56 / 62
⌘3章 征服されざる眼差し 《せいふくされざるまなざし》
56.白魔
しおりを挟む
女皇帝が静養として、離宮に移って二週間が過ぎていた。
離宮などいくらでもあるが、幼い頃に一時期父が冷宮措置となって引き離されていた頃に滞在したこの場所は子供の時からのお気に入りだ。
いつもは、友人達と楽しく過ごすものであったが、今回は体調を理由に誰も招待はしなかった。
典医でもある女家令の蓮角と、十一だけを宮城から帯同した。
その十一は宮城での仕事もあり、頻繁に行き来しなくてはならない。
その度に、海燕が交代要員として遣わされていた。
この離宮から宮城は、車で四時間はかかる。
その距離を厭わない十一に、自分の為であろうと思うと心が満足感でいっぱいになった。
・・・まずはあの指輪を取り返さなくては。
今は、美貌で知られた性悪の女家令の指に輝く指輪。
十一の妻になるとあちこちで吹聴し、特権を好き放題に使っているらしい。
やはり、淫らで慎みを知らぬ家令などにはあの宝石も十一も相応しくはない。
特段する事も無い離宮での日々でもあるが、それが心身に良いのだと言われ、確かにそうかもしれないと思う。
少なくとも、宮城にいれば嫌でも聞こえて来る自分を責める言葉は聞こえない。
庭に続くポーチの椅子で過ごしていた橄欖に、海燕がそっと近づいた。
「陛下」
不躾にならないタイミングで声をかけられて、橄欖は、ほんの小さく頷いた。
自分が皇帝に即位した際に父と元老院が用意した総家令。
宮廷育ちの家令であり、子供の頃から知っている間柄であるが、十一のように信頼する気持ち、ましてや愛情が湧いた事はない。
そもそも家令というのは慣れ合うものでは無く、あの母王が異常であったのだ。
皇帝と総家令がほぼ愛人のような関係であるというのは無い話ではない。
五位鷺を王夫人にしようとしていた事も知っていた。
だが、母王は家令のみを伴い、正当な夫や子供達である自分達を置いて、離宮に移ってしまったのだ。
・・・だから、罰が当たったのよ。
母王と総家令が外国で暗殺された時も、そう思った。
驚きと怖さも勿論あったが。
天の采配に、ほら、やっぱり私が正しい。
そう思った。
自分が皇帝になるのが正当で相応しいのだと父もその一族も正しさを喜んだ。
今や皇太后となって久しい父だが、彼もまた他の離宮で過ごしており、自分に子供がなかなか授からないのだけが心労であろうと思うと心が痛む。
時折微風が吹き抜け、頬をくすぐった。
「・・・まあ、いい風ですこと。・・・突然の訪問をまずはお詫び申し上げます。陛下」
聞き覚えのない突然の女の声に、橄欖が体を起こした。
身につけているのは上質なものではあるが、随分とリラックスした格好をしている。
夫の留守中ちょっとそこまで用事に出て来た、良いところの奥方、という程の。
女官でもない、家令でもない。
勿論、貴族でもなかろう。
女官程着飾っても居ないし、家令服でもない。
宮廷において、装いというのは、身分や役割を表すものであり、それが信用ともなる。
それを欠いている以上、信用に足らない危険な人物という事だ。
「・・・何者ですか」
橄欖は感情を抑えた声で尋ねた。
「棕梠佐保姫残雪でございます」
彼女はそう言うと、にこやかに微笑んだ。
五位鷺の妻であり、蛍石との間の子の乳母だった女だ。
高貴なる人質として召し出され、今は背信罪で“ 温室送り”のはず。
なぜこの女がここにいるのか。
自分の目に入って良い存在ではない。
海燕が黙っているのを責めるように睨みつけると、残雪が首を振った。
「海燕をどうぞ叱らないでやってくださいませ。この子は陛下が大好きなのですから」
なぜお前にそんな事言われなくてはならないのだと腹が立った。
家令の動向や感情の一切等関与したくはない。
そもそも好きも嫌いもなかろう。
彼等の行動や感情のベクトルは常に自分に向いていて正しいのだから。
「・・・陛下、この度はお辛い事であったと聞き及びました」
橄欖は不愉快だわと小さく呟いた。
「お前にそんな事言われる身分ではありません。出て行きなさい」
しかし、女は怯まない。
黙ってこちらを伺う様子なのに、居心地が悪くなる。
なぜ、自分の場所で、自分がこんな思いをしなければならないのか。
「蛍石様にお顔立ちも指も似ていらっしゃいますね。・・・あの方も綺麗な手をしていらした。私も五位鷺もそれをどれだけ喜んだか」
愛おし気に言われて、橄欖はより警戒した。
「・・・陛下。きっとお体をお大切に。・・・蛍石様は、出産の際の傷をずっと痛めておりましたから」
疲れたり、暑さ寒さが厳しい時に、蛍石はよく熱を出した。
銀星を出産した新しいものではなく、昔、出産の際に腹部を切開した古傷が痛むらしい。
まだ若い彼女にとって度重なる無理な出産がどれだけ負担だったのかと、蛍石の傷だらけの小さな腹部を見ては残雪は何度も泣いた。
「・・・お前」
何なのと言おうとして、橄欖は、はっとして息を飲んだ。
もしや、と言う考えがじわじわと侵食して行く。
「・・・・お母様が、継室にも公式寵姫に出来なかった人間というのは、お前?」
