上 下
18 / 62
⌘1章 雲母の水底 《きららのみなぞこ》

18.水の波紋

しおりを挟む
 しばらくすると、仔犬のような子供達が窓辺に集まってきた。
皆、飴の色素で口のまわりや舌がぎょっとする程に赤や緑色になっている。
彼らの感性によるりんご飴を食べた感想を興奮しながら感激を口々に話して、礼を言った。
「子供にとったら、でっかいリンゴ丸ごと入ってる飴なんていいアトラクションだもんな」
五位鷺ごいさぎが笑った。
いつもは小憎らしい妹弟子や弟弟子も年なりに見えて、十一じゅういちは更に驚いた。
少年がずいっと食べかけのりんご飴を見せた。
十一じゅういち、ありがとう。これすごいよ」
蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎの息子の銀星ぎんせいだ。
女皇帝の愛し子、総家令のくだんの子、と宮廷では陰に言われている。
女皇帝が、正統な后妃きさきとの子供達を全て退けて、次の皇帝にと望んでいるのだ。
当然、噂にも反感にもなる。
しかし、今、彼に思うのは、将来への不安や、それに打ち勝つ強さを願う気持ちより、聡明さ、思慮深さにはっとする。
何よりその子供らしさに、ちゃんと育っているのだなと感動すらするのだ。
これは、王族や家令の子供にはあまり無いものだ。
もしかしたら、蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎも自分も、本来こうであったかもしれない等と十一じゅういちはふと思う。
きっと五位鷺ごいさぎも同じように感じたのではないだろうか。
だからこそ、自分では無い何か、などと言う家令として禁忌のような事を考えたのではないか。
さらに言えば、春北斗はるほくとは産まれっ放しで自由に育っている。
これはきっと残雪ざんせつの子供時代もこうだったのだろうと思うと可笑しい。
「・・・これは小太子。お楽しかったなら何よりでしょう」
銀星ぎんせいを抱き上げると、小さな太子は十一じゅういちの口に飴をつっこんだ。
口の中で飴が派手に弾けて驚いた。
「な、なんですか、これは?!爆発した!火薬じゃあるまいし、こんなもんを人間が食べていいわけないでしょう?!どういう事だ、これは?!」
弾けるってこの事か、と十一じゅういちは、やっと理解した。
「面白いでしょ?高圧で炭酸ガスを閉じ込めて作るの。口の中で溶けると中の二酸化炭素が弾ける仕組み」
残雪ざんせつが、蛍石ほたるいし春北斗はるほくとと共に窓越しに姿を現して言った。
蛍石ほたるいしが慌てる十一じゅういちを見て大笑いしていた。
「春、見てよ!あのコウモリ、おかしいったら!」
蛍石ほたるいし春北斗はるほくとが窓を乗り越えて部屋に入ろうとするのを手伝ってやり、五位鷺ごいさぎに抱き上げさせた。
「どれどれ。おー、すごい。春、口ん中が真緑になってるな」
それが堪らなく楽しいのだと春北斗はるほくとが言った。
春北斗はるほくとが足をばたつかせたのに十一じゅういちが駆け寄った。
「ああ、全く、離宮とは言え行儀が悪い。靴を脱ぎなさい」
「靴なんて履いてないもん」
言われて見れば子供達も、残雪ざんせつ蛍石ほたるいしまでもが裸足だ。
「どうせまとめて丸洗いするもの」
残雪ざんせつは洗濯物のように言う。
「靴を履きなさい。足の怪我は大事になる可能性がある。怪我でもすれば、蓮角れんかくを呼んで破傷風の注射をしなくてはいけないよ」
小さな怪我が命取りになる事だってある。
注射は嫌だ、と子供達が抗議の声を上げた。
「ねえ、嫌ねえ。こうるさいわねぇ、十一じゅういちは」
蛍石ほたるいしが煩わしそうにむくれた。
蜂鳥はちどり駒鳥こまどりも現れ、女皇帝に同意して兄弟子の十一じゅういちがいかに性格が悪いか、ある事ない事吹聴している始末。
全くこの有様では、こいつら宮廷になど戻れそうにないと十一じゅういちはため息をついた。


