Réglage 【レグラージュ】

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ブリュートナー 『クイーン・ヴィクトリア』

107話

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「そんな、馬鹿な!」

 無理だ。音を聴いただけで、そのピアノの、鍵盤の状態を知ることなんて。ましてやそれを再現するなど、神業、いや、悪魔と言ってもいい。背筋が凍り、目線をユーリは母からサロメに変えた。そんな、馬鹿な……!

「そう思うのも無理はありません。私も半信半疑です。ですが、彼女ができる、と言ってくれたので、私はそれを信じるだけ。調律師との信頼関係とは、こういうものです」

 きっと彼女達なら、なんの心配もなく仕上げてくれるはず。ヴェロニカは最後の時が近づいてくるにつれ、悲しさがワクワクに変わる。信頼している。でも、そんなことはもう、どうでもいいのかもしれない。だって、自分は——。

「よし、終わり! 疲れたー、ヴァン・ショーある?」

 しばらくして調律が終わり、その場に倒れ込んでサロメはくつろぐ。そしてワインを要求。昨夜からハマりだしたかもしれない。

「……化け物め」

 一緒に調律をこなしていたランベールは、そのサロメのスピードと正確性に改めて恐怖すら感じた。

 ピアノを合わせる、といっても二台を全く同じ調律にする、というのはできない。音が濁らないように、重ね合うように、より響くように『あえて』ズラすのだ。それは針の穴を通すようなピンポイント。少しのミスも許されない。

 それを苦にせず、平然とやってのける。それもサイズ違い。そして弦の本数も、アリコートシステムのおかげで多い。それを普通のユニゾンと同じくらいの時間で。それでも、音が抜群に溶け合う。はっきり言って、意味がわからない。もしこの調律が録画してあって、再度見返しても同じ感想だろう。

「さぁ……次は私達の番です」

 調律が終わり、あとは弾くだけ。決意するヴェロニカ。そして、失意のドン底にいるかのようなユーリ。

 その息子の態度に、疲れきっていたはずのサロメが憤慨する。

「ちょっと。あたしらがせっかく調律したんですけどー?」

 もっと見所のある男だと思っていたが、どうやら見込み違いだったみたいだ、と聞こえるように悪口を言う。

 しかし、それに対しても、ユーリはチラッと見るだけで感情が動かない。

「……頼んでいない」

「あぁ!?」

 ドスの効いた声で、サロメは俯く青年に襲いかか……ろうとしたが、途端にどうでもよくなった。自分の仕事はここまで。あとは本人次第。調律師の仕事ではない。

「……あー、終わった。帰ろ帰ろ。はい、ランちゃん帰るよー。あとは知らない」

 立ち上がると埃を叩き、道具をしまう。二日間かけた大騒動ではあったが、終わる時はキビキビと。ささっと退散するに限る。お腹空いたし。
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