砂の地に囚われて

丸井竹

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30.増える種

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海にせり出した断崖絶壁に埋め込まれるように建てられた宮殿には、アスタに必要なものが全て揃っていた。
温かな日差しを浴びて温められた床の上を、アスタは裸足で走り、海に続く階段を一気に駆け下りた。

そこはもう波打ち際で、どこまでも広がる海が待っている。

勢いよく飛び込み、顔を出すと大きなひれで水面を叩く。

波打ち際には大きな岩がいくつも顔を覗かせており、その上に尾ひれを持ったマーリーヴァランたちが座っている。

彼らはアスタが純潔をダヤに捧げ、産卵をした日、王の気配を察知し、自然と集まってきた同族たちだった。
底知れぬ海には、アスタの他にもまだ生き残っていたマーリーヴァランがいたのだ。

進化の進み具合はそれぞれで、陸にあがれない個体もあったが、ほとんどのマーリーヴァランはアスタと同じように陸にあがれば人の姿になれた。

彼らはダヤとアスタのいた浜辺にやってきて、語りかけたり、挨拶をするでもなく、ただ魚のように群れになって傍にいた。
それはマーリーヴァランの習性に沿った行動で、アスタが王を選んだため、さまよっていた彼らにもようやく居場所が出来たのだ。

ダヤが海沿いに宮殿を建てたため、陸にあがれない、少し原始的なマーリーヴァランたちも、満足そうに城の周りに集まっている。

一見無害に見える彼らだが、水の民より原始的なかれらは本能に忠実であり、王に敵対する者が近づけば、己の命を顧みず戦いを挑もうとする。

ダヤに敵意を持っているハカスが、イハとフィアを連れてアスタを訪ねてきた時には、海にいたマーリーヴァランたちが一斉に陸にあがって魔物の姿に変化した。
直ちにイハが応戦の構えを見せ、ハカスも剣を引き抜くところだった。

ダヤが間に合わなければ、貴重な海のマーリーヴァランが滅びてしまうところだったのだ。
アスタはイハとフィアとの再会を喜んだが、ハカスのことは警戒した。

海にすぐに逃げてしまえる宮殿の端で、アスタはハカスと椅子を並べて話をした。
ハカスは両足を尾ひれに変化させるアスタを見て、砂の国に連れて帰ることを断念した。

「アスタ……今更だが、王妃はお前だけだ」

他の女に子供を産ませることは出来ても、王妃の座を渡すことはもう出来なかった。
容姿が変わっても、二十年近くも傍にいたアスタを間違えるわけがない。
それだけの年月をかけても、アスタの心は手に入らなかったのだとハカスは受け入れた。

「あなたの妻だった体は消えてしまったのに?」

アスタの言葉に、ハカスは弱々しく微笑んだ。
良い夫、良い父親を演じてきたが、そこに一欠けらの真実が混じっていたことに、アスタは最後まで気づかなかったのだ。

「砂の国は大きく変化している。奴隷を奪い合う時代も終わり、互いの国を行き来するための水路や道が築かれている。ガドル王も大陸同盟の中に加わった。
火の国とは、あまりうまくやれそうにないが……ダヤ王には感謝している。イハとフィアのためにも水は絶やさないと約束をしてくれた」

アスタは、その言葉をどこか他人事のように聞いていた。
ハカスはアスタにとって、憎むべき男だったはずだが、太古の記憶を取り戻してみれば、王を選ぶ雌を略奪する行為は、それほど珍しいことではないとわかったのだ。

まだたくさんのマーリーヴァランが海にいた頃、雄を選べる雌を取り合い、同族で殺し合うことさえあった。
陸でも同じことが起きたのだとアスタは考えた。
人間的な感情さえなければ、もっと残忍で容赦のない結果を招いたかもしれない。

幸いなことに、魔物よりは理性的なハカスは、ダヤを殺してアスタを奪おうとまではしなかった。

「たまには遊びに来て欲しい。フィアはザイール国に嫁ぎ、なかなか外に出られない。まだ君を恋しがっている」

別れ際、砂の王はアスタの頬に、軽い口づけをした。


それからすぐに、ガドル王もアスタの顔を見に来た。
死に絶えた水の場所まで、ダヤを案内したのはガドル王だった。
太古の記憶を持つ者同士で、ガドルはアスタの隣に座り、果てしない海を見た。
もう死に絶えた水とは呼べないほど、その海には命が満ちていた。

「お前の能力はやっかいだな。群れの頂点に立ちたいと望む男を引き寄せる。しかもお前が産む子供は優秀だ。
頂点に立つべくして生まれるからだ。
陸にあがった水の民より、お前の方が全てにおいて能力値が高い。
お前が入っていた肉体は普通の水の巫女だったが、お前の能力はそのまま引き継いでいた。
つまり、お前が産んだ子にも能力が引き継がれる可能性がある。
失われた魔物の力を取り戻せるかもしれない。
太古の力をそのまま引き継いできたお前がうらやましい」

「私の中にも、大昔の竜族の記憶があるの。翼はどこにいったの?」

ガドルは苦笑し、肩をすくめた。

「大きすぎる体を手放した時に失ったのだろう」

魚のようなアスタの下半身を見て、ガドルもアスタを手に入れることを諦め、内陸に戻っていった。

ダヤは陸と海両方のマーリーヴァランの王だった。
水の民は、海からあがってきた見た目の異なるマーリーヴァランに驚いたが、すぐにそれが仲間であることに気が付いた。

不思議なことに、海に戻ろうとする水の民もいたが、残念ながら進化とは一方通行なものであり、海に戻れた水の民はいなかった。
海を出なかったマーリーヴァランだけが水陸両方で生きられた。

