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⌘3章 征服されざる眼差し 《せいふくされざるまなざし》

51.天牢雪獄

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 夕食の後、春北斗はるほくとが持ってきたお菓子の箱を次から次に開けていた残雪ざんせつ十一じゅういちが声をかけた。
残雪ざんせつに与えられた部屋は、虜囚という立場なのに庭に続く大きなバルコニーのある日当たりのいい部屋で、昼間に十分に採光と暖気がされている為か、夜になってもほんのりと暖かい。
“身元お預かり“でお世話になっているわけだからと、私物を増やさないようにしているのだが、生活するとなるとなぜか色々増えていくのは困ったものだ。
現在不安定な身の上ではあるが、帰国出来たという安心感はやはり大きかった。
花鶏あとりが来たって?」
「そう。貴方でしょ、よこしてくれたの。立派になったわね。・・・でもあの子、生まれを知られて虐められたりしてない?」
廃妃と女官の不義の子であり家令になったという育成歴がどこかで知られてしまうかもしれない。
宮廷の情報網と陰湿さは変わらないのだろうから。
かつて、乳母として上がった宮城で、蛍石ほたるいしから下賜された美しい花梨の宝石箱エクランは壊され、子供達のベッドが燃やされた事は忘れ得ない記憶だ。
それ以外にも、度々、物を壊されたり、嫌がらせは多かった。
幼い頃に悲しい思いをしたあの少年がそんな目に遭っていなければいいけれどと、心配なのはそれだけ。
「まさか。あれは、はしっこい家令だもの。何かされたら十倍返しだ」
離宮から神殿オリュンポスに移って後は、尾白鷲おじろわしの近くで過ごす事が多かったから、あのいかにも女家令という姉弟子にしごかれたのが今に生きているのだろうか。
「感謝しているわ。離宮を出た頃、花鶏あとりも、蜂鳥はちどり駒鳥こまどりだってまだ小さかった。家令の子供というのは宮廷で生きていく人間の誰より早く大人にならなきゃならないと五位鷺ごいさぎに聞いてたの。でないと雛鳥なんてすぐに殺されてしまうからだって。・・・ちゃんと育ててくれてありがとう」
「・・・ちょっと育ちすぎだ。あいつら、悪さも一丁前だもの。蜂鳥はちどりなんて帰国早々に女官とやりあって、蓮角れんかくに血の気が多いからだって献血させられてた」
「それ効くの?・・・まあ、すごい」
残雪ざんせつは笑いながら十一じゅういちに菓子箱を見せた。
「見て。たぬきのケーキにひよこのおまんじゅう。カエルの形のゼリー。カブトムシの幼虫の形のお大福・・・。あの子、同じものを銀ちゃんにも送ったんですって。銀ちゃん大丈夫だったかしらね・・・」
今回も春北斗はるほくとのセンスが光っている。
「・・・五位鷺ごいさぎもこういう変てこなもん好きだったもんな・・・」
本物にしか見えない幼虫の大福を押し付けようとする残雪ざんせつに、十一じゅういちがやめてと身を引いた。
「変なものを送り合う仲間なのかと思ったら、銀ちゃんは春に、至極真っ当のきちんとしたものお返しに送ってくれるのよ」
残雪ざんせつがたぬきのケーキと紅茶を差し出した。
「・・・・不思議よね。時間が経つ事の早いこと」
留守にしていた三年で、春北斗はるほくとは彼女なりの人格で生き方を模索している様子を感じたし、しばらく会うことはできなかった銀星ぎんせいもすっかり青年になったのだろう。
今は進学して自然科学の研究をしているらしい。
優秀ですでにいくつか特許を取ったとか聞いた。
「努力家なのよね。・・・蛍に似てる」
彼女の面影を銀星ぎんせいに見つける度に嬉しくなる。
蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎももう居ないけれど。
まだ同じ場所で足踏みしている自分の周りではちゃんと川が流れ道が出来て、木が育って、花が咲いているような。
自分はそれを驚きながらも眩しく眺めているようなそんな気分。
ああ、時間が経ったのだ、と改めて実感する。
残雪ざんせつは小さく息を吐いた。
「・・・さて。私の扱いはそろそろ決まった?」
残雪ざんせつ十一じゅういちを見つめた。
十一じゅういちは観念したようにため息をついた。
「・・・棕梠しゅろ家及び棕梠佐保姫残雪しゅろさほひめざんせつを廷臣から除籍後に宮廷裁判、おそらく投獄」
「・・・おそらく投獄、死罪ね。・・・理由は聞ける?」
「A国において特定の行為に対する背信罪」
「・・・なかなかね。・・・私、人質になる事がみそぎになって宮廷から解放されるなんて言われていたけれどね。・・・私がこうですもの、フィンはどうなるの?」