 かわいそうに。
夜も更けたベッドで、残雪ざんせつがため息をついた。
大人の手のひらくらいの大きさの花鶏あとりの胸の火傷痕を思い出す。
まだ体の小さい幼児には大変な怪我だ。
特に火傷は、体に対して表面積が広いほど生死に関わる。
「・・・痛かったでしょうね」
「ああ、かわいそうに。泣かないで、雪」
蛍石ほたるいしが忌々しそうに口を開いた。
「皇后がやったの?それとも女官?」
調べさせて罰するべきねと女皇帝は総家令と目配せをし合ったが、残雪ざんせつが首を振った。
「・・・言ってしまえば、悪いのは、結局、周りの人間全員よ。その中に、私達もきっといるわ」
残雪ざんせつが呟いた。
あの幼子の胸の傷を見た時、さっと血の気が引いた。
花鶏あとりは、自分達のこの暮らしを得るための犠牲者ではないか。
「雪のせいじゃないわ」
蛍石ほたるいしは慌てて残雪ざんせつの頬を撫でた。
「・・・私が、貴女の夫や子から妻や母を奪ったのは間違いないわ」
その罪深さに身がすくむ。
蛍石ほたるいしは困ったように首を傾げた。
残雪ざんせつがどうしてそこまで気にやむのかがわからない。
育った環境、与えられた役割。その中で振る舞った結果。
ただ、それだけではないか。
きっと、お互いに共感しづらいものを挟んで対峙して戸惑っている。
きっと、自分も残雪ざんせつも少しづつ間違っていて、少しずつ正しいのだ。
そこまで考えられるようになっただけでも、蛍石ほたるいしは変わったのだ。
今までは、感じもしなかった。
残雪ざんせつと出会ってからは、悲しむから、対処していただけ。
彼女の抱えるものが何なのかまだ理解した事はない。
いつかこのもどかしい違和感は解消されるのだろうか。
それともこの違和感ゆえに、別離という未来がやってくるのだろうか。
蛍石ほたるいしの戸惑いを察して、残雪ざんせつが恋人と夫を抱きしめた。
「愛しているわ、大好きよ。貴方達が大好きよ。おチビちゃん達の事も、大好き」
でもいつか、これは終わる。
このままこうしてずっと自分たちだけ楽園のような生活はできないだろう。
それがわかるのが悲しいのだと残雪ざんせつは言った。
その時は多分、決して穏やなものではないだろう。
だって、私は、我々はこんなに幸せで、こんなに罪深い。
違和感は不安となり罪悪感となり、雨粒が落ちた水面の波紋のように広がっていく。
五位鷺ごいさぎもまた戸惑っていた。
残雪ざんせつの苦悩は、自分達の立場の環境の差だとしたら、お互い異文化のようなもの。
歩み寄る事は出来ても、本質から理解する事は出来ないものなのかもしれない。
いや、歩み寄るどころか、残雪ざんせつを丸呑みにして来たのは自分達側だ。
罪悪感を感じながら、五位鷺ごいさぎ残雪ざんせつの頬に唇を寄せた。
「雪がなんでそう思うのかはわからないけれど。我々は雪に愛される方が大事。この暮らしを守りたい。続けたい。その為にはなんでもする。初めて誰かの伴侶となり、親になったのだから」
それは蛍石ほたるいしが驚くほどの、精一杯の彼の本音だった。
いつも本音を見せない腹黒さは彼の利点でもあり欠点でもあるから。
「雪、気に病まないで良いのよ。どうせこの男は地獄行き。私もそう。でもね、雪は違うんだから。そのままでいればいい」
残雪ざんせつが慌てて涙を拭いた。
「駄目よ!なら私も行く」
それこそ駄目だと蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎが叫んだ。
そこから、いかに地獄とは凄惨な場所なんだから考え直せというような説得が始まった。
やっぱりそういうのって本当にあるの?という残雪ざんせつの問いはかき消されてしまった。
その騒ぎに、隣の子供部屋で寝ていた銀星ぎんせい春北斗はるほくと蜂鳥はちどり駒鳥こまどり花鶏あとりも起きてしまったようだ。
銀星ぎんせい春北斗はるほくとがドアからひょっこり顔を出した。
「・・・ああ、うるさくしてしまったね。ごめん」
五位鷺ごいさぎが近づくと、春北斗はるほくとが飛びついて、何か小声で囁いた。
「・・・腹が減ってしまったか・・・」
五位鷺ごいさぎが困ったように振り返ると残雪ざんせつが笑った。
「いいわ。どうせすぐはまだ寝れないでしょう。お夜食パーティーにしましょうよ」
子供達は歓声を上げて、リビングに向かった。
「ねぇ、雪?この間、ご実家から頂いたシャンパンね。あれ開けるのはどうかしら」
「いいアイディアですね。クリスマスのフルーツケーキの残りもまだあったよね」
「シャンパンもケーキもあるわよ。フルーツゼリーやハムやパテもお出ししましょうか?」
パーティーだ!と子供達よりも嬉しそうにして蛍石ほたるいし五位鷺ごいさぎ残雪ざんせつの腕を取った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

青天のヘキレキ

ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ 高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。 上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。 思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。 可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。 お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。 出会いは化学変化。 いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。 お楽しみいただけますように。 他コンテンツにも掲載中です。

仔猫のスープ

ましら佳
恋愛
 繁華街の少しはずれにある小さな薬膳カフェ、金蘭軒。 今日も、美味しいお食事をご用意して、看板猫と共に店主がお待ちしております。 2匹の仔猫を拾った店主の恋愛事情や、周囲の人々やお客様達とのお話です。 お楽しみ頂けましたら嬉しいです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【完結】側妃は愛されるのをやめました

なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」  私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。  なのに……彼は。 「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」  私のため。  そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。    このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?  否。  そのような恥を晒す気は無い。 「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」  側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。  今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。 「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」  これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。  華々しく、私の人生を謳歌しよう。  全ては、廃妃となるために。    ◇◇◇  設定はゆるめです。  読んでくださると嬉しいです!

処理中です...