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29.種の繁栄
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突然、アスタはお腹に違和感を覚え飛び起きた。
そこはアスタが本来暮らしていた海の洞窟で、光貝で飾られた柔らかな舌珊瑚の上だった。
心地良い寝床からふわりと下りたアスタは、まじない屋のカートスのところへ急いだ。
「カートス!大変なの。お腹がおかしいの!」
陸から離れ、もうどれだけの月日が経ったかわからない。
話し相手はカートスだけであり、まじない屋に通う以外は海の中を漂うばかりの日常だ。
それでもなんとか元気を取り戻してきたアスタは、また王を探しにいくため、カートスにまじないをかけてもらうことになっていた。
しかしその時は、今度こそダヤを諦めなければならない。
そこまでの覚悟はまだ定まらず、アスタはその日を無為に引き延ばしていた。
澄んだ海の中をすいすい泳ぎ、カートスのまじない屋に飛び込んだアスタは、薄暗い洞窟の中で目を光らせた。
「カートス?」
そこは陸に近く、入り口は海面からの光が届くほど浅い場所にある。
海藻も豊富にあってゆらゆらとカーテンのように揺れている。
いつの間にか花珊瑚が赤い花を咲かせ、黄色い卵を産んでいた。
それをうらやましそうに睨み、アスタは棚の並ぶ店内にするりと飛び込んだ。
いつものランプに灯りは無く、カートスの姿も見当たらない。
しかも棚は空っぽだった。
作業用のテーブルも消えている。
店の奥に向かってみると、洞窟は少し狭まり、上に向かって続いていた。
陸にいるのかもしれないと考え、アスタは暗い洞窟内を泳いで登っていく。
海底を覆うごつごつした岩は次第に形を変え、いつのまにか尾ひれが触れるとさらさら崩れる砂に変わった。
ついに水面に到達すると、アスタは波にのって砂浜に腹ばいになっていた。
そこはまだ洞窟の中で、岩で出来た高い天井の下だった。
壁のいたるところにひび割れがあるらしく、糸のように細い光の線が、暗い洞窟内に幾筋も差し込んでいる。
前方に、それよりもずっと強い光が見えた。
そこから外の風が吹き込んでくる。
アスタは波打ち際で仰向けになり、波に揺られながら光を散りばめた天井を見た。
背中の下で砂がさらさらと崩れ、波と共に戻ってくる。
ちゃぷちゃぷと耳元で聞こえる水音も楽しく、アスタは尾ひれで水面をぴしゃぴしゃと叩いた。
それは上に向かって泳いでいるような状態になり、波にのってあっという間に陸に打ち上げられてしまう。
気づけば、尾ひれは二本の足に変わっていた。
素足を引き寄せ膝を抱える。
指先の間をさらさらと砂が滑り落ちていく。
波と共に砂がまた押し寄せ、足を隠してしまうが、また波にさらわれさらさらと消えていく。
その様子をじっと見ていたアスタは、ようやく本来の目的を思い出した。
強い光が差してくる方を振り返り、声をあげる。
「カートス!カートス、いるの?」
その声は魔力を帯びており、人を魅了し呼び寄せる。
澄んだ響きが洞窟内にこだまし、吹き込んだ風にさらわれる。
「カートス!」
その声で呼ばれ、逆らえる雄はそう多くない。
「カートス!」
立ち上がって歩き出したアスタは、眩しすぎる太陽の光を恐れて足を止め、再び上を見た。
天井や壁に出来た小さなひび割れに、外からの光が入り込み、金色に光っている。
その無数の輝きは、まるで満天の星の中にいるような気分にさせられ、陸の記憶を呼び覚ます。
