高貴なる人質 〜ステュムパーリデスの鳥〜

ましら佳

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⌘2章 高貴なる人質 《こうきなるひとじち》

38.口当たりの良い甘い毒

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 十一じゅういちは届けられたばかりのワインの封を開けた。
グラスに注ぐと、貴腐ワイン独特の蜂蜜色に甘い芳香。
一口に含んで、蜜のように蕩けるように甘く、馥郁ふくいくたる香りを残して消えていく、そして仄かに鮮烈で野生的な味わいに感嘆の思い。
「・・・・やってくれたな・・・」
勿論これは称賛であるけれども。
A国の元首の妻が所有するワイン畑で醸造された初の貴腐ワイン。
その実は残雪ざんせつが手掛けたもので、今や彼女の実家が専売権を得ていた。
フィンの元にも母親からワインを煮詰めてアルコールを飛ばしたシロップで漬けられた果物の瓶詰めが山のように届いており、彼はどれほど心付けられた事だろう。
デスクの上の残雪ざんせつからの報告書と日報を眺めながら十一じゅういちがグラスを口に運んでいた。
蜂蜜色のワインは国際的な高い評価を得て、随分売れたそうだ。
自らの手でそれまでの文化産業を半分以上破壊してしまい、まだたいした産業も無い、常に国庫が空っぽに近いA国は随分潤った事だろう。
これは間違いなく残雪ざんせつの功績であり、引いてはフィンの立場も良くなるはずだ。
花鶏あとりはなかなか機転が利き、后妃きさき達の催しにフィンを連れ出して、彼の利となる人脈を得させている。
今やフィンは異国から来た小貴公子として宮廷で受け入れられていた。
難しい立場てはあるが、あの前向きさというのは眩しいものだ。
逞しさで言ったら残雪ざんせつが上だろうけど。
《希望の星の味、ご賞味されたし》とメッセージカードが付いていた。
ワインは希望の星という名をつけられたらしい。
残雪ざんせつから電話で顛末を説明され「実家の商社で販売する事になったから品物を送るから飲んでみて」と言われたのに「蜜のように蕩ける甘いワインにしてはだいぶ健康的なイメージの名前、まるでスポーツドリンクみたいな名前だ」と伝えた所「まあ不健全ね!これを陶酔とか背徳と思うのはアナタの資質よ?祝福とか希望とか、そういう風に思ってちょうだい。アナタこれはね、熊の学校でもありそうな、本当に信じられないほどの山奥で、奥様の健気な努力が実を結んだ結果なの!内助の功よ!」と説教をされた。
しかし、確かに希望の星とは、まさに波乱を越え未来を掴みたいA国に一番必要なものだろう。
しばらくすると蓮角れんかくが入室の知らせをして入って来た。
高貴なる人質の随伴としてA国に赴いた娘と息子から話は聞いている事だろう。
「ああ、良いところに来た。蓮角れんかく、雪からワインが届いた。尾白鷲おじろわし姉上にも届けてくれ」
「あら!話題の希望の星ね!」
グラスを渡すと蓮角れんかくは、ぐっと煽り、目を輝かせた。
「なんていい香り。お姉様も喜ぶわね!・・・神殿オリュンポスに酒類を持ち込むの?」
「・・・まあ、大丈夫だろ。参道あたりまで降りてこりゃ」
「神官が参道で酒飲んでたら外聞が悪いわよ。・・・それはそれとして。・・・十一じゅういち、ご案内したのだけど・・・」
蓮角れんかくが声を落とした。
ドアに女性の姿があった。
「よろしいかしら?」
可憐な薔薇ばら色のドレス姿で、可愛らしい小犬を抱いて、畳んだ日傘を花束のように持っている。
最近の宮廷の貴族の間で流行りの犬種。
雨でも無いし日差しも強くは無いが、小ぶりの華やかな傘を室内で持つのも流行らしい。
蓮角れんかくは、この貴婦人は本当に薔薇の花のように可憐な女性だと思った。
内廷の十一じゅういちの部屋まで来れるのだから、王族筋の女性である事が明らかだし、更に言えば彼女は十一じゅういちの妻である。
信じがたいが、この兄弟弟子は初婚のほぼ新婚だ。
「・・・ああ、陛下のお招きかい?」
「ええ。陛下に、園遊会ティーパーティのお話をお聞きしにね」
そう言うと、ソファに座る。
「来月でございますね。準備も進んでおりますから、お楽しみくださいますように」
蓮角れんかくが、礼をして退出した。
「・・・マダム、ごきげんいかがかな。・・・家令の部屋なんかに来てはいけないよ」
妻を名前ではなく敬称で呼ぶのは貴族の習慣だ。
「貴方のお部屋だわ。お帰りにならないし、なかなかお会い出来ないから来てみたの」
十一じゅういちはそう言えばそうかと思い出した。
結婚と同時に用意した邸宅には、しばらく訪れて居ない気がする。
「ああ、すまなかったね。明日にでも行ってみるよ」
「・・・行ってみるではなく、貴方のお帰りになる場所でしょう?・・・皆が言うように陛下のせいなの?」
橄欖かんらんが、お気に入りの彼をなかなか手放したがらないのは知っている。
女皇帝は妊娠7ヶ月に入ってから、友人と小旅行に出かけた先で、夕食後に突然に早産で分娩を果たしたが、その子は朝を迎えられ無かった。
家令の蓮角れんかくではなく、懇意にしている友人の医師ドクターを伴っていたが、失意のあまり橄欖かんらんは、その医師ドクターを処罰し、子の父親である二妃を廃妃にした。
それ以降、女皇帝は情緒不安定になる事が多くなり、以前にも増して十一じゅういちを重用する事が多くなった。
総家令の海燕うみつばめを差し置いてのその振る舞いに、女皇帝は、総家令補佐の十一じゅういちを王夫人にでもするつもりではないかと口さがない面々は噂している。
十一じゅういちとしては、こんな悪ふざけのような噂話に、大事な弟弟子であり未来のある海燕うみつばめが巻き込まれなくて良かったとすら思う。
「・・・陛下より、あの傷物の女家令日雀より、私を選んだのは貴方よ?それでも貴方がいらっしゃらないのは、私がなかなか子供が出来ないから?」
一年以上経つがその兆候は見られない。
十一じゅういちが首を振った。
「そんな事あるわけがない」
優しい言葉に、紗和さわは一瞬、ほっと微笑んだ。
「では、なぜ?ご理由が陛下でも無いなら」
夫とのこの距離はなんだ。壁はなんだ。
自分に至らないものというのは何なのだろう。
「妻として、女性として、君が満たない物なんて何もないよ」
「じゃあ、貴方、なぜ・・・」
余計分からないと顔を上げ、視線を合わせて、一瞬押し黙った。
答えを得たのか、彼女は顔色を変えて立ち上がりそのまま部屋を出て行った。
君が満たない物なんてない。
ただ、君じゃ自分は満たされ無い。
そう言う事だ。
ドアの外で見送りの礼を済ませた蓮角れんかくが口を開いた。
「・・・呆れたことね。アンタ、そのうち刺されるわよ」
「貴族なんか、家令なんかこんなもんだろう?自分だって、さっさと八角鷲はちくまと関係を解消してお互い好きにやってるじゃないか」
痛い所をつかれて、蓮角れんかくは、何か悪態をついて、箱に手を伸ばした。
「2本、いえ、5本程頂いておくから。それから、雪様にお礼状書くついでに告げ口しておくわ」
蓮角れんかくがワインを木箱から5本取り出して部屋を出ていった。

 関係が決定的になったのは、十一じゅういちの妻が、彼の所有する愛馬を友人に譲り渡そうとした事。
弟弟子の八角鷲はちくまから連絡を受け、白魔はくまという名前をつけられたその見事な黒毛を迎えに来た十一じゅういちが、惨々たる有様の厩舎を眺めた。
無類の馬好き、馬気違いとして有名なある貴族の邸宅の一角。
あれ程の気難しい馬の引き取り先はここであろうとは思ったが、彼でもやはり手を焼いたようだ。
自慢の厩舎のあちこちが壊れ、乱れ、壁には血の染みが付いている。
紗和の友人の貴族である渡会井播磨とかいはりまが、慌てて近付いて来た。
彼は、妻同様、女皇帝の取り巻きの一人。
個人的にそれほど交流は無いが、同じ階級に属している訳で当然知らぬわけでは無い。
「全く困ったものだ。早く引き取ってくれ」
蹴り飛ばされ、更にあちこちかじられて馬丁が二人骨折したらしい。
東目張卿ひがしめばるきょう、一体、あれはどう言う馬なんだ・・・」
「繁殖の時期でなくて良かった。彼女はすでに牡馬ぼばを二頭蹴り殺していてね。第三の被害者が出る所だった。競走馬になれなくて軍馬になった牝馬レディだよ」
「なんだそれは!?化け物か!?」
「しかし、私は何も知らされていなくてね。手離すつもりは無かったのだけど」
そう言うと、播磨はりまは気まずそうに舌打ちをした。
「・・・卿、私も知らなかった事であったとは言え、どうかこの事は陛下には内密にして欲しい。・・・これでは、ご夫人の立場もよろしくはないだろう」
女皇帝が、貴族家令の十一じゅういちにご執心なのは誰もが知る所だ。
妻とは言え、彼の財産を無断で処分しようとした等、まずかろうと言う事。
「ああ、そのようにしよう。二人も負傷させているのに、殺さないでくれて、感謝ばかりだ。世話をかけて申し訳ない。怪我人はこちらで治療させて頂けないだろうか。典医の蓮角れんかくを寄越すから」
播磨はりまは逆に礼を言われて面食らった。
「宮廷の御典医をと言われれば、ありがたい話だ。・・・実は、相談がある。・・・母の容体が思わしく無い。一度、御典医に診て頂くことは可能だろうか」
彼は、母親が病を得て長く無いとは言われているが、全ての治療も拒否してただ伏せっている様子がどうにも辛いのだと言った。
「・・・そうだったのか。それは心配な事だろう。ぜひ近いうちに診察を受けて欲しい。あの姉妹弟子きょうだいでしが力を尽くすだろう」
十一じゅういちの申し出に、播磨はりまが礼を言った。


 十一じゅういちはすっかりご機嫌を損ねたらしい愛馬に近寄った。
「・・・大変苦労をかけたな。今度は人間の雄を二人殺し損ねたって?お前、やっぱり馬じゃないんじゃないか?とてもじゃないが草食ってる生き物とは思えない。本当は虎とか、やっぱり山猫なんじゃないか?」
八角鷲はちくまが馬運車の用意が出来たと伝えに来た。
冷暖房完備、新開発のサスペンションで揺れも大幅軽減。
大好きなリンゴもパイナップルもセロリも角砂糖も山のように用意され、VIP待遇。
黒毛の牝馬は、馬運車を覗き込み、まあ、それならば顔を立ててやらんでもない、と諾々とした様子で歩き出した。

 その数日後、十一じゅういちが、妻と離婚を正式に申し立て、女皇帝によってその日のうちに決済された。
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