宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第10章

ふくごの郷⑩銀螺、動く

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 「きゃぁ~!銀螺様!!」

 「お会いしとうございました!」

 キャバレー「赤風車」のホールにて。流行最先端の膝丈ドレスを着たモダン・ガール達が駆け寄ってくる。

 「よゥ、宮に紫、蔓!元気にやってるか?」

 銀螺がホールに面したボックス席の長椅子で腕を広げた。

 「はい!おかげさまで!」

 宮と蔓が、広げた腕の中に飛び込む。紫が微笑んで、長椅子に腰掛けた。

 「ときに、付きまとってたってェ男はどうした?もう大丈夫か?」

 銀螺が、愛おしげに宮の額に口付けた。

 「はいっ!銀螺様の教えてくださったように、布団に引きずり込んでから3人で押さえてキンタマ潰してやりました!!」

 「泣き喚いて飛び出して、以来、顔も見せないよね」

 「せいせいしたわねェ」

 女給を務める宮に、しつこく絡んでくる男がいたのだ。

 「フハッ!だろ?女だと思ってナメてかかる奴には、当の女からこっぴどい目に遭わされるのが一番効くんだよ」

 銀螺が悪戯っぽく笑った。

 「銀螺様」

 ギャルソンが丁寧に一礼する。

 「お部屋の用意が調いましてございます」

 「おぅ。3人とも今回は獅子奮迅の働きだったってな。来いよ。ごホービやるぜ」

 宮・蔓・紫を促して、ギャルソンの案内についていく。

 ホールの喧噪も遠ざかる落ち着いた一室に、天蓋の付いたベッドが設えられている。彫刻のように筋肉質な銀螺の身体に寄り添う3人の女体。片手で蔓の乳房を、もう片手で紫の女陰を弄ぶ。愛らしく見えて一番淫らな宮は、銀螺にぬめる身を擦りつけている。

 「――ご存じの通り、ロシア革命以降、大陸北部は各地で内戦が勃発し、群雄割拠の状態です」

 ベッド脇の椅子に腰掛けた左近が、涼しい顔で報告を続ける。

 「だァれも管理できる者はいない…おかしなものを流通させるにゃあ最適な状態だな」

 銀螺が頷く。

 「そうです。さらに、戦乱となれば、医療用から拷問用、兵士の手慰み…阿片市場も拡大します。その中で、日本産の良質な阿片が広がっているとのこと」

 「東京から見りゃ、行政も流通も届かないようなド田舎…ところが、日本海に目を転じりゃぁ、すぐ側に莫大な市場があるってワケか。誰だか知らんが、いい目利きしてやがる」

 にんまりと、銀螺が笑った。

 「左近、この情報、いくらで売れると思う?」

 「作戦を仕掛けるときに、欲をかくものではありませんよ。ご自分が手綱を取れるようにしておいでなさい」

 左近が柔らかくたしなめる。

 「ふ…ん、そしたら小松ンとこが最適かねェ…」

 パサッと側机に報告書を載せた。舌を出してねだってくる宮にちょいと口づける。

 「使い道はお任せしますよ。私は、これで失礼いたします。何をしてお戯れなのかは問いませんが、次の定期試験に響かせませぬよう」

 左近が深く一礼して、口うるさいことを言う。

 「へーへー。おんなじ講義4回も聞いてりゃ、余裕だっつーの」

 銀螺がチョロリと舌を出す。重厚なドアが静かに閉められた。



 今日も酷い暑気だ。じりじりと照りつける陽射しに、蝉が暑苦しく騒ぎ立てる。瑞穂町の駅前の宿屋では、女将がフンフンと鼻歌を歌いながら打ち水を撒いている。

 「失礼、女将…」

 さーて、この次の作業の段取りは、なんて考えてるうちに、柄杓の水が、近づいてきた青年のズボンをばっしゃり濡らした。

 「あんれまァ!ごめんなさいねェ!!」

 「かまわん、暑さに参っていたところだ」

 色白で小柄な学生服が応じる。

 「何か、俺宛の郵便は届いているか?」

 麻田村に滞在してから数日。月衛宛ての郵便を、留め置いてくれるよう、郵便を運ぶ宿屋に頼んであったのだ。

 「ええ、ええ。今朝届いたばっかりですよゥ」

 女将が、月衛と烈生を促して中に入った。冷えた麦茶を出してもらって、ホッと一息。さらに、月衛には氷嚢も出してくれた。麓の町では、機械製氷された氷が買えるのらしい。

 「何だ?銀螺から?」

 烈生が、封筒を開ける月衛の手元を覗き込む。

 「ああ、大陸北部の阿片流通について情報を集めてもらった」

 月衛が、気怠げに氷嚢に頬ずりしながら、手紙に目を通す。

 「ああ…やはりな。大陸北部で、ここ3年くらいの間に日本製の阿片が出回っている。安価な溶剤による全草抽出じゃない、古くからの伝統製法で精製された高級品、だそうだ」

 「では、麻田村が水路で出荷しているのは…!!」

 烈生が目を見開く。

 「おそらく、阿片だ。今、大陸北部は内戦続きで、阿片を取り締まれる者は誰もいない。さらに、社会が混乱して需要も増しているだろう」

 藍色の瞳が光る。

 「しかし、なぜ麻田村が…地の利だけでは説明できまい」

 烈生が腕を組んだ。

 「麻田村が崇めるふく姫は、花を神格化した神だ。さらに薬をもたらす逸話も付いている」

 月衛が帳面を開く。

 「巫女のふく姫は、『煙を吐いて怖い』『ずっと煙草を吸っている』…ただの煙草じゃない、『マラも縮む』ほど尋常ならざる状態になるような煙だということさ」

 月衛が帳面をめくって書き付ける。

 「ケシの花から採れる阿片は、古来からその薬効が知られて、珍重されていた。麻田村ではもともと、儀礼用に少量を生産していたんじゃないだろうか?ふく姫に日常的に阿片を投与して、変性意識状態を作ってきたんじゃないかと思う。過酷なお勤めからの逃走や抵抗を防止することもできるしな」

