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⌘3章 征服されざる眼差し 《せいふくされざるまなざし》
54.征服されざる眼差し
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日雀が宮城の兄弟子の部屋を訪れていた。
いつもカーテンを閉めているのに、今日は全て開け放ち、まだ肌寒いのに窓まで開いているようだ。
微風で、あちこちで書類の束が楽し気に踊っていた。
ペーパーウェイトがわりの雛芥子のデザインのタイルや、おかしな木彫りのカエルが書類の上に乗せられていた。
こうして私的なものを感じさせるような物事を仕事場に持ち込むのは今まで嫌いだったはずなのに、と不思議に思う。
「・・・十一お兄様、離宮を買うの?」
日雀は耳にしたばかりの話を確認した。
蛍石と五位鷺、そして残雪達が過ごした離宮は、現在皇太后の持ち物になっていたが、立地が不便であり、趣味に合わないとしてほぼ放置されていた。
当時を知る家令からしたら荒れ果てた離宮の様子に心を痛めるばかりであったが、最近十一が皇太后の代理人と離宮の譲渡について話していると聞いたのだ。
「まさか下賜はしてくれないだろうからな。ふっかけられたよ。あのジジイ。改修費も試算より倍はかかるな」
言葉の割にどこか楽し気な様子で、十一は言った。
何の為に?なんて今更だ。
残雪の為だ。
彼女と暮らす為。
十一は過去を再構築しようというのか。
日雀は俯たまま口を開いた。
「・・・陛下から、結婚しないなら指輪を返還しろと言われたわ」
「それが心配で来たのか。欲しいなら持っていればいい。陛下には申し上げておく」
宮廷所蔵のダイヤモンドの中でも、“征服されざる眼差し”という名前を付けれられた一級品だ。
大きさもだが、そのカッティングは見事なもので、光を細かく反射して、見るものを驚かせる。
そもそもは十一が最初の結婚をした際に、橄欖女皇帝が下賜したもので、離婚した元妻がなかなか返却しないでいるのを、日雀が分捕って来たものだ。
羨ましくて。妬ましくて。欲しくて。
でも、それは、果たしてこの指輪だったかと言われれば、違う。
「・・・そうじゃなくて・・・」
そんな事を言いたいわけでは無い。
そんな事を答えて欲しいわけではない。
どうしても確認したいことがある。
だって時間がない。
でも、これが決定的になるかもしれない。
だから怖くて仕方ない。
でも、お願い、と思いながら、そっと口を開いた。
「・・・ねぇ。・・・私で我慢してよ」
本来であれば、絶対に言いたくない言葉だった。
この自分が、ここまで譲って、懇願だなんて。
でも、どうやったって残雪には敵わない。
あの人間離れした女皇帝と、半端じゃない兄弟子に愛されたのも驚きなのに、あの女性はその倍愛した。
子供達を守り、更には、夫と恋人が命を落とした場所に行く為に、真冬の嵐の中、鉄砲一本担いで単騎で国境破りをして、復讐の為にまたしても仇の国へと乗り込んだ。
なんて無茶苦茶なんだろう。
そんな女、好きにならない方が無理というもの。
でも、それでも。
百歩譲って、情けないけど、もっと譲っても。
自分を選んで欲しかった。
十一は少し考えて、妥協点を提示した。
「・・・望むならば、どうなるかはまだ未定だけど、お前が伯爵夫人となる運びならばそれでもいい。肩書きが便利な事もあるだろう」
これが妥協点か。
彼はここまで譲歩して、自分にいい条件を与えるのか。
残雪との未来の為に。
泣き出しそうになるのをぐっと堪えた。
今や、“温室の薔薇“の身の上である残雪は、このままでは間も無く宮廷裁判にかけられて、真偽の程も定かではない凡例を引き合いに出され、一方的な裁きに合い命を落とすだろう。
十一が考えた出したのは、家令になるか、自分と結婚するか。
今更家令になるなど、あまりに非現実的。
ならば、彼女は、やはり十一と結婚、もしくはそれに近い状態になるしかない。
そもそも十一は貴族、しかも準王族のようなもの。
継室候補群の出の人間を、妻にも、継室にする事も可能だろう。
残雪はさすがに諾と言わざるを得ない状況だ。
残雪が断罪されて死ねば、棕櫚家はお取り潰し、ひいては銀星や春北斗の身の保証もない。
亡き大統領子息である、あの少年の生死もまた同様だ。