神殿オリュンポスから身柄を移されてしまったら、国外追放もしくは投獄、もしくは死罪。もう存在しない体制に対して何かをする義務はないし、体制が崩壊した時点で平和条約の放棄とされ、高貴なる人質もまた同じく破棄したと見なされる」
「・・・・私が死んだら、棕梠しゅろ家で銀星ぎんせいを守れないわね。・・・下手したら、春北斗はるほくと共々、死罪ね」
女皇帝と元老院は、都合よく考えたものだ。
それだけは避けたくて、あの時、必死な思いで小さな子供を二人連れて国を出たのに。
暗い絶望が胸を締め付けた。
「・・・大きなものに巻き込まれて生きていくのって大変。・・・・貴方、尊敬するわ」
嫌味ではなく、心からそう思う。
「この書類を用意した」
残雪ざんせつは手渡された書類に目を落とした。
棕梠しゅろ家が廷臣からの離脱する事、その扱いは宮廷に委ねる事。
棕梠しゅろ家から佐保姫残雪さほひめざんせつは離籍。
この二つの承諾書。
「除籍される前に離籍しろと言うこと?・・・ここまでやって、何が保証されるの?何を担保に?」
「高貴なる人質、つまりフィン・アプソロンと・・・君だ」
十一じゅういちの意図を悟った残雪ざんせつが嘘でしょ、と首を振った。
十一じゅういちが更に、書類を二通手渡した。
東目張十一ひがしめばるじゅういち伯爵との婚姻届。
もしくは宮廷家令になるという契約宣誓書。
「・・・十一じゅういち、私、コリン・ゼイビア・ファーガソンと通じていたのも罪状の一つなのよ?」
「・・・知ってる」
わずかに痛みを感じたように十一じゅういちが言った。
「つまり、何?私は死にたくなかったら、貴方の妻になるか、今更家令になれと言うこと?」
「そうだ」
十一じゅういちが断言した。
「・・・アダム・アプソロンは二ヶ月前に裁判のないまま銃殺された。遺体は郊外の教会に吊るされたそうだ」
残雪ざんせつが息を飲んだ。
アダムと、そしてその妻子の顔が浮かび、胸が苦しくなった。
きっと、この父親の辛く悲しい最後を、あの少年は知ったのだろうと思うとやり切れなかった。
ああ、どうか。
あの気丈な奥方と可愛らしい娘がこのニュースをしばらく聞く事がないようにと願った。
「・・・コリンは?・・・何か知ってる?」
「コリン・ゼイビア・ファーガソンは平定隊として南西部に向かったが、国境近くにおいて、近隣国で組織された反乱軍と激突後、平定隊の全員が死亡したとの事だ。・・・結局、君の目的は達成できたじゃないか。革命軍の生き残りは勝手に死んだし、街は二日で丸ごと焼けた。そもそもの発火源は官邸に続く橋が爆破されたからだそうだ。雪がやったって?・・・千人殺しても足りないと言っていたが。街一つだ。千人じゃ足りないんじゃないか。・・・お見事と言えるよ、山猫」
改めて事実を並べられて、残雪ざんせつは言葉を無くした。
果たして、それは、自分にとって何だったのか。
「・・・まあ心残りは、最後の牡鹿おじかだとか言う、その革命思想団体の精神性中核である生き残りを直接撃ち殺せなかった事か」
蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎを暗殺した直接の犯人は処刑されているし、その背景に初期の革命に関わった人々も自分達の手で粛清断罪を始め、ほぼ残っていなかったのだ。
そこで、最終的に残雪ざんせつが絞った標的は二人だった。
アダム・アプソロンとコリン・ゼイビア・ファーガソン。
「・・・射程距離を詰め過ぎたのかしらね・・・だって、あの人、いつの間にかすごく近くにいて・・・」
でも、まだほんの、始まったばかりの関係だった。
いい年をしてと笑われるほどにお互いの傷や背景を感じながらも、少しづつ探り合い、お互いの共通点や違いを見つけて喜ぶ程の。
乱世においてはたちまち激しく燃え上がるような関係とか、何より強い結束が生まれるようなイメージだが、実際、その渦中にいた者は人との関係性に警戒してしまい感受性が鈍くなるのかもしれない。
それでも見つけた小さな灯のような、そんな気分だったのに。
指先から冷えてくのを感じたが、混乱したままそこから先は、胸が苦しくて言葉にならなかった。
十一じゅういちは無言のままの残雪ざんせつを抱き寄せた。
「・・・もうたくさんだ。何度、君を誰かのもとに送り届けなきゃいけないんだ」
「・・・貴方、何でも持ってるのに。何にでもなれるのに。何で私を欲しがるの?」
残雪ざんせつが責めるように見つめた。
「貴方は私に囚われる必要なんかないのよ」
自分で作った牢獄に、私も貴方も囚われてばかりいる。
なぜこうなったのか、引き返せば良かったのか、それはいつだったのか。
ほら、もうわからないほどだ。
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