水面から突き出た岩の一つによじ登り、アスタは宮殿を見上げ、甘い声で歌った。
それは危険な魔力を帯びた魔物の声だったが、水の民にはきかなかったし、既に王に選ばれているダヤにも効果はなかった。

ただ、歌っているアスタを見つけると、ダヤはその姿を誇らしげに眺めた。

波が打ち付ける岩場で、仲間達と歌うアスタは、半分魚で半分人間だった。
アスタは仲間達と群れで泳ぎ、波の上を跳ね、まるで無邪気な子供のように自由を謳歌していた。
そうしている様子を見ていれば、新種の魔物を観察しているようだったが、陸にあがればダヤが出会った時のアスタに戻った。

「アスタ」

ダヤがよびかけると、アスタはすぐに岩場に這い上がり、崖に沿って取り付けられた階段を二本の足で登ってきた。
美しい裸体を惜しげもなく晒し、ダヤの前で丁寧にお辞儀をする。

「我が王」

その体にマントを巻きつけ、ダヤはアスタを、浴室に連れていく。
温かなお湯の中でアスタを抱き、それから寝室に行くのが王のやり方だった。

やっと手に入れたアスタは、まるで今までの困難な道の全てを忘れたかのようにダヤの腕におさまり、熱心に種をねだった。
海を離れようとしないアスタの姿に、砂の国のことを忘れてしまうのだろうかと、ダヤは少しだけ寂しく思った。

しかし王と出会った記憶は、アスタにとっても大切な想い出の一つだった。
アスタはある夜、海を見下ろす寝室で砂の地で食べた魚が美味しかったと語った。

「不思議ね。あんなに美味しい物を食べたのは初めてだった。でも海で一人で食べてもそれほど美味しくないの。
ダヤがいないと味さえわからなくなってしまうのね」

「なぜ俺だったのだ?」

ダヤは、ハカスやガドルのような王でもなければそれに近い存在でもなく、ただの狩人だったのだ。

「あなたを一目見た時にわかったの。私の王はこの人だって。でも……あなたを王には出来ないとも思った。
ずっと砂の地で一緒にいたかったから……。でも、我慢できなくて……」

ダヤは夜中に寝室に忍び込んできたアスタのことを思い出した。
あまりにも積極的だったため、処女だとは思わず、乱暴に抱いてしまい後悔したのだ。
赤く染まったシーツの上で、アスタは満足そうに笑っていた。

本来の身体に戻ったアスタを抱いた時も、夢中になり過ぎて手加減が出来なかったことを思いだし、ダヤはアスタの下腹部を申し訳なさそうにそっと撫でた。

「乱暴だったな……」

アスタは明るく笑った。

「私はあなたのもの。全部あげるわ」

「選んだ理由はそれだけなのか?俺はただの砂の民であり狩人だった。君にそこまで頼られるような男ではなかったはずだ」

どうしても不思議に思ってしまうのだ。
アスタにとっては疑問を挟む余地もないことだった。

「あなたで間違いないわ。だって、私は王を選ぶために生まれてきた。だから、私が選んだのであればそれは間違いないのよ」

その選択が正しいと証明できるものは確かにあった。
実際、アスタは数えきれないほどの卵を産んでいる。

さらに、人の体になったアスタのお腹にはダヤの子供が育っている。
不思議なことに魔物用と人間用の子宮が備わっているらしく、アスタは足のある姿にかわれば、人と同じように身ごもることが出来た。

しかし知能に関しては少し衰えたようにダヤは感じていた。
水の民は陸にあがり、他の種族と共に社会を形成していく上で、知能を発達させてきたが、海のマーリーヴァランには、それほど高い知能は必要なかったのだ。

アスタは本能のままに行動し、あまり深く考えようとしない。
時々、ダヤは不思議な気持ちになった。

少女のようなアスタを腕に抱いていると、背徳的な気分になるのと同時に、自分があまりにも小さな存在に思えることがあった。
その腕の中には何万年もの記憶や歴史が閉じ込められている気がして、自分がアスタと触れ合う時間がどれだけ短いものなのか考えさせられた。

アスタの知る年月を想うと、一緒にいるこのかけがえのない時間は、その壮大な進化の歴史の中の、ほんの瞬きするほどの時間も過ぎていないことになる。
しかし気が遠くなるほどの年月を旅し、ついに目的を達成したアスタは、目の前にいるダヤだけを見ていた。

アスタの魅惑的な体を抱きしめ、ダヤは不思議な心細さを感じた。

「アスタ、俺は砂の地が恋しい。今度、一緒に行かないか?君と出会った最初の砂の国だ」

目を輝かせ、アスタはダヤの首に抱き着いた。

「行きたい!フィアがいるのよ。私の娘なの」

フィアを生んだ体は滅びたが、記憶はちゃんとある。

アスタの返答に安堵したダヤだったが、それを実現するには少し高い壁が待っていた。

海から出られないマーリーヴァランたちもまた、干上がっている土地であれ、ダヤに従いついて行きたがったのだ。
途中で命を落とすこともあまり気にしている様子もなく、なぜ一緒に行けないのかと訴えた。

アスタは彼らを諫めるのは王の役目だとでもいわんばかりに、何も言わなかった。
ダヤは故郷に帰るため、大規模な水路の建設に着手した。
それは何年もかかる大事業であり、陸にあるほとんどの国に協力を要請することになった。

その結果、大陸のほとんどの国が浄化された水の恩恵を受けることになったのだ。




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