その瞬く光ばかりを見ていれば、外の世界は美しいように思えるが、実際は恐ろしいものばかりだ。
地面に届くほどの長い髪が、さらりと砂の上に落ち、波と共に後ろにひっぱられる。
前に進む気にはなれず、再び薄暗い海の方を向く。
波が届くぎりぎりのところまで引き返し、またそこに座り込む。
足を水に浸し、膝を抱えると、アスタは甘い声で歌いだした。
それは、誰に教えられることもなく、生まれながらにマーリーヴァランが知っている歌だった。
まだマーリーヴァランが人を食べていた時代、船乗りたちはこの歌に誘われて海に飛びこんだ。
先祖たちはその体を捕まえ、貪り喰い、血をすすり、飢えを満たしたのだ。
それなのに、人間に近い姿に進化を続ける過程で、いつしか人は餌ではなくなった。
本来は、人間を油断させるための進化だったはずなのに、種族の壁を越え、愛し合い語り合うようになったのだ。
マーリーヴァランたちは、陸に戻っていく恋人の背中を追いかけたいと考え始め、海で培った能力のほとんどを捨てることになった。
そんなマーリーヴァランの愛の記憶に想いを馳せていたアスタは、いつの間にか、自分の見つけた愛の記憶を思い出していた。
それはまだ最近の記憶であり、先祖の記憶よりもずっと鮮明だった。
「ダヤ……」
次の王を探しにいくことになれば、今もっている記憶を捨てなければならない。
人生を最初から始め、少しずつ思い出していくように記憶を取り戻す必要があるからだ。
それでも、ダヤの記憶はもう不要とされてしまう。
いつか忘れてしまう名前なら、今のうちにいっぱい声に出しておきたい。
そんな気持ちに駆られ、アスタは愛しいその名前を口に出した。
「ダヤ、ダヤ、ダヤ……」
「アスタ!」
突然聞こえたその声に、アスタは怪訝な顔をした。
記憶の中のダヤの声だろうかと首を傾ける。
「ダヤ?」
「アスタ!」
今度の声は、さっきよりも近く、そして強く耳に届いた。
くるりと後ろを振り返る。
光あふれる洞窟の出口に、黒い人影が立っている。
背後の光のせいで、顔は陰になっていて見えない。
「カートス?」
天井からこぼれ落ちるかすかな光の中、人影が近づいてくる。
それは、あまりにも見事な体格の男だった。
浅黒い肌に獣のような鋭い目、それから大きくごつい手が固く握られている。
夢だろうかとアスタは思った。
だからいつもいる場所に、カートスがいなかったのだ。
記憶の中の思い出を、夢で見ているだけなのかもしれない。
そうでなければ、こんなことが起こるわけがない。
「アスタなのか?」
びくんと体が跳ね、アスタの足が尾ひれに変わった。
するりと水の中に飛び込み、アスタは海底にむかって泳いで逃げる。
ところが、水が不自然な力で一気に陸に向かって引き寄せられた。
それは水の王の力であり、アスタには逆らえない。
ざぶざぶと水を跳ね上げ男が迫る。
太い腕があっという間にアスタの体を捕まえ、軽々と持ち上げた。
尾ひれをばたつかせるアスタを横抱きにし、砂浜を登っていく。
波が届かないところまで来て足を止め、男はアスタをそっと砂の上に下ろした。
アスタを仰向けにして押さえ込み、その顔を上から覗き込む。
「アスタ?」
その声は幻聴とはもはや思えないほど、すぐ傍にあった。
アスタは目を瞬かせ、それが本物であるか確かめようとした。
会った時は、まだ若く燃えるような命の輝きがあったが、今は眉間に深い皺を刻み、その表情には拭いきれない影がある。
穏やかな微笑みも、蕩けるような優しい声音も、それからアスタにだけ向けられていた熱を帯びた強い眼差しも、全てが波にさらわれる砂のようにどこかに消えてしまった。