残雪が頷いた。
離宮などいくらでもあるが、幼い頃に一時期父が冷宮措置となって引き離されていた頃に滞在したこの場所は子供の時からのお気に入りだ。
いつもは、友人達と楽しく過ごすものであったが、今回は体調を理由に誰も招待はしなかった。
典医でもある女家令の蓮角と、十一だけを宮城から帯同した。
その十一は宮城での仕事もあり、頻繁に行き来しなくてはならない。
その度に、海燕が交代要員として遣わされていた。
この離宮から宮城は、車で四時間はかかる。
その距離を厭わない十一に、自分の為であろうと思うと心が満足感でいっぱいになった。
・・・まずはあの指輪を取り返さなくては。
今は、美貌で知られた性悪の女家令の指に輝く指輪。
十一の妻になるとあちこちで吹聴し、特権を好き放題に使っているらしい。
やはり、淫らで慎みを知らぬ家令などにはあの宝石も十一も相応しくはない。
特段する事も無い離宮での日々でもあるが、それが心身に良いのだと言われ、確かにそうかもしれないと思う。
少なくとも、宮城にいれば嫌でも聞こえて来る自分を責める言葉は聞こえない。
庭に続くポーチの椅子で過ごしていた橄欖に、海燕がそっと近づいた。
「陛下」
不躾にならないタイミングで声をかけられて、橄欖は、ほんの小さく頷いた。
自分が皇帝に即位した際に父と元老院が用意した総家令。
宮廷育ちの家令であり、子供の頃から知っている間柄であるが、十一のように信頼する気持ち、ましてや愛情が湧いた事はない。
そもそも家令というのは慣れ合うものでは無く、あの母王が異常であったのだ。
皇帝と総家令がほぼ愛人のような関係であるというのは無い話ではない。
五位鷺を王夫人にしようとしていた事も知っていた。
だが、母王は家令のみを伴い、正当な夫や子供達である自分達を置いて、離宮に移ってしまったのだ。
・・・だから、罰が当たったのよ。
母王と総家令が外国で暗殺された時も、そう思った。
驚きと怖さも勿論あったが。
天の采配に、ほら、やっぱり私が正しい。
そう思った。
自分が皇帝になるのが正当で相応しいのだと父もその一族も正しさを喜んだ。
今や皇太后となって久しい父だが、彼もまた他の離宮で過ごしており、自分に子供がなかなか授からないのだけが心労であろうと思うと心が痛む。
時折微風が吹き抜け、頬をくすぐった。
「・・・まあ、いい風ですこと。・・・突然の訪問をまずはお詫び申し上げます。陛下」
聞き覚えのない突然の女の声に、橄欖が体を起こした。
身につけているのは上質なものではあるが、随分とリラックスした格好をしている。
夫の留守中ちょっとそこまで用事に出て来た、良いところの奥方、という程の。
女官でもない、家令でもない。
勿論、貴族でもなかろう。
女官程着飾っても居ないし、家令服でもない。
宮廷において、装いというのは、身分や役割を表すものであり、それが信用ともなる。
それを欠いている以上、信用に足らない危険な人物という事だ。
「・・・何者ですか」
橄欖は感情を抑えた声で尋ねた。
「棕梠佐保姫残雪でございます」
彼女はそう言うと、にこやかに微笑んだ。
五位鷺の妻であり、蛍石との間の子の乳母だった女だ。
高貴なる人質として召し出され、今は背信罪で“ 温室送り”のはず。
なぜこの女がここにいるのか。
自分の目に入って良い存在ではない。
海燕が黙っているのを責めるように睨みつけると、残雪が首を振った。
「海燕をどうぞ叱らないでやってくださいませ。この子は陛下が大好きなのですから」
なぜお前にそんな事言われなくてはならないのだと腹が立った。
家令の動向や感情の一切等関与したくはない。
そもそも好きも嫌いもなかろう。
彼等の行動や感情のベクトルは常に自分に向いていて正しいのだから。
「・・・陛下、この度はお辛い事であったと聞き及びました」
橄欖は不愉快だわと小さく呟いた。
「お前にそんな事言われる身分ではありません。出て行きなさい」
しかし、女は怯まない。
黙ってこちらを伺う様子なのに、居心地が悪くなる。
なぜ、自分の場所で、自分がこんな思いをしなければならないのか。
「蛍石様にお顔立ちも指も似ていらっしゃいますね。・・・あの方も綺麗な手をしていらした。私も五位鷺もそれをどれだけ喜んだか」
愛おし気に言われて、橄欖はより警戒した。
「・・・陛下。きっとお体をお大切に。・・・蛍石様は、出産の際の傷をずっと痛めておりましたから」
疲れたり、暑さ寒さが厳しい時に、蛍石はよく熱を出した。
銀星を出産した新しいものではなく、昔、出産の際に腹部を切開した古傷が痛むらしい。
まだ若い彼女にとって度重なる無理な出産がどれだけ負担だったのかと、蛍石の傷だらけの小さな腹部を見ては残雪は何度も泣いた。
「・・・お前」
何なのと言おうとして、橄欖は、はっとして息を飲んだ。
もしや、と言う考えがじわじわと侵食して行く。
「・・・・お母様が、継室にも公式寵姫に出来なかった人間というのは、お前?」
残雪が頷いた。
2
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
