宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第9章

ふくごの郷⑨川遊び

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 「月衛!氷だ。口に含め」

 ぴとっと唇に当てられる、冷たい感触。

 「…こんな時期に…氷?」

 月衛が気怠げに瞼を開く。それほど暑くないはずの麻田村だが、今朝からは酷く気温が上がっている。谷間の村には特に熱が溜まるようだ。

 「ああ。氷室があると聞いてな!分けてもらった」

 月衛が、この暑さで倒れてしまったのだ。

 「久しぶりだな。君が倒れるなど」

 烈生が手際良く手拭いを絞って、月衛の額に乗せた。神島を出てからはかなり丈夫になっていたのだが。

 「…雲行きがよくなくてな」

 ふぅ、と月衛が息をつく。烈生が庭に目をやった。日照りと言ってもよいほどの夏日が差している。

 「妖しい“雲行き”の方か!やはり、この村には悪鬼が巣喰っているのか!?」

 烈生が身を乗り出す。いっそう強く輝く、金色。

 「“悪鬼”…というか、それ自体に意志や人格があるわけじゃない。ただの“力”だ」

 「“力”…?」

 烈生が瞳を瞬かせる。

 「“気”でも“波動”でも “エネルギー”でも、呼び方は何でもいい。地に流れ、木に吹き上げ、天を巡る。それを、地上の生き物が共振し、増幅させる。善いも悪いもない」

 月衛が布団から起き上がって、帳面を広げる。ぐらついたところを烈生が支えた。月衛の背中に回って座り、背もたれ代わりになって抱きかかえる。

 「その力の方向性を定め、性質を与えるのは人の“念”…想いだ。使い方、とでも言おうかね…」

 「つまり…」

 烈生の手が、拳をグッと握る。

 「力を悪用する悪い奴が、この村にいるということだな!?」

 「…まぁ、君がそう纏めるなら、それでいい」

 ゴチャゴチャ言わず、物事を直截に捉えるのも一つの才であろう。

 「ここの神社の祭神は、木花咲耶姫。桜の女神とも、かぐや姫の原型だとも言われている。安産の神でもあるから、福を産む花の神だというふく姫伝説とも一致するな」

 「ほう…」

 烈生が、相槌を打つ。

 「ただし、木花咲耶姫は大地母神的な性格の女神じゃない。それに変性意識状態の巫女に神を降ろして神託を得るという儀礼は、神道よりも土着的な巫術に近い…。つまり、この神社は後付けで建てられたもので、基層はもっと旧い、精霊崇拝なんじゃないのかね」

 月衛が村長宅の古文書から要点を抜き書きした帳面をめくる。

 「それで、古代の形を残していると…?」

 烈生が帳面を覗き込む。

 「…そこが、どうも合点がいかないんだ」

 月衛が苦しげに息をついた。烈生の手が、労るように月衛の胸をさする。

 「この手の過酷な風習は、時代を経るにつれて象徴化されて、穏健になっていくものなんだが。生贄の代わりに人形を奉納する、とか、それこそ、村の娘を女神に見立てて、好いた男と一夜の契りを交わすだけの形に変わる、とか。聖娼の慣習だって、大抵は2世紀頃までの話さ。それがなぜ、この村では残っているのか?」

 「穏健化しなかった理由が何かしらある、ということか?」

 烈生の生気に溢れた声が、月衛の耳に流れ込む。

 「ん…あるいは…穏健化していたものが再度、原形に回帰した…か」

 月衛の手が帳面をめくる。

 「これらは、代々の村長――花守の記録だ。これによると、人間の娘をふく姫に充てる代わりに人形を奉納していた時期もあるんだ。たとえば、この年には“適格者ナク”と記載されている」

 「じゃあ、お菊は…!村長に人形で済ませられないか交渉して…」

 烈生が勢い込んで乗り出す。

 「いや、事はそう簡単には済まない」

 月衛が、鉛筆で帳面を叩いた。

 「社会が原理主義に回帰するときには理由があってね。外力に曝されて危機に陥る時に回帰しやすいんだ。こういった過酷な風習も、社会に衝撃を与えて、外力に対抗する“力”を引き出そうとするものさ。
 例えば、のんびり歩いているところに突然暴漢が襲ってきたら…逃げるにしても闘うにしても、一気に身を守るための力が湧き出るだろう。それと同じだ」

 月衛が、帳面に何やら人の図を描いた。

 「人形を奉納して済ませるのは、のんびり歩いている状態だ。儀式によってちょっとは気が改まるが、すぐに普段の生活に戻る。ところが、生贄が実際に命を奪われるのを見たり、人間を犯したりすれば…、贄の衝撃が周りにも共振して伝わる。その衝撃で力を引き出す」

 矢印を描き足す。

 「これを欲する限り、今、人形で代替したとしても、お菊を村に残せば、いずれ何らかの形で犠牲になる」

 「じゃぁ…どうすれば…俺たちには何もできないのか!?」

 「村ごと吹き飛ばす策なら、ないわけじゃない。のんびり、ぶっ倒れているわけにはいかないんだ。…烈生。頼まれてくれ」



 「こっちだ!」

 烈生は月衛を抱きかかえて、麻田村に降りてきた峠から真反対の村はずれに向かっていく。しばらくいくと、ちょっとした雑木林の中に石段が現れた。烈生が早朝の走り込みで見つけたのだ。

 「…かなり、しっかりした造りだな」

 石段を降りると、石畳の道に出た。緩やかな坂を下ること10分。木々の間を抜けると、そこには川が広がっていた。

 「まさか、村の奥に川があるとはな!驚いたろう!?」

 烈生が闊達に笑う。木陰を選んで、そっと月衛を降ろした。

 「この辺りでいいか?」

 「ん…ありがとう」

 さらさらと川の流れる音。川面は強い陽を反射して燦めいている。水の流れに沿うように、そよ風が吹く。葉擦れの音。土と緑の匂い。

 ――“流れ”がいい。

 月衛が呼吸を深くする。吸っては吐く、白い横顔。ふと視線を感じて目を上げると、烈生が、なんとも言えない顔つきで見ていた。ふ、と薄い唇が微笑む。

 「おいで、烈生…。一緒に休憩しよう」

 ゆらりと伸ばされた白い手に誘われるまま、烈生が月衛の隣に寝転んだ。月衛が烈生の背中に手を回し、身体を沿わせる。

 「その、いいのか?君が弱っているのに」

 「ん…。君の放つ光は、すごく良い。金色に輝いている」

 けして萎れず弛まず、燃え盛るような心が放つ、光。

 「抱いてくれ…。心を共振させるのに、一番いいんだ」

 発声一つでも、目線一つでも、人はお互いに力を伝え、共振し合う。性交など、その最たるものだ。強烈に昂ぶった心が生々しくぶつかり合うのだから。

 「月衛!」

 烈生が月衛の華奢な身体を掻き抱き、唇を奪った。ここ数日は、村田を気にして充分に月衛を抱けていない。いきおい、烈生の唇にも熱がこもる。

 「ん…、あっ…烈生…」

 白い首筋に吸い付き、舐める。切なく、甘く呼び掛ける声が、さらに心の火を煽り、熱を掻き立てる。

 「君は…狡い」

 烈生が呟いた。

 「こうやって、俺を煽っておいて、心の最奥には入るなと言う」

 愛している――月衛に禁じられた言葉を、殊更に口に乗せて囁く。

 「だめ…。あ…っ」

 烈生の掌が、浴衣の裾を開いて月衛の肌をまさぐった。

 「君が何度止めても、俺の気持ちは変わらない」

 指が、好いところを探すように動き回る。月衛は細い腰を震わせ、啼き喘ぐ。

 「君が百回止めるなら、俺は百一回、愛していると言う」

 月衛の脚を持ち上げ、内腿の柔肌に口付けた。白い膝が痙攣し、可憐な唇が空気を求める。

 「百二回止めるなら、百三回言おう」

 月衛の肌を、言葉を刻みつけるように甘噛みする。

 「百四回、百五回…君に伝わるまで」

 烈生は、月衛を宥めるように舐め、吸い付いた。

 「愛している…月衛」

 「は…っ…あ…っ…」

 水紋が広がるように、月衛の身体に金色の熱が広がっていく。

 「…めげないな、君も」

 月衛が、烈生の頭を抱き寄せた。

 「それが俺だからな!心の火は誰にも消せん」

 烈生が闊達に笑う。その頬を白い手が包み、口づけた。

 「この季節には、少々熱すぎるな。冷ましてこよう」

 月衛が口の端にいつもの笑みを浮かべ、するりと烈生の腕を抜けて立ち上がる。

 「君…っ」

 すんなりとした白い裸体が川へ向かった。

 「中を見てみる」

 一言言い置いてザブザブと入っていく。膝くらいの浅瀬からしばらく行くと、ぐっと水深が深くなっていた。

 ――充分だな。

 ふと横を見ると、川面からの光にさえ金に燦めく暗赤色の髪。烈生が追ってきていた。鳶色の瞳に、藍色がくすりと笑いかける。捕まえようとした腕をすり抜けるように白い裸体がひらめいた。烈生だって、水泳は苦手な方じゃない。精悍なふくらはぎが水を蹴り、しなやかな身体を追う。川面から射し込む陽が青緑の水中に幾筋もの柱を立てている。月衛がちょいと息継ぎして川底へ向かう。烈生も息継ぎをして追いかけた。
 川底を撫でたり、また少し先へ行って。何やら観察している風の月衛の身体を、逞しい腕が抱きすくめた。振り返る月衛と唇を合わせる。こぽりと泡が漏れ、川面へ上がっていった。白い身体を、もう離さないとばかりにしっかりと捕まえて、烈生が上へ向かう。

 「君!危ないだろう!」

 河原に上がると、開口一番、烈生が叱った。

 「自然での水泳は、二人組が基本だ!」

 「ああ…。君なら追ってくると思って」

 くすりと笑って、月衛が腰掛けた。河原の石は程よく陽が当たり、水泳後の身体を温めてくれる。

 「何を見に行ったんだ?」

 烈生も、隣に腰掛ける。

 「水深と、川底の造り。あの水深なら充分だ。ちょっとしたモーターボートも着けられる」

 月衛が、きゅ、と髪を絞った。白いうなじが濡れて艶めいている。

 「川底も、石を嵌めて整備した跡があったよ。少なくとも、かつては交通手段として使われていたはずだ。その気になれば、現在でも使えるだろうな」

 「つまり…君の気にしていた、物流が!?」

 咄嗟に、月衛の唇が烈生の口を塞ぐ。白い腕が烈生の首に回って、月衛が正対して烈生の懐に入り込んだ。

 「…こうやって話そう。君は、声が大きすぎる」

 ちゅ、ちゅ、としばらく口づけを交わす。

 「瑞穂町のオヤジさんは、麻田村を、もともと寒村だったと言っていたが…」

 月衛が烈生の耳元で囁く。

 「おそらく、それは、交通が陸路に切り替わってからの話だ」

 文明開化以降、急速に東京府を中心とした鉄道網が敷かれたが、それ以前は川や海といった水運が物流の中心だった。麻田村も、川から入るなら、石で整備された道を15分程度歩けば着く。むしろ、かつては瑞穂町ヘ到る山道の方が裏手だったのかもしれない。

 「この辺りの鉄道が開通したのが、だいたい20年前…。それが麻田村を困窮させる外力となった可能性が強い」

 熱い唇が月衛の鎖骨を這う。甘く湿った吐息が漏れた。

 「そこで、ふく姫に人間を充てるように回帰した…現ふく姫だな。そして、ここ3年ほどの麻田村の繁栄は、水路を再活用し始めたからか」

 烈生が、月衛の身体を抱き寄せ、極力声を潜めて囁く。

 「そう。水路の繋がる先は日本海」

 月衛が、烈生の耳朶を舌でなぞった。次いで、耳朶を口に含み、優しく吸う。

 「残る謎は、何を出荷して金に換えているのか…」

 烈生が、月衛の頬に口づけた。

 「神格化された“金の花”、“金丹”、死に到るほど幸福な夢…俺の予想が正しければ、現代のこの村は、とんでもない爆弾を抱えているよ」

 藍色の瞳が、剣呑な笑みを浮かべた。
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