男が何とも言えない表情で、アスタの答えを待っている。
ダヤにはわからないのだ。
もう水の民のような姿ではない。
本来のアスタは水色の髪をしたマーリーヴァランという名前の魔物で、耳は尖っているし鱗もある。
下半身もまだ魚のままだし、目も人間より大きく、暗くなると光ってしまう。
ダヤはさらにアスタの体を上にひっぱりあげ、完全に乾いた砂の上に移動した。
アスタの尾ひれがごく自然に、二本の足に変化する。
「アスタ?」
ダヤの大きな手がアスタの胸に触れた。
まだ誰も触れたことのないその白い胸には、小さな宝石を繋ぎ合わせて作った首飾りがかかっている。
それを指でどかし、ダヤはその胸に唇を押し付けた。
その瞬間、アスタのお腹にあった不思議な違和感が膨れ上がった。
体の奥底から突き上げてくるような衝動に任せ、アスタは甘く声を上げた。
ダヤは確信を持ったように、今出来たばかりのアスタの足を持ち上げ、その間に腰を押し込んだ。
この体で生殖行為をするのは初めてであり、アスタもやり方がわからない。
それなのに、アスタの上にいる男は十分理解している様子で、焼けるような熱い肉を押し付けてくる
「あああっ……!」
体の一部がちゃんと裂け、痛みが襲ってきた。
肉の塊が膜を突き破り、さらにまだ誰のものも受け入れたことがない狭い膣内を押し広げる。
体を埋め尽くすような強烈な圧迫感に、アスタは背中を逸らし苦しそうに喘いだ。
同時に、違和感のあった下腹部から命の声がはっきりと聞こえてきた。
それは実際の音ではなく体の内側から迸る、原始的な生誕の声だ。
「ダヤ……私の王……」
ついに使命を果たした喜びに震え、アスタは下からダヤの首を抱きしめた。
「アスタ……。アスタ……俺の……俺だけのアスタ……」
アスタの姿がいかに変わろうと、ダヤには関係なかった。
腕の中にアスタがいるのだと思うと、それだけで心が満たされた。
腰を深く沈め、アスタの体を抱きしめる。
「私の王……私が見つけた……。うれしい……」
まだ男を知らなかったアスタの体は、初めて受け入れた男の種を貪欲に貪った。
「ダヤ……」
血に染まった下半身をすりつけ、アスタはやっと微笑んだ。
二人は砂の上を抱き合って転がり、ダヤは何度も雄の楔をアスタの中に打ち込んだ。
鮮血に染まった砂は波で洗われ、水面が赤く染まっていく。
「アスタ……愛している。聞いて欲しかった。君を連れていけなかった理由を。
俺は……砂の国を離れてから一度も、誰とも寝ていない。誰ともこんな風に愛し合ったことはない。
本当だ。一生君一人を愛し抜くつもりだった。
君が、パール国の王妃として生き抜いた後に、君を引き取ろうと考えていた。
ハカスが君に興味を失った時にすぐに引き取れる位置にいたかった。
だから、パール国と良好な関係を保つために形ばかりの王妃を置いた。ハカスを油断させるためだ。信じて欲しい。アスタ……俺の心も体も君だけのものだ」
砂の中でアスタを腕に閉じ込め、ダヤは熱く囁いた。
アスタの宝石が埋め込まれた尖った耳を舐め、銀色に光る鱗の上に唇を押し付ける。
人の姿に化けることもアスタの能力のうちの一つであり、気づけばダヤの腕の中でアスタは完全な人の姿に変わっていた。
出会った時と同じ体ではなかったが、ダヤは懐かしそうにアスタの顔を見下ろし、その頬を優しく抱いた。
「アスタ……君だと言ってくれ」
「違っていたらどうするつもりなの?ダヤ……」
懐かしいアスタの声に、ダヤはうっとりと耳を澄ませた。
「アスタ……君を取り戻したかった。俺の子を産んでくれ」
