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蜘蛛の処刑台

128. 断罪と収穫の輪舞 -sideフェランド (2)

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 顔を上げた。
 葬儀の際に纏うような、レースも何もかもすべて黒いドレスに身を包んだ美しい女が立っていた。
 きらめいて波打つ金茶色の髪。だが瞳の色は違う。月夜の空の深い紺青ではなく、冴え冴えと凍り付いた月そのもの。薄い青に銀を落とした色だった。

 ―――エウジェニア。

 瞳の色が異質であるにもかかわらず、何故かそこにいるのが彼女本人だとわかった。
 ……優しく接してやったのに、私に恥をかかせた女。とうに消えたはずだ。でもそこにいる。
 人形のごとき無表情で佇み、憐れみとも、悲しみともつかぬ風情で見おろしてくる。
 いや……これは……見放している顔、だ。
 もはや何も感じていない。怒りも憎しみも通り越し、己にとって無価値なものを見おろす目。

「その通りよ……わたくしが今でも、あなたの仕打ちを苦しみ、悲しみに囚われていると思った……?」

 地下牢獄を出た直後は眩しいと感じた空が、どんより曇っていたのだとこの時に気付いた。

「『兄上の子を、我が子として大切にします』―――あなたはそう約束して、わたくしに結婚を申し込んだ。けれど実際あなたがやったことは、わたくしを狂人に仕立てて閉じ込め、あの子を己の犠牲用に育てることだった……。あなたを選ばなかったわたくしに恥をかかされたと恨み、それをあの子にぶつけて憂さを晴らそうとしたのよね……愉しかったでしょう? 決して自分には抵抗できない幼子を檻に入れて、その子の手の届かない場所からいたぶるのは」
「……」
「皆があの子をアンドレアの子ではないと勘違いをしている、あなたからも訂正してってお願いをした時、あなたはとても戸惑った表情を作って、皆の前でこう言ったわね……『何をおかしなことを言っているんだ、エウジェニア? 疲れているのかい?』」

 ……これは、エウジェニアではない。本物の彼女はとうに死んだ。
 なのに『これは本人だ』と、どうしても感じてしまう。
 そんなはずはない。ただのまやかしだ。これが現実であるものか。

「あなた、これでも、自分は何もしていない、自分は何ひとつ悪くはない、って言うの……?」
「黙れ! おまえは、エウジェニアではない! 偽者が!」
「気を付けるよう注意されていたのに、それでもアンドレアの弟なのだからと……甘く考えたわたくしが愚かだったわ……ごめんなさい、アンドレア……」

 かつり、と靴音がした。
 上から下まで漆黒の、やはり喪服と思しき衣装を身につけた男が、寄り添って立つ。
 すらりとした体型。手足は長く、どちらかといえば細身だが小柄ではない。弱々しい印象もない。
 鮮烈な緋色の髪……。
 
「オ……」

 ―――違う。
 オルフェオでは、ない。
 このエウジェニアと同じ、闇夜を見おろす月のごとき瞳の……。

「謝ることはない。私自身も、実の弟なのだからそこまではしないだろうと、信じていた……」

 ―――アンドレア。
 ただ生まれた順番だけで、常に私の上に居た者。
 最初に生まれ、わずかばかり歳が離れているだけで、私を『下』に置き続けてきた者。

「そのように、あの侯爵に面白半分で吹き込まれていたな。だから私は何度も、あれを相手にするなと言っていたのに、おまえはあれが土産に持ってきた菓子と遊戯盤ゲームにいつも夢中になって、私の注意をまるで聞かなかった。普通に言い聞かせても聞かぬなら、強く叱るしかない。おまえはそれを、『兄上がいじめる』と広めた……私がおまえのそういうところに、気付かぬ間抜けと思っていたか? ……いたのだろうな」
「っ……」
「自分は、あそこではりつけになっている浅はかな男のようにはならない。自分はもっと巧くやれる……そう過信していたのではないか? 残念だが、おまえはすっかり奴の影響を受けて、浅はかな愚物になってしまった」
「黙れ! 私は……!」

 歯の根が合わない。瞳の色以外、生前とまるで変わらぬ姿で二人がそこにいる。
 だがその表情、声の抑揚……これほどの歓声の中にあって、二人の言葉は直接頭に響くように届いた。
 感情のそげ落ちた雰囲気だけでなく、周囲の熱気と裏腹に、冷気がじわりと漂ってくる。
 
