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⌘3章 征服されざる眼差し 《せいふくされざるまなざし》

56.白魔

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 女皇帝が静養として、離宮に移って二週間が過ぎていた。
離宮などいくらでもあるが、幼い頃に一時期父が冷宮措置となって引き離されていた頃に滞在したこの場所は子供の時からのお気に入りだ。
いつもは、友人達と楽しく過ごすものであったが、今回は体調を理由に誰も招待はしなかった。
典医でもある女家令の蓮角れんかくと、十一じゅういちだけを宮城から帯同した。
その十一じゅういちは宮城での仕事もあり、頻繁に行き来しなくてはならない。
その度に、海燕うみつばめが交代要員として遣わされていた。
この離宮から宮城は、車で四時間はかかる。
その距離を厭わない十一じゅういちに、自分の為であろうと思うと心が満足感でいっぱいになった。
・・・まずはあの指輪ダイヤを取り返さなくては。
今は、美貌で知られた性悪の女家令の指に輝く指輪。
十一じゅういちの妻になるとあちこちで吹聴し、特権を好き放題に使っているらしい。
やはり、淫らで慎みを知らぬ家令などにはあの宝石も十一じゅういちも相応しくはない。
特段する事も無い離宮での日々でもあるが、それが心身に良いのだと言われ、確かにそうかもしれないと思う。
少なくとも、宮城にいれば嫌でも聞こえて来る自分を責める言葉は聞こえない。
庭に続くポーチの椅子で過ごしていた橄欖かんらんに、海燕うみつばめがそっと近づいた。
「陛下」
不躾にならないタイミングで声をかけられて、橄欖かんらんは、ほんの小さく頷いた。
自分が皇帝に即位した際に父と元老院が用意した総家令。
宮廷育ちの家令であり、子供の頃から知っている間柄であるが、十一じゅういちのように信頼する気持ち、ましてや愛情が湧いた事はない。
そもそも家令というのは慣れ合うものでは無く、あの母王が異常であったのだ。
皇帝と総家令がほぼ愛人のような関係であるというのは無い話ではない。
五位鷺ごいさぎを王夫人にしようとしていた事も知っていた。
だが、母王は家令のみを伴い、正当な夫や子供達である自分達を置いて、離宮に移ってしまったのだ。
・・・だから、罰が当たったのよ。
母王と総家令が外国で暗殺された時も、そう思った。
驚きと怖さも勿論あったが。
天の采配ジャッジに、ほら、やっぱり私が正しい。
そう思った。
自分が皇帝になるのが正当で相応しいのだと父もその一族も正しさを喜んだ。
今や皇太后となって久しい父だが、彼もまた他の離宮で過ごしており、自分に子供がなかなか授からないのだけが心労であろうと思うと心が痛む。
時折微風そよかぜが吹き抜け、頬をくすぐった。
「・・・まあ、いい風ですこと。・・・突然の訪問をまずはお詫び申し上げます。陛下」
聞き覚えのない突然の女の声に、橄欖かんらんが体を起こした。
身につけているのは上質なものではあるが、随分とリラックスした格好をしている。
夫の留守中ちょっとそこまで用事に出て来た、良いところの奥方、という程の。
女官でもない、家令でもない。
勿論、貴族でもなかろう。
女官程着飾っても居ないし、家令服でもない。
宮廷において、装いというのは、身分や役割を表すものであり、それが信用ともなる。
それを欠いている以上、信用に足らない危険な人物という事だ。
「・・・何者ですか」
橄欖かんらんは感情を抑えた声で尋ねた。
棕梠佐保姫残雪しゅろさほひめざんせつでございます」
彼女はそう言うと、にこやかに微笑んだ。
五位鷺ごいさぎの妻であり、蛍石ほたるいしとの間の子の乳母だった女だ。
高貴なる人質として召し出され、今は背信罪で“ 温室送りオランジュリー”のはず。
なぜこの女がここにいるのか。
自分の目に入って良い存在ではない。
海燕うみつばめが黙っているのを責めるように睨みつけると、残雪ざんせつが首を振った。
海燕うみつばめをどうぞ叱らないでやってくださいませ。この子は陛下が大好きなのですから」
なぜお前にそんな事言われなくてはならないのだと腹が立った。
家令の動向や感情の一切等関与したくはない。
そもそも好きも嫌いもなかろう。
彼等の行動や感情のベクトルは常に自分に向いていて正しいのだから。
「・・・陛下、この度はお辛い事であったと聞き及びました」
橄欖かんらんは不愉快だわと小さく呟いた。
「お前にそんな事言われる身分ではありません。出て行きなさい」
しかし、女はひるまない。
黙ってこちらを伺う様子なのに、居心地が悪くなる。
なぜ、自分の場所で、自分がこんな思いをしなければならないのか。
蛍石ほたるいし様にお顔立ちも指も似ていらっしゃいますね。・・・あの方も綺麗な手をしていらした。私も五位鷺ごいさぎもそれをどれだけ喜んだか」
愛おし気に言われて、橄欖かんらんはより警戒した。
「・・・陛下。きっとお体をお大切に。・・・蛍石ほたるいし様は、出産の際の傷をずっと痛めておりましたから」
疲れたり、暑さ寒さが厳しい時に、蛍石ほたるいしはよく熱を出した。
銀星ぎんせいを出産した新しいものではなく、昔、出産の際に腹部を切開した古傷が痛むらしい。
まだ若い彼女にとって度重なる無理な出産がどれだけ負担だったのかと、蛍石ほたるいしの傷だらけの小さな腹部を見ては残雪ざんせつは何度も泣いた。
「・・・お前」
何なのと言おうとして、橄欖かんらんは、はっとして息を飲んだ。
もしや、と言う考えがじわじわと侵食して行く。
「・・・・お母様が、継室にも公式寵姫に出来なかった人間というのは、お前?」
残雪ざんせつが頷いた。
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