「もちろん……。私はそのために生まれたの。私は自分で選んだ王の子供を産むの。海ではもう見つけられなかったから……陸に探しに行ったの」
砂に横たわるアスタの姿を、ダヤはじっくり観察した。
晴れ渡る空のような、鮮やかな水色の髪に、太陽の光を集めたような金色の瞳、透けるような肌の白さはかわらないが、耳は少しとがっている。
華奢な体に不似合いな豊かな胸は柔らかく手に沈み込む。
「すごくきれいだ……。これが本来の君の姿なのか?本当に?まるで出会った時の君だ。まだ少女のようだ……」
「こっちの体はまだ成長しきっていないの。繁殖が可能な年齢になってすぐにまじない屋のカートスが体を保存してくれたの。それから、陸に適応した新しい体をもらって水の民として生き始めた。
あなたと会った時には、アスタとしての人生の記憶しかなかったけれど、今は海で暮らしていた頃の記憶も全部ある。
あなたに会うまでに、たくさん失敗したの。長い年月をかけて、ようやくあなたを見つけた。
……この体は、あなたの子供を産むために、ずっと大切にとっておいたの」
たった一人の王のために、最後のマーリーヴァランの体は大切に保管されていたのだ。
「私は野生種だから、たくさん生まれると思う」
砂の上で肘をついて横になったダヤは、仰向けに寝ているアスタの顔を眺めながら頬や喉、胸から腰にかけて優しく触れた。
まだぺちゃんこのお腹から、少し前まで鱗で覆われていた腰の下に手を滑らせる。
まるで少女のように毛のないそこには、ちゃんと人のような生殖器がついている。
ダヤは身を乗り出し、アスタの両足を開くと、こじ開けられたばかりの秘められた入り口に指を這わせた。
「乱暴だったな……痛むか?」
「もう一度して……」
すぐにダヤはアスタの言葉に従った。
覆いかぶさり、細い足を持ち上げる。
豊かな胸に片手を沈め、その感触を楽しみながら、雄の楔を傷ついた泉に慎重に沈める。
アスタの恍惚とした声に励まされ、さらに深く腰を押し込んだ。
「んっ……」
上に逃れようとするアスタを捕まえ、雄の本能に従い体を大きく動かし、やがて種を吐きだす。
同族の数が減り、マーリーヴァランの生殖器も多様な種族に対応できるよう変化している。
砂地にまた鮮血が流れ、波に洗われ水面が薄紅色に染まる。
まだ抱き足りないダヤは、アスタに痛みがないか確かめるように体を離し、足の間を見ようとした。
びくりと腰が跳ね、強く波打つようにアスタの身体が動いた。
「アスタ!」
またアスタを失うのではないかという恐怖に駆られ、ダヤはアスタの体を抱き上げた。
いつの間にか、アスタの下半身が魚に変わっている。
「ダヤ……卵が生まれそう」
「え?!」
突然のことにダヤは言葉に詰まり、目を白黒させる。
「大丈夫……」
やり方を教わったわけではなかったが、アスタはなぜかその方法を知っていた。
吸い寄せられるように波が上がってきた。
魚になった下半身が水に包まれる。
アスタが恍惚とした顔を押し上げる。
星のようなきらめきが、水面に一気に浮かび上がった。
それは真珠のような白く輝く無数の卵で、波の合間に漂い、ゆっくり水中に沈んでいく。
「アスタ、流れてしまうぞ?」
拾い上げようとダヤは押し寄せる波の中に入り、その卵をすくいあげようとした。
「だからたくさん産むの。ほとんどは死んでしまう。でも……大丈夫。これは海の分。陸の分も産むから。ダヤ、私すごく幸せよ。子孫を残した。やっと子孫を残せた」
その頬を伝い落ちたのは、喜びの涙だった。
マーリーヴァランの卵は、アスタが選んだ王のものでなければならないのだ。