 これは……もしや、幽鬼なのではないか?
 まさか。バカな。

「幼子ならばまだしも。おまえは成長してからも、同じ道を選び続けた。より自分が愉しめる道を。いつでも『私は悪くない』と言えるように小細工を張り巡らせて……」
「うるさい……うるさい! 私は、私はおまえとは違うのだ! おまえのように頭の固い田舎者ではない! 有能な私こそが上に相応しいのに、たまたまおまえが先に生まれ、多少年齢が離れているだけで……」
「いい加減にせんか、フェランド」
「そうですよ。こうまで無様な子になってしまうなんて、あなたときたら……あの男よりひどいではないの」

 ―――父上。母上。
 ロッソ家の特徴である緋色の髪の父上と、私と少し近い髪色の母上。
 最後に会った時とまるで同じ姿だ。ただ、その服の色だけは闇を落としたように黒い。
 四人全員がじわりと凍える瞳をして、断頭台に首を固定された私を見おろしている。

「あの男、とは……母上……ご自分の、父を……」
「だから何です? あなた達の前では聞かせなかっただけで、いつでも心の中では『あの男』と呼んでおりましたよ。……ああ、言いたいことをようやく言えて、すっきりしたわ」
「…………」

 ただの夢だ。ああ、夢に違いない。母上がこのようなことを仰るものか。
 そうだ、ならば私こそ、父上に言いたいことを言って―――

「自分が領地に戻った時、何故アンドレアからおまえに後継者を変更しようとしなかったのか、と問いたいのだろう?」
「……!」
「それは簡単な話だ、フェランド」

 思わせぶりに間を置いて。


「おまえが、凡庸だからだ」
「え……」
「凡庸なのだ、おまえは。心身の強さも、頭の出来も、そこらの者と変わらぬ」
 

 何を―――仰っているのですか。父上?
 凡庸?
 この私が?


「自力で解決する能力もなく、自ら立ち向かう気概もなく、己で責任を取る覚悟もない。手に負えぬことは他の者に押し付け、汚れ仕事も他の者にやらせてばかりおれば、それは失敗のない綺麗な人物と褒め称えられるであろうよ。失敗は押し付けた他人にさせればよいのだから。おまえは昔からそうであった。下の者にやらせ、下の者の成功を己がものと主張して恥じず、反論を許さぬ」
「そ……違……」
「違わんのだよ。―――いくら学園で上位であろうと、ロッソ家に関してはそこらの家との違いすらもろくに認識できておらぬ。我が家に必要なのは民を導く者であって、他者をうまく利用できる者ではない。ゆえにおまえはロッソ家の秘に触れさせるべきではないと思った。おまえには荷が重い。もし明かせば、遠からずその荷を誰かに押し付けようと提案し始めるであろう。おまえは何事も考え方が軽々しいのだ。そしてぼろを出す。わしの前で、亡きアンドレアを貶したようにな」

 あれは―――あれは、知らなかったのだ。父上も母上もアンドレアも、酒の体質のことを私に教えなかった。
 教わっていないのだから、私のミスではない……!

「何もかもすべて正しい者などいないのですよ。それを認められぬから、おまえは幼稚だと言っているのです」

 黙れ! おまえは母上ではない、偽者め……!

「おまえは学園にて知識を身につけ、別の道を見つけてくれればよいと思っていたのだがな……卒業後、領地に戻って来て正直どうしたものかと思った。お役に立ちたいと口では殊勝なことを言うが、領でこれをやりたいという目標があるわけでもない。障りのなさそうな書類仕事を与えたはいいが、案の定、それを片付けるなり、ほかに何か仕事を見つけるでもなく、ただ面白きことを求めて遊び暮らしておる。あの頃のおまえを、それでも我が子と思うて甘やかした己が恥ずかしい」

 黙れ、黙れ、黙れ……

「おまえが他者を面白おかしく振り回すことができた、最大の理由を教えてやろう。……おまえが偶然、我が家に生まれたからだ。それだけだ」

 違う、違う、私は……

「たまたま運が良かっただけの、凡人。それがおまえだ。周囲に麗しい幻想を見せ、怪物の殻を纏い、糸を吐いて罠を張り……されどまやかしが解ければ、中身のおまえは、小さき蜘蛛に過ぎぬ」

 誰かいないのか。私はここにいるべきではない。
 これを押し付けられる者は。私の代わりに刑を受ける者は。
 私のせいではない。

 周りを探した。
 誰もいない。
 どこにも。

 父上。母上。
 兄上。エウジェニア。
 誰も私を、救けない。
 誰も。


『さあ。―――時間だ』


 首の後ろに、ひたりと、冷たい斧の感触……。


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