぐらいなら切り落とせそうだ。エレンの右手に振り下ろすと、痛みからか大きな声が上がった。
自分たちの居る車両に邪魔が入っては困るので、解放された右腕でその口元を塞ぎつつ、痛がる様子を伺う。
「エレン、根比べをしよう。お前に刺されたこの腕と、俺が今から落とすお前の右手。どっちが痛いかな?」
揺れる瞳の中には確かな恐怖があった。
彼女に誓った不殺の約束は頭の中で警報のように鳴る。
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