青天のヘキレキ
ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ
高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。
上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。
思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。
可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。
お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。
出会いは化学変化。
いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。
お楽しみいただけますように。
他コンテンツにも掲載中です。
仔猫のスープ
ましら佳
恋愛
繁華街の少しはずれにある小さな薬膳カフェ、金蘭軒。
今日も、美味しいお食事をご用意して、看板猫と共に店主がお待ちしております。
2匹の仔猫を拾った店主の恋愛事情や、周囲の人々やお客様達とのお話です。
お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』
あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾!
もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります!
ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。
稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。
もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。
今作の主人公は「夏子」?
淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。
ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる!
古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。
もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦!
アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください!
では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ハレマ・ハレオは、ハーレまない!~億り人になった俺に美少女達が寄ってくる?だが俺は絶対にハーレムなんて作らない~
長月 鳥
キャラ文芸
W高校1年生の晴間晴雄(ハレマハレオ)は、宝くじの当選で億り人となった。
だが、彼は喜ばない。
それは「日本にも一夫多妻制があればいいのになぁ」が口癖だった父親の存在が起因する。
株で儲け、一代で財を成した父親の晴間舘雄(ハレマダテオ)は、金と女に溺れた。特に女性関係は酷く、あらゆる国と地域に100名以上の愛人が居たと見られる。
以前は、ごく平凡で慎ましく幸せな3人家族だった……だが、大金を手にした父親は、都心に豪邸を構えると、金遣いが荒くなり態度も大きく変わり、妻のカエデに手を上げるようになった。いつしか住み家は、人目も憚らず愛人を何人も連れ込むハーレムと化し酒池肉林が繰り返された。やがて妻を追い出し、親権を手にしておきながら、一人息子のハレオまでも安アパートへと追いやった。
ハレオは、憎しみを抱きつつも父親からの家賃や生活面での援助を受け続けた。義務教育が終わるその日まで。
そして、高校入学のその日、父親は他界した。
死因は【腹上死】。
死因だけでも親族を騒然とさせたが、それだけでは無かった。
借金こそ無かったものの、父親ダテオの資産は0、一文無し。
愛人達に、その全てを注ぎ込み、果てたのだ。
それを聞いたハレオは誓う。
「金は人をダメにする、女は男をダメにする」
「金も女も信用しない、父親みたいになってたまるか」
「俺は絶対にハーレムなんて作らない、俺は絶対ハーレまない!!」
最後の誓いの意味は分からないが……。
この日より、ハレオと金、そして女達との戦いが始まった。
そんな思いとは裏腹に、ハレオの周りには、幼馴染やクラスの人気者、アイドルや複数の妹達が現れる。
果たして彼女たちの目的は、ハレオの当選金か、はたまた真実の愛か。
お金と女、数多の煩悩に翻弄されるハレマハレオの高校生活が、今、始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる