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第二幕 かつて神童と呼ばれた男
モーツァルトのヴィーン入り
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モーツァルトは大司教コロレードに命じられてヴィーンにやってきた。まるで召使いのように扱われた彼は、もうザルツブルグの宮廷音楽家でいる事に嫌気がさしていて、逃げるようにヴェーバー家へ向かう。
モーツァルトが惚れこんだアロイージアは既に結婚していたが、ヴェーバー家は彼を温かく迎え入れた。
「どうしても無理で、ザルツブルグの宮廷から解雇されてしまったら、うちが営んでいる下宿屋に住ませてあげますよ」
後にアロイージアの母が営む下宿屋に身を寄せるようになるが、モーツァルトはまずコロレードに解雇された後の仕事を見つけるためにヴィーンの宮廷に向かった。以前は勤め口が見つからなかったが、宮廷音楽家たちは優しく迎えてくれた。《クレータの王イドメネーオ》で成功した今度こそ、認められるのではないかと考えたのだ。
「やっぱりまずは宮廷楽長のところに行かないとね。ボンノさんは父さんとも仲が良いし」
ヴィーンの宮廷は、彼に好意的だった。モーツァルトはより一層、コロレードのもとを離れてヴィーンに暮らしたいと思うようになる。
「やあ、モーツァルトじゃないか。お父さんは元気かな?」
高齢の宮廷楽長ボンノは、人の好い笑顔で彼を迎えた。サリエーリもいて、彼の才能を褒め称える。
「《イドメネーオ》の楽譜を見せてもらったよ。君の楽譜は美しいね、私の楽譜は書き直しだらけだ」
「えへへ、ありがとうございます。僕はオペラじゃサリエーリさんには敵いませんが、器楽では負けませんよ」
生意気な事を言うが、サリエーリは楽しげに笑った。
「器楽か、確かに私は声楽ばかり作曲しているからな。モーツァルトの洗練された曲には負けてしまうね」
これは事実で、サリエーリとモーツァルトは実は得意分野が異なっていた。モーツァルトはあらゆるジャンルの名曲を生み出したが、楽器で演奏するための曲を特に得意としていて、逆にサリエーリは歌手が歌うための曲を得意としていたのである。
なので、二人が明確にライバル関係になるというのは考えにくいのだが、それでも競合する部分が出てしまう。劇場で上演されるオペラは当時の作曲家にとっては成功するための条件のようなものだったので、これで二人が競う事になるのは同時代に生まれた以上、仕方のない事だ。
モーツァルトは父からよくサリエーリの悪口を聞かされていたので、会う前は身構えていたのだが、顔を合わせると思っていたのと違った。とても好意的で、自分の事を認め、よく褒めてくれる。素直なモーツァルトは、すぐにサリエーリを慕うようになるのだった。
(モーツァルトならいいジングシュピールが作れそうだ。皇帝も満足してくれるだろう)
一方サリエーリは、とにかくジングシュピールを作りたくなかった。モーツァルトはかつて神童ともてはやされた人物だが、現在の立場から考えてサリエーリの地位を脅かすような存在にはなり得ない。もともと清廉で他人の才能を素直に賞賛する人物ではあるが、その上に利害的な理由でモーツァルトを排除する必要がまるでなかったので、この時の彼は目の前にいる五歳年下の天才をどうやって皇帝に認めさせるかしか考えていなかったのである。
「さあ、我々の素晴らしい友人を歓迎しようじゃないか。モーツァルトがミュンヒェンで成功したオペラの曲を演奏しよう」
サリエーリがそう言うと、ボンノ始め宮廷音楽家たちは同調してにこやかに演奏を始めた。モーツァルトは大人になって初めて居場所を見つけたように感じたのだった。
「あー、ヴォルフガング君。もう知っているだろうが、ヴィーンの宮廷はヨーゼフ二世の一存で全てを決められる。就職の口利きは出来ないが、興行師への紹介や貴族の子女を弟子に取れるように手配する事はできると思う」
ボンノはモーツァルトが現在の職に満足していないと聞くと、こんな提案をする。オペラを上演するのも、弟子を取るのもザルツブルグでくすぶっているよりずっと魅力的な話だった。
だから彼は喜んでしまい、帰ってから何も考えずに大司教コロレードに「ヴィーンで弟子を取りたい」と言ってしまった。
「馬鹿を言うな、お前は自分が何者であるか忘れたのか? ここに来させたのは私の父の館で楽器を演奏させるためだ。用が終わったらザルツブルグに戻りなさい」
当たり前の反応である。彼はザルツブルグのコンツェルトマイスターだ。ヴィーンで弟子を取るという事は、つまりザルツブルグに帰らず留まるという事だ。モーツァルトは自ら解雇を願い出るのだが、それは上司の顔に泥を塗るようなものである。
弟子を取る事も認められなければ、解雇もされない。ただコロレードの召使いのように扱われる日々。たまらずモーツァルトはザルツブルグの副楽長である父に手紙を出してヴィーンに留まりたいと懇願した。
だが父レーオポルトは「ヴィーンの宮廷に勤め口が無いのだから、諦めてザルツブルグの宮廷で働きなさい」と彼をたしなめるのだった。
そんな時にヴィーンで上演されたのがサリエーリのジングシュピール《煙突掃除人》である。
モーツァルトが惚れこんだアロイージアは既に結婚していたが、ヴェーバー家は彼を温かく迎え入れた。
「どうしても無理で、ザルツブルグの宮廷から解雇されてしまったら、うちが営んでいる下宿屋に住ませてあげますよ」
後にアロイージアの母が営む下宿屋に身を寄せるようになるが、モーツァルトはまずコロレードに解雇された後の仕事を見つけるためにヴィーンの宮廷に向かった。以前は勤め口が見つからなかったが、宮廷音楽家たちは優しく迎えてくれた。《クレータの王イドメネーオ》で成功した今度こそ、認められるのではないかと考えたのだ。
「やっぱりまずは宮廷楽長のところに行かないとね。ボンノさんは父さんとも仲が良いし」
ヴィーンの宮廷は、彼に好意的だった。モーツァルトはより一層、コロレードのもとを離れてヴィーンに暮らしたいと思うようになる。
「やあ、モーツァルトじゃないか。お父さんは元気かな?」
高齢の宮廷楽長ボンノは、人の好い笑顔で彼を迎えた。サリエーリもいて、彼の才能を褒め称える。
「《イドメネーオ》の楽譜を見せてもらったよ。君の楽譜は美しいね、私の楽譜は書き直しだらけだ」
「えへへ、ありがとうございます。僕はオペラじゃサリエーリさんには敵いませんが、器楽では負けませんよ」
生意気な事を言うが、サリエーリは楽しげに笑った。
「器楽か、確かに私は声楽ばかり作曲しているからな。モーツァルトの洗練された曲には負けてしまうね」
これは事実で、サリエーリとモーツァルトは実は得意分野が異なっていた。モーツァルトはあらゆるジャンルの名曲を生み出したが、楽器で演奏するための曲を特に得意としていて、逆にサリエーリは歌手が歌うための曲を得意としていたのである。
なので、二人が明確にライバル関係になるというのは考えにくいのだが、それでも競合する部分が出てしまう。劇場で上演されるオペラは当時の作曲家にとっては成功するための条件のようなものだったので、これで二人が競う事になるのは同時代に生まれた以上、仕方のない事だ。
モーツァルトは父からよくサリエーリの悪口を聞かされていたので、会う前は身構えていたのだが、顔を合わせると思っていたのと違った。とても好意的で、自分の事を認め、よく褒めてくれる。素直なモーツァルトは、すぐにサリエーリを慕うようになるのだった。
(モーツァルトならいいジングシュピールが作れそうだ。皇帝も満足してくれるだろう)
一方サリエーリは、とにかくジングシュピールを作りたくなかった。モーツァルトはかつて神童ともてはやされた人物だが、現在の立場から考えてサリエーリの地位を脅かすような存在にはなり得ない。もともと清廉で他人の才能を素直に賞賛する人物ではあるが、その上に利害的な理由でモーツァルトを排除する必要がまるでなかったので、この時の彼は目の前にいる五歳年下の天才をどうやって皇帝に認めさせるかしか考えていなかったのである。
「さあ、我々の素晴らしい友人を歓迎しようじゃないか。モーツァルトがミュンヒェンで成功したオペラの曲を演奏しよう」
サリエーリがそう言うと、ボンノ始め宮廷音楽家たちは同調してにこやかに演奏を始めた。モーツァルトは大人になって初めて居場所を見つけたように感じたのだった。
「あー、ヴォルフガング君。もう知っているだろうが、ヴィーンの宮廷はヨーゼフ二世の一存で全てを決められる。就職の口利きは出来ないが、興行師への紹介や貴族の子女を弟子に取れるように手配する事はできると思う」
ボンノはモーツァルトが現在の職に満足していないと聞くと、こんな提案をする。オペラを上演するのも、弟子を取るのもザルツブルグでくすぶっているよりずっと魅力的な話だった。
だから彼は喜んでしまい、帰ってから何も考えずに大司教コロレードに「ヴィーンで弟子を取りたい」と言ってしまった。
「馬鹿を言うな、お前は自分が何者であるか忘れたのか? ここに来させたのは私の父の館で楽器を演奏させるためだ。用が終わったらザルツブルグに戻りなさい」
当たり前の反応である。彼はザルツブルグのコンツェルトマイスターだ。ヴィーンで弟子を取るという事は、つまりザルツブルグに帰らず留まるという事だ。モーツァルトは自ら解雇を願い出るのだが、それは上司の顔に泥を塗るようなものである。
弟子を取る事も認められなければ、解雇もされない。ただコロレードの召使いのように扱われる日々。たまらずモーツァルトはザルツブルグの副楽長である父に手紙を出してヴィーンに留まりたいと懇願した。
だが父レーオポルトは「ヴィーンの宮廷に勤め口が無いのだから、諦めてザルツブルグの宮廷で働きなさい」と彼をたしなめるのだった。
そんな時にヴィーンで上演されたのがサリエーリのジングシュピール《煙突掃除人》である。
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