正式な夫人ではなくとも、残雪が十一の提案を断るのはあまりにリスキーだ。
提案というより、もはや脅しに近い。
どちらにしても、彼は残雪を離さないだろう。
女家令は宮廷の人間には決して見せないような不安そうな顔をして口を開いた。
「・・・十一お兄様、・・・私、日雀じゃないの。あの時、死んだのは日雀なの。・・・私は、山雀」
勿論、自分が望んだ事であり、意図してそう振る舞ったけれど、残雪以外は気付かなかった。
なのに今こうして兄弟子に明かすのは、自分がよくやる、憎らしいあまりの当て付けとか意趣返しではない。
この兄弟子を少しでも驚かせて、何と言うか聞いてみたかった。
しかし、十一は頷いたのだ。
「・・・知っていたよ。大変だったろう」
自分を労る言葉、何より本来の自分を分かってくれていたのかと、女家令は少しだけ目に喜びを浮かべたが、すぐに絶望に叩き込まれた。
「でも、まあ、どっちでも一緒だろ」
十一が、そう視線を投げて寄越した。
「実際、そう変わらないだろ。家令の役割として。・・・皇帝だってそうじゃないか?」
山雀は震えそうになった。
何と冷たい言葉だろう。
そして、気付いた。
「・・・廃太子様を擁立させるように動いてるのは十一お兄様?」
「さてね。でも、その方がいいんじゃないか?相変わらず総家令に報いもしない女皇帝は義務も果たせず、このままでは辛いだけだろう」
誰がこんな状況を喜ぶと言うんだよ。
ちょっと考えればわかるだろ。
「それに。俺は、陛下や皇太后の蛍石と五位鷺や、銀星、残雪への仕打ちも忘れてない」
十一はそう言った。
この人は。
女皇帝から最も信頼され愛されているこの人は、そう思いながらずっと彼女の一番近くに仕えていたと言う事か。
橄欖は、総家令の海燕すら押しのけて、十一を重用した。
そうすればそうするほどに宮廷で、彼女の孤立はいっそう深まって行った。
それを分かっていて、やっていたのか。
まるで、兄のように、いや、彼女達を守り慕う長年の恋人のように尽くしていたではないか。
ああ、一番囚われているのはこの人だ。
山雀は、小さくため息をついた。
自分の中の奥底で、長い間大切に抱えてた雛鳥を自分の手で殺してしまったような気分で悲しくて仕方ない。
けれど、と家令としての自分がまた解き放たれたようでもあった。
ああ、このままでは、終われない。
女家令がそっと爪を研いだ。
いつもカーテンを閉めているのに、今日は全て開け放ち、まだ肌寒いのに窓まで開いているようだ。
微風で、あちこちで書類の束が楽し気に踊っていた。
ペーパーウェイトがわりの雛芥子のデザインのタイルや、おかしな木彫りのカエルが書類の上に乗せられていた。
こうして私的なものを感じさせるような物事を仕事場に持ち込むのは今まで嫌いだったはずなのに、と不思議に思う。
「・・・十一お兄様、離宮を買うの?」
日雀は耳にしたばかりの話を確認した。
蛍石と五位鷺、そして残雪達が過ごした離宮は、現在皇太后の持ち物になっていたが、立地が不便であり、趣味に合わないとしてほぼ放置されていた。
当時を知る家令からしたら荒れ果てた離宮の様子に心を痛めるばかりであったが、最近十一が皇太后の代理人と離宮の譲渡について話していると聞いたのだ。
「まさか下賜はしてくれないだろうからな。ふっかけられたよ。あのジジイ。改修費も試算より倍はかかるな」
言葉の割にどこか楽し気な様子で、十一は言った。
何の為に?なんて今更だ。
残雪の為だ。
彼女と暮らす為。
十一は過去を再構築しようというのか。
日雀は俯たまま口を開いた。
「・・・陛下から、結婚しないなら指輪を返還しろと言われたわ」
「それが心配で来たのか。欲しいなら持っていればいい。陛下には申し上げておく」
宮廷所蔵のダイヤモンドの中でも、“征服されざる眼差し”という名前を付けれられた一級品だ。
大きさもだが、そのカッティングは見事なもので、光を細かく反射して、見るものを驚かせる。
そもそもは十一が最初の結婚をした際に、橄欖女皇帝が下賜したもので、離婚した元妻がなかなか返却しないでいるのを、日雀が分捕って来たものだ。
羨ましくて。妬ましくて。欲しくて。
でも、それは、果たしてこの指輪だったかと言われれば、違う。
「・・・そうじゃなくて・・・」
そんな事を言いたいわけでは無い。
そんな事を答えて欲しいわけではない。
どうしても確認したいことがある。
