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蜘蛛の処刑台
129. 刑場を見つめる者 -side???
しおりを挟む―――ごとり、と音がして、フェランドは跳ね起きた。
たった今、自分の首が落ちた。処刑人の手元が何度も狂い、何度も斧を当てられた。
凄まじい激痛に叫ぶフェランドの前で、父と母と兄とかつての妻は、冷たく見おろすだけだった。
(夢? ……はは、そうか。やはり夢だ。あのようなもの)
首の締まる苦痛。巻きついた鎖の感触。歓声。ひやりと首に触れた刃……
あんなものは現実ではない。
なのに、臭いも感触も苦痛も鮮明に蘇り、汗と震えが止まらない。
「食事だ」
ひっ、と息を呑みそうになった。まるで違う声だが、音や声に過敏になっているようだ。
フェランドには使用人の残飯にしか見えない食事―――だが、日に一度切りとはいえ、腐っていないまともなスープとパンは、かつてある青年に出されていたものに比べれば、量も質も遥かにマシな食事だった。むろん、彼には知る由もないが。
フェランドは今まで、その食事が出るたびに投げつけていた。看守は肩をすくめ、やれやれと放置した。それがなおさら彼の怒りを煽っていた。
ぶちまけられた食べ物は誰にも片付けられず、床で腐って異臭を放つ。お貴族様の囚人が、よく知らずに自分の首を絞めているだけだと看守はよく知っていた。
それにもうすぐ、木の根さえ噛みたくなるような飢えが訪れるだろう。
「これでも前よりマシなんだぞ? ここが建て直される前は、犬も豚もこんなものは喰わんだろうという餌が、日に一回ちゃんと出れば良いというぐらい酷かったらしいからな」
「マシだと……つまらぬ冗談を言うな」
今日の囚人は、食事を投げない。しかも話に乗って来た。
(ははぁん。そろそろ怖くなってきたか?)
最初は威勢が良くとも、しばらく経てば自分の置かれた状況がだんだんわかってくる。それに水だけで耐えるのも限界だろうし、食べなければ反抗の気力も湧かない。
無精ひげをさすりながら、まだ自分が貴族のつもりでいる偉そうな囚人を少しばかり揶揄ってやりたかった看守は、お喋りを始めた。
この牢獄は一度全焼し、建て直されている。数年前、薬物売買で荒稼ぎをしていた組織の者が一気に捕まり、ここにまとめて放り込まれていたのだが、彼らが暴動を起こして看守を惨殺、その過程で火事が起きたのだ。
暴動を起こした連中も含め、一人残らず助からなかった。
「何でも、お偉いさんが運営費かなんかをくすねていたせいで、囚人の餌代に回らなかったんだと。そのうえ当時の看守が鬱憤晴らしで囚人をボコボコに―――殴る蹴るという暴行を加えることがよくあって、刑が決まっていない者でさえ死なせてしまうことが多々あったそうだ。ちなみにそのお偉いさんは、あんたのお友達だぞ。部下に責任を押し付けて、自分はちゃっかり難を逃れやがったそうだが。……ま、そいつもつい最近、引っ張られたそうだ。もしタイミングが良ければ、おまえもそのお友達のおかげで、使用人の食事どころか家畜の餌を喰わされて、毎日俺らに叩きのめされていたかもな。そっちのほうが面白かったのにな、くくっ」
「……っ」
フェランドは食事の器を掴み、怒りとも恐怖ともつかない感情任せで今日も投げ捨てた。ひょいと避けた看守は、ゲラゲラ笑いながら近くの待機所に去って行った。
この囚人は特別に隔離された重犯罪者用の檻に入れられており、誰とも共謀できぬよう、周りにほかの囚人はいない。これからこの元お貴族様は、止まらない腹の音を聞きながら、自分で台無しにした床の食事を睨みつけ、誰とも不満を分かち合えずに無為の時を過ごすことになるだろう。
死刑にならなかったとしても、一生涯この牢獄から出ることはない。そういう囚人だと聞いている。
当人は未だに、現実を理解できていないが……。
「すぐに……出られる。このような場所、すぐに……!」
怨嗟を聞きながら、看守は嗤った。
朝も夜も曖昧な地下牢獄で、フェランドは思い知る。
『時間だ』
その日も、その次の日も、おぞましい儀式は続いた。絶叫と歓声が地を揺らし響き渡る、果てしない処刑場の中央で、最期に必ず己の首が落とされて終わる。
時に自分の首が固定された直後、目の前に椅子とテーブルが用意され、兄とエウジェニアがのんびりとお茶を始めたり、父と母が遊戯版を楽しみ始めることもあった。
処刑人の手元はよく狂った。フェランドが叫んでいても、すぐそこにいる兄とエウジェニアは、父と母は、まるで遠く壁を隔てているかのように互いへ微笑み合うばかりだった。
『ひっひひ! てめぇまさか、でめぇでぶっ殺した奴らが救けてくれると思ってんのかぁ!? おいおい、そぉ~いつぁ虫がよすぎってもんだぜぇ! 本当ならてめぇを見捨てないはずの親も忠告してくれる兄貴も優しい嫁さんも、みぃんな鬱陶しくて気に入らねぇからっつって殺りやがったくせによう!』
黒い男は腹を抱えてゲタゲタ嗤った。
何度でも何度でも恐怖を与え、そして心を砕く。
『このほうが絶望がよぉく育つんだよ。我が王は一気にパクっとやるよりゃ、ちょっとずつ齧るのがお好みだ。―――さぁ罪人ども、歌え! 踊れ! 王を愉しませろ!!』
果てのない刑場に、己と、己に近しい者達の悲鳴が木霊する。
これは夢だ。
すぐに出られる。
このような場所、すぐに。
だがフェランドは、目を開ければまた牢の中にいた。
その日出された食事の器が、投げてもいないのに空になっていた。
空腹に耐えかねて平らげたのだと、看守が嗤いながら言っていた。
記憶にない。自分がこのようなものを食べるわけがない。
やがて『時間』という言葉を耳にするだけで怯え始めた。
いずれ『時間』が来る。その時が迫る。
まだ終わらない。
■ ■ ■
「…………」
薄氷の中心を縦に細く割り、隙間から闇が覗くような瞳を向ける子猫の前で、賑やかな宴が続けられている。
たくさんのしもべ達が巨大な輪を描き、薄暗く曇った天へ向けて愉快な叫びと哀願を奏でていた。
メインの罪人の首が落ち、ひとまず本日の宴はおしまい。
振り向くと、そこには女が立っている。波打つ金茶色の髪に、黒衣の美しい女だ。
その黒衣からサラサラと、焦げた表面が剥がれ落ちるように色が抜け、やがて清らかな純白に変わっていた。
ひやりと凍る月の色を宿していた瞳は、温かく夜を包む紺青―――彼女本来の色に変わる。
儚い美貌の女の肩に、誰かが手を添えた。
燃え盛る炎、空を照らす太陽のごとき緋色の髪に、緋色の瞳の青年だ。
こちらは臙脂色の服に身を包み、手に何かを持っている。
彼はどこかの方向へ顔を逸らしながら、女にそれを差し出した。
薔薇だ。
彼の髪と瞳そっくりな花弁の色。
紺青の瞳が潤み、そ、と両手で薔薇を受け取る。
まともに自分と目も合わせられない男に、それでも心から幸せそうな笑みを向けて寄り添い、二人は光の中へともに歩いて行った。
光の中には庭があり、白いテーブルと椅子があった。そこでは彼らの父と母がお茶の準備をし、二人が来るのを待っていた。
赤、茶色、緑、橙、紫、黄色、赤の差した黄色、空色―――色とりどりの薔薇に囲まれて微笑み合う。
遠い過去の情景。有り得なかった一時の幻。彼らが手探りで迷いながら未来へ進むことは、もうない。
それでも、この先もずっと咲き続けるだろう。
……あ~あ。美味しそうだから、あとで大事に食べようと思ってとっといたのにな……。
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子猫はぴる、と耳を震わせ、ん~と身体を伸ばしながら立ち上がった。
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※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
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