満足そうに微笑みをたたえ、両手を突き上げたアスタの手をダヤはしっかりと握り、無数の白く輝く卵が、波間に消えていく様子をじっと見守っていた。
そこはアスタが本来暮らしていた海の洞窟で、光貝で飾られた柔らかな舌珊瑚の上だった。
心地良い寝床からふわりと下りたアスタは、まじない屋のカートスのところへ急いだ。
「カートス!大変なの。お腹がおかしいの!」
陸から離れ、もうどれだけの月日が経ったかわからない。
話し相手はカートスだけであり、まじない屋に通う以外は海の中を漂うばかりの日常だ。
それでもなんとか元気を取り戻してきたアスタは、また王を探しにいくため、カートスにまじないをかけてもらうことになっていた。
しかしその時は、今度こそダヤを諦めなければならない。
そこまでの覚悟はまだ定まらず、アスタはその日を無為に引き延ばしていた。
澄んだ海の中をすいすい泳ぎ、カートスのまじない屋に飛び込んだアスタは、薄暗い洞窟の中で目を光らせた。
「カートス?」
そこは陸に近く、入り口は海面からの光が届くほど浅い場所にある。
海藻も豊富にあってゆらゆらとカーテンのように揺れている。
いつの間にか花珊瑚が赤い花を咲かせ、黄色い卵を産んでいた。
それをうらやましそうに睨み、アスタは棚の並ぶ店内にするりと飛び込んだ。
いつものランプに灯りは無く、カートスの姿も見当たらない。
しかも棚は空っぽだった。
作業用のテーブルも消えている。
店の奥に向かってみると、洞窟は少し狭まり、上に向かって続いていた。
陸にいるのかもしれないと考え、アスタは暗い洞窟内を泳いで登っていく。
海底を覆うごつごつした岩は次第に形を変え、いつのまにか尾ひれが触れるとさらさら崩れる砂に変わった。
ついに水面に到達すると、アスタは波にのって砂浜に腹ばいになっていた。
そこはまだ洞窟の中で、岩で出来た高い天井の下だった。
壁のいたるところにひび割れがあるらしく、糸のように細い光の線が、暗い洞窟内に幾筋も差し込んでいる。
前方に、それよりもずっと強い光が見えた。
そこから外の風が吹き込んでくる。
アスタは波打ち際で仰向けになり、波に揺られながら光を散りばめた天井を見た。
背中の下で砂がさらさらと崩れ、波と共に戻ってくる。
ちゃぷちゃぷと耳元で聞こえる水音も楽しく、アスタは尾ひれで水面をぴしゃぴしゃと叩いた。
それは上に向かって泳いでいるような状態になり、波にのってあっという間に陸に打ち上げられてしまう。
気づけば、尾ひれは二本の足に変わっていた。
素足を引き寄せ膝を抱える。
指先の間をさらさらと砂が滑り落ちていく。
波と共に砂がまた押し寄せ、足を隠してしまうが、また波にさらわれさらさらと消えていく。
その様子をじっと見ていたアスタは、ようやく本来の目的を思い出した。
強い光が差してくる方を振り返り、声をあげる。
「カートス!カートス、いるの?」
その声は魔力を帯びており、人を魅了し呼び寄せる。
澄んだ響きが洞窟内にこだまし、吹き込んだ風にさらわれる。
「カートス!」
その声で呼ばれ、逆らえる雄はそう多くない。
「カートス!」
立ち上がって歩き出したアスタは、眩しすぎる太陽の光を恐れて足を止め、再び上を見た。
天井や壁に出来た小さなひび割れに、外からの光が入り込み、金色に光っている。
その無数の輝きは、まるで満天の星の中にいるような気分にさせられ、陸の記憶を呼び覚ます。
その瞬く光ばかりを見ていれば、外の世界は美しいように思えるが、実際は恐ろしいものばかりだ。
地面に届くほどの長い髪が、さらりと砂の上に落ち、波と共に後ろにひっぱられる。
前に進む気にはなれず、再び薄暗い海の方を向く。