だって時間がない。
でも、これが決定的になるかもしれない。
だから怖くて仕方ない。
でも、お願い、と思いながら、そっと口を開いた。
「・・・ねぇ。・・・私で我慢してよ」
本来であれば、絶対に言いたくない言葉だった。
この自分が、ここまで譲って、懇願だなんて。
でも、どうやったって残雪には敵わない。
あの人間離れした女皇帝と、半端じゃない兄弟子に愛されたのも驚きなのに、あの女性はその倍愛した。
子供達を守り、更には、夫と恋人が命を落とした場所に行く為に、真冬の嵐の中、鉄砲一本担いで単騎で国境破りをして、復讐の為にまたしても仇の国へと乗り込んだ。
なんて無茶苦茶なんだろう。
そんな女、好きにならない方が無理というもの。
でも、それでも。
百歩譲って、情けないけど、もっと譲っても。
自分を選んで欲しかった。
十一は少し考えて、妥協点を提示した。
「・・・望むならば、どうなるかはまだ未定だけど、お前が伯爵夫人となる運びならばそれでもいい。肩書きが便利な事もあるだろう」
これが妥協点か。
彼はここまで譲歩して、自分にいい条件を与えるのか。
残雪との未来の為に。
泣き出しそうになるのをぐっと堪えた。
今や、“温室の薔薇“の身の上である残雪は、このままでは間も無く宮廷裁判にかけられて、真偽の程も定かではない凡例を引き合いに出され、一方的な裁きに合い命を落とすだろう。
十一が考えた出したのは、家令になるか、自分と結婚するか。
今更家令になるなど、あまりに非現実的。
ならば、彼女は、やはり十一と結婚、もしくはそれに近い状態になるしかない。
そもそも十一は貴族、しかも準王族のようなもの。
継室候補群の出の人間を、妻にも、継室にする事も可能だろう。
残雪はさすがに諾と言わざるを得ない状況だ。
残雪が断罪されて死ねば、棕櫚家はお取り潰し、ひいては銀星や春北斗の身の保証もない。
亡き大統領子息である、あの少年の生死もまた同様だ。
正式な夫人ではなくとも、残雪が十一の提案を断るのはあまりにリスキーだ。
提案というより、もはや脅しに近い。
どちらにしても、彼は残雪を離さないだろう。
女家令は宮廷の人間には決して見せないような不安そうな顔をして口を開いた。
「・・・十一お兄様、・・・私、日雀じゃないの。あの時、死んだのは日雀なの。・・・私は、山雀」
勿論、自分が望んだ事であり、意図してそう振る舞ったけれど、残雪以外は気付かなかった。
なのに今こうして兄弟子に明かすのは、自分がよくやる、憎らしいあまりの当て付けとか意趣返しではない。
この兄弟子を少しでも驚かせて、何と言うか聞いてみたかった。
しかし、十一は頷いたのだ。
「・・・知っていたよ。大変だったろう」
自分を労る言葉、何より本来の自分を分かってくれていたのかと、女家令は少しだけ目に喜びを浮かべたが、すぐに絶望に叩き込まれた。
「でも、まあ、どっちでも一緒だろ」
十一が、そう視線を投げて寄越した。
「実際、そう変わらないだろ。家令の役割として。・・・皇帝だってそうじゃないか?」
山雀は震えそうになった。
何と冷たい言葉だろう。
そして、気付いた。
「・・・廃太子様を擁立させるように動いてるのは十一お兄様?」
「さてね。でも、その方がいいんじゃないか?相変わらず総家令に報いもしない女皇帝は義務も果たせず、このままでは辛いだけだろう」
誰がこんな状況を喜ぶと言うんだよ。
ちょっと考えればわかるだろ。
「それに。俺は、陛下や皇太后の蛍石と五位鷺や、銀星、残雪への仕打ちも忘れてない」
十一はそう言った。
この人は。
女皇帝から最も信頼され愛されているこの人は、そう思いながらずっと彼女の一番近くに仕えていたと言う事か。
橄欖は、総家令の海燕すら押しのけて、十一を重用した。
そうすればそうするほどに宮廷で、彼女の孤立はいっそう深まって行った。
それを分かっていて、やっていたのか。
まるで、兄のように、いや、彼女達を守り慕う長年の恋人のように尽くしていたではないか。
ああ、一番囚われているのはこの人だ。
山雀は、小さくため息をついた。
自分の中の奥底で、長い間大切に抱えてた雛鳥を自分の手で殺してしまったような気分で悲しくて仕方ない。
けれど、と家令としての自分がまた解き放たれたようでもあった。
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