 烈生が瞳を瞬いて、麦茶を啜った。

 「阿片なら、単価が高いから大仰な工場を建てて大量生産する必要もない。伝統製法なら、農家の台所で作れる」

 月衛が帳面にぐるりと○を囲む。

 「後は、物証か。伝統製法なら工場は要らないが、その代わり大量の原料が必要だ。どこかに、だだっ広いケシ畑があるはずなんだが」

 地図を開いてみる。月衛がつけた印以外は、何もない。

 「…まぁ、村も記載されていなかったくらいだからな…地形なぞわからんか」

 ふぅ、と溜息をついて、月衛が地図を閉じる。

 「…烈生、今晩も“肝試し”に出かけてみようか」

 月衛の瞳が、悪戯っぽく光った。



 夏の夕暮れは長い。橙色を増した陽射しの中、荷馬車がゴトゴトと山道を行く。

 「学生さん方、よく町へ降りてくるねェ。こないだもいきなり夜中に、郵便を頼む、なんてさァ」

 宿屋の亭主が話しかけてくる。宿屋は、客の番をするために、必ず1人は店の者が起きている。こっそり夜中に村を出て、銀螺への情報収集を頼む手紙を預けておいたのだ。

 「やっぱりねェ、山の中じゃァ退屈でしょう。本屋もないし、茶店もないし」

 「そうでもないよ。大変興味深いことばかりだ」

 月衛が、ふと笑みを浮かべる。

 「ご主人!この山の中に、畑に適するような平地はないだろうか?とても広い…」

 烈生が尋ねた。

 「さぁ…サンカの連中なら山をよく知ってるだろうが…。儂は、この山道しかわからんねェ」

 「ほぅ、この山にはサンカもいるのかね」

 月衛が相槌を打つ。狩猟を生業として山を放浪する民だ。

 「ええ、時々、町に来てねェ。蓑や竹籠なんか売ってますよォ」

 荷馬車が、道祖神の前で停まる。駄賃を渡して荷馬車を降り、獣道をかき分けて、1時間の山歩きに入った。

 「確かに、不便だな…」

 月衛が息をつきながら呟く。かつては水路を前にして物流の拠点として栄えたであろう、麻田村。鉄道敷設によって物流を陸路に奪われ、衰退していく悔しさは、切迫感は、いかばかりであったろうか。そんな時に、障害を持ち、十分に働けない娘を生き神様に仕立て上げた心情は…

 「月衛、きつそうだな」

 烈生が心配げに声をかける。

 「やはり、麻田村の邪気の影響か?」

 町では、暑さに参ってはいたが、ここまで苦しげではなかった。

 「邪気というか、なんというか。“活気”とでも言おうかね…。祝祭があると、一人一人の発する力も大きくなるし、それらが一つの方向性を持って束ねられるんだ」

 白い首筋を汗が伝う。呼吸を荒げる小さな口元。

 「それはどこでも変わらない。田舎にいても、都会にいても。むしろ、東京では百貨店やら映画館やら遊園地やら、人を活気付かせる仕掛けが年がら年中開いている。そういったところには集まった力が渦を作る」

 端麗な眉をひそめる様は、烈生に、あらぬ想いを掻き立てる。

 「麻田村の力も、祭に向けて強大になっているが、束になった力を導く者がいない。その危なっかしさだな、俺の体力を削っているのは」

 烈生が、月衛の細い身体を抱き寄せる。

 「烈生…?」

 月衛の顎を掬い、唇を重ねる。温い舌を使って、丹念に月衛の口中を愛撫した。月衛も烈生の舌に己の舌を絡め、吸い付く。

 「んっ…は…ぁ…」

 唇を離すと、月衛が、とろりと煮溶けた瞳を上げた。

 「…どうした、烈生。山道で盛ったか?」

 ほっそりとした腕が烈生の首に回る。

 「…君に、少しでも俺の力が伝われば良いと思ってな」

 面映くて、鳶色の瞳を逸らした。性交が心を共振させるのに一番いいというのなら、もしや接吻でも…と思ったのだ。そう、思っただけ。別に、弱り喘ぐ月衛の姿に盛ったわけでは…。
 ふ、と月衛の瞳が微笑んだ。

 「発声一つでも、眼差しだけでも、俺は君の力を受け取っているよ」

 有り余り、溢れる生命力。裏表なく理想を求める純粋な意志。烈生のそれは、強烈な輝きを以って人を照らす。

 「でも、俺を気遣ってくれるその想いは、格別だ。ありがとう」

 礼儀正しく、礼など言われて。頑なに、その想いを愛だと受け取ってくれないのが、いっそ恨めしい。しょんもりと烈生が濃い眉を下げる。精悍な風貌に似合わない表情が愛らしくて、月衛が笑みを零した。

 「…せっかくだから、負ぶってくれないか」

 うむ、任せろ!と張り切る烈生の背に乗った。大きくて広い背中。温かな鼓動が広がってゆく。
 嗚呼、この鼓動に、温かな腕に包まれていたい。いずれ、どこかの令嬢を娶って一線を引く日が来るだろうが、どうか今だけは。そっと月衛が烈生の紅毛に鼻を埋めた。
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