波が届くぎりぎりのところまで引き返し、またそこに座り込む。
足を水に浸し、膝を抱えると、アスタは甘い声で歌いだした。
それは、誰に教えられることもなく、生まれながらにマーリーヴァランが知っている歌だった。
まだマーリーヴァランが人を食べていた時代、船乗りたちはこの歌に誘われて海に飛びこんだ。
先祖たちはその体を捕まえ、貪り喰い、血をすすり、飢えを満たしたのだ。
それなのに、人間に近い姿に進化を続ける過程で、いつしか人は餌ではなくなった。
本来は、人間を油断させるための進化だったはずなのに、種族の壁を越え、愛し合い語り合うようになったのだ。
マーリーヴァランたちは、陸に戻っていく恋人の背中を追いかけたいと考え始め、海で培った能力のほとんどを捨てることになった。
そんなマーリーヴァランの愛の記憶に想いを馳せていたアスタは、いつの間にか、自分の見つけた愛の記憶を思い出していた。
それはまだ最近の記憶であり、先祖の記憶よりもずっと鮮明だった。
「ダヤ……」
次の王を探しにいくことになれば、今もっている記憶を捨てなければならない。
人生を最初から始め、少しずつ思い出していくように記憶を取り戻す必要があるからだ。
それでも、ダヤの記憶はもう不要とされてしまう。
いつか忘れてしまう名前なら、今のうちにいっぱい声に出しておきたい。
そんな気持ちに駆られ、アスタは愛しいその名前を口に出した。
「ダヤ、ダヤ、ダヤ……」
「アスタ!」
突然聞こえたその声に、アスタは怪訝な顔をした。
記憶の中のダヤの声だろうかと首を傾ける。
「ダヤ?」
「アスタ!」
今度の声は、さっきよりも近く、そして強く耳に届いた。
くるりと後ろを振り返る。
光あふれる洞窟の出口に、黒い人影が立っている。
背後の光のせいで、顔は陰になっていて見えない。
「カートス?」
天井からこぼれ落ちるかすかな光の中、人影が近づいてくる。
それは、あまりにも見事な体格の男だった。
浅黒い肌に獣のような鋭い目、それから大きくごつい手が固く握られている。
夢だろうかとアスタは思った。
だからいつもいる場所に、カートスがいなかったのだ。
記憶の中の思い出を、夢で見ているだけなのかもしれない。
そうでなければ、こんなことが起こるわけがない。
「アスタなのか?」
びくんと体が跳ね、アスタの足が尾ひれに変わった。
するりと水の中に飛び込み、アスタは海底にむかって泳いで逃げる。
ところが、水が不自然な力で一気に陸に向かって引き寄せられた。
それは水の王の力であり、アスタには逆らえない。
ざぶざぶと水を跳ね上げ男が迫る。
太い腕があっという間にアスタの体を捕まえ、軽々と持ち上げた。
尾ひれをばたつかせるアスタを横抱きにし、砂浜を登っていく。
波が届かないところまで来て足を止め、男はアスタをそっと砂の上に下ろした。
アスタを仰向けにして押さえ込み、その顔を上から覗き込む。
「アスタ?」
その声は幻聴とはもはや思えないほど、すぐ傍にあった。
アスタは目を瞬かせ、それが本物であるか確かめようとした。
会った時は、まだ若く燃えるような命の輝きがあったが、今は眉間に深い皺を刻み、その表情には拭いきれない影がある。
穏やかな微笑みも、蕩けるような優しい声音も、それからアスタにだけ向けられていた熱を帯びた強い眼差しも、全てが波にさらわれる砂のようにどこかに消えてしまった。
男が何とも言えない表情で、アスタの答えを待っている。
ダヤにはわからないのだ。
もう水の民のような姿ではない。
本来のアスタは水色の髪をしたマーリーヴァランという名前の魔物で、耳は尖っているし鱗もある。
下半身もまだ魚のままだし、目も人間より大きく、暗くなると光ってしまう。
ダヤはさらにアスタの体を上にひっぱりあげ、完全に乾いた砂の上に移動した。
アスタの尾ひれがごく自然に、二本の足に変化する。
「アスタ?」
ダヤの大きな手がアスタの胸に触れた。
まだ誰も触れたことのないその白い胸には、小さな宝石を繋ぎ合わせて作った首飾りがかかっている。
それを指でどかし、ダヤはその胸に唇を押し付けた。
その瞬間、アスタのお腹にあった不思議な違和感が膨れ上がった。
体の奥底から突き上げてくるような衝動に任せ、アスタは甘く声を上げた。
ダヤは確信を持ったように、今出来たばかりのアスタの足を持ち上げ、その間に腰を押し込んだ。
この体で生殖行為をするのは初めてであり、アスタもやり方がわからない。
それなのに、アスタの上にいる男は十分理解している様子で、焼けるような熱い肉を押し付けてくる
「あああっ……!」
体の一部がちゃんと裂け、痛みが襲ってきた。
肉の塊が膜を突き破り、さらにまだ誰のものも受け入れたことがない狭い膣内を押し広げる。
体を埋め尽くすような強烈な圧迫感に、アスタは背中を逸らし苦しそうに喘いだ。
同時に、違和感のあった下腹部から命の声がはっきりと聞こえてきた。
それは実際の音ではなく体の内側から迸る、原始的な生誕の声だ。
「ダヤ……私の王……」
ついに使命を果たした喜びに震え、アスタは下からダヤの首を抱きしめた。
「アスタ……。アスタ……俺の……俺だけのアスタ……」
アスタの姿がいかに変わろうと、ダヤには関係なかった。
腕の中にアスタがいるのだと思うと、それだけで心が満たされた。
腰を深く沈め、アスタの体を抱きしめる。
「私の王……私が見つけた……。うれしい……」
まだ男を知らなかったアスタの体は、初めて受け入れた男の種を貪欲に貪った。
「ダヤ……」
血に染まった下半身をすりつけ、アスタはやっと微笑んだ。
二人は砂の上を抱き合って転がり、ダヤは何度も雄の楔をアスタの中に打ち込んだ。
鮮血に染まった砂は波で洗われ、水面が赤く染まっていく。
「アスタ……愛している。聞いて欲しかった。君を連れていけなかった理由を。
俺は……砂の国を離れてから一度も、誰とも寝ていない。誰ともこんな風に愛し合ったことはない。
本当だ。一生君一人を愛し抜くつもりだった。
君が、パール国の王妃として生き抜いた後に、君を引き取ろうと考えていた。
ハカスが君に興味を失った時にすぐに引き取れる位置にいたかった。
だから、パール国と良好な関係を保つために形ばかりの王妃を置いた。ハカスを油断させるためだ。信じて欲しい。アスタ……俺の心も体も君だけのものだ」
砂の中でアスタを腕に閉じ込め、ダヤは熱く囁いた。
アスタの宝石が埋め込まれた尖った耳を舐め、銀色に光る鱗の上に唇を押し付ける。
人の姿に化けることもアスタの能力のうちの一つであり、気づけばダヤの腕の中でアスタは完全な人の姿に変わっていた。
出会った時と同じ体ではなかったが、ダヤは懐かしそうにアスタの顔を見下ろし、その頬を優しく抱いた。
「アスタ……君だと言ってくれ」
「違っていたらどうするつもりなの?ダヤ……」
懐かしいアスタの声に、ダヤはうっとりと耳を澄ませた。
「アスタ……君を取り戻したかった。俺の子を産んでくれ」
「もちろん……。私はそのために生まれたの。私は自分で選んだ王の子供を産むの。海ではもう見つけられなかったから……陸に探しに行ったの」
砂に横たわるアスタの姿を、ダヤはじっくり観察した。
晴れ渡る空のような、鮮やかな水色の髪に、太陽の光を集めたような金色の瞳、透けるような肌の白さはかわらないが、耳は少しとがっている。
華奢な体に不似合いな豊かな胸は柔らかく手に沈み込む。
「すごくきれいだ……。これが本来の君の姿なのか?本当に?まるで出会った時の君だ。まだ少女のようだ……」
「こっちの体はまだ成長しきっていないの。繁殖が可能な年齢になってすぐにまじない屋のカートスが体を保存してくれたの。それから、陸に適応した新しい体をもらって水の民として生き始めた。
あなたと会った時には、アスタとしての人生の記憶しかなかったけれど、今は海で暮らしていた頃の記憶も全部ある。
あなたに会うまでに、たくさん失敗したの。長い年月をかけて、ようやくあなたを見つけた。
……この体は、あなたの子供を産むために、ずっと大切にとっておいたの」
たった一人の王のために、最後のマーリーヴァランの体は大切に保管されていたのだ。
「私は野生種だから、たくさん生まれると思う」
砂の上で肘をついて横になったダヤは、仰向けに寝ているアスタの顔を眺めながら頬や喉、胸から腰にかけて優しく触れた。
まだぺちゃんこのお腹から、少し前まで鱗で覆われていた腰の下に手を滑らせる。
まるで少女のように毛のないそこには、ちゃんと人のような生殖器がついている。
ダヤは身を乗り出し、アスタの両足を開くと、こじ開けられたばかりの秘められた入り口に指を這わせた。
「乱暴だったな……痛むか?」
「もう一度して……」
すぐにダヤはアスタの言葉に従った。
覆いかぶさり、細い足を持ち上げる。
豊かな胸に片手を沈め、その感触を楽しみながら、雄の楔を傷ついた泉に慎重に沈める。
アスタの恍惚とした声に励まされ、さらに深く腰を押し込んだ。
「んっ……」
上に逃れようとするアスタを捕まえ、雄の本能に従い体を大きく動かし、やがて種を吐きだす。
同族の数が減り、マーリーヴァランの生殖器も多様な種族に対応できるよう変化している。
砂地にまた鮮血が流れ、波に洗われ水面が薄紅色に染まる。
まだ抱き足りないダヤは、アスタに痛みがないか確かめるように体を離し、足の間を見ようとした。
びくりと腰が跳ね、強く波打つようにアスタの身体が動いた。
「アスタ!」
またアスタを失うのではないかという恐怖に駆られ、ダヤはアスタの体を抱き上げた。
いつの間にか、アスタの下半身が魚に変わっている。
「ダヤ……卵が生まれそう」
「え?!」
突然のことにダヤは言葉に詰まり、目を白黒させる。
「大丈夫……」
やり方を教わったわけではなかったが、アスタはなぜかその方法を知っていた。
吸い寄せられるように波が上がってきた。
魚になった下半身が水に包まれる。
アスタが恍惚とした顔を押し上げる。
星のようなきらめきが、水面に一気に浮かび上がった。
それは真珠のような白く輝く無数の卵で、波の合間に漂い、ゆっくり水中に沈んでいく。
「アスタ、流れてしまうぞ?」
拾い上げようとダヤは押し寄せる波の中に入り、その卵をすくいあげようとした。
「だからたくさん産むの。ほとんどは死んでしまう。でも……大丈夫。これは海の分。陸の分も産むから。ダヤ、私すごく幸せよ。子孫を残した。やっと子孫を残せた」
その頬を伝い落ちたのは、喜びの涙だった。
マーリーヴァランの卵は、アスタが選んだ王のものでなければならないのだ。
満足そうに微笑みをたたえ、両手を突き上げたアスタの手をダヤはしっかりと握り、無数の白く輝く卵が、波間に消えていく様子をじっと見守っていた。
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