上 下
7 / 19

7 我知らず重なる比翼

しおりを挟む
 穏やかさの中に希望を抱き、新しい日々は輝きを増していく。
 
 今日は博士から昼食に誘われ、王立図書館とほぼ隣接している王立科学研究所に初めて足を踏み入れた。普段、父を交えてどちらかの家で夕食を共にするほどには親しい交流を持つようになったけれど、ふたりきりでとる食事はこれが初めてだ。

 父が心から信頼する博士。
 聡明で鋭く、大らかで時に少年のような彼は、いつしか私の憧れになっていた。

 けれど、それは秘密。

 私はただこの穏やかな日々を、小さな幸せのひとつひとつを、大切に胸の中で抱きしめて暮らしていたい。大きな事は、望んでいない。

 
「……」


 事前に渡された簡易的な見取り図を頼りに、博士の研究室を目指す。
 すると通路で、ちょうど出ようとしている所長とすれ違った。壮年の所長とは父を介して何度か顔を合わせた事がある。


「ごきげんよう、レディ・ラモーナ」

「ごきげんよう、ヘールズ所長。お勤め、お疲れ様です」

「博士ですか?」


 口髭を蓄えた所長が相好を崩す。
 博士が自らそう名乗るという理由と共に、関わる人たちもまた、彼を博士と呼ぶ事で微妙な力関係の均衡を保っているのだと、ある時から気づいた。
 名を呼べば、それはフィンストン侯爵令息である事を示してしまうから。


「はい」

「すっかりおしどり夫婦ですね」

「……」


 私は言葉を失った。
 所長は朗らかな笑みを浮かべたまま手を立てて、軽い会釈と共に飛び出していく。急ぎの用が、あるのかもしれない。

 ぽつんと、立ち尽くす。

 言われた言葉が、頭の中で、反響する。


「……」


 おしどり夫婦。
 私と博士に、節度を越えての関係はない。

 けれど、そういう噂が立ってしまっているのだとしたら、問題だ。

 私はこの出来事をいち早く伝えるべく、見取り図を頼りに足を速めた。
 動揺して脈拍があがり、汗も吹き出し、なんだか暑い。

 3階。前庭に面した角部屋。

 扉に博士の名が刻まれた札を確かめ、息を整え、頬を仰いだ。


「博士?」

「やあ、ラモーナ。迷ったかい?」


 博士の研究室には、ランプに照らされた机の他、硝子戸付きの書架に、見慣れない大掛かりな装置が3つ、調合台らしき台、それに棚には薬品らしき液体の入った無数の瓶と、鉱石のようなものが配置されている。

 私は、呆気に取られていた。


「珍しいものがたくさんあるだろう?」

「……」


 知的な眼差しで手元の作業を厳しく確かめ、顔をあげた時にはいつもの笑顔。

 彼の隣に、並ぶ事。
 その願望がなぜか、私の独り善がりの産物ではない気がして、胸が高鳴る。


「ラモーナ?」


 私を呼ぶ、彼の声。

 まるでそう定められていたように、初めから呼んだ、私の名前。


「シオドリック」


 聞こえないように、彼の名を囁く。
 口にしてみるとそれは、忽ち、私の心を支配し、増長させた。
 
 立ち上がった博士は眼鏡を拭いて、素早く装着すると、颯爽と歩いてきて、扉のすぐ脇の台に用意されたバスケットを持ちあげ、私の背中をそっと押した。


「中庭に案内しよう。綺麗だよ」

「……はい」


 博士の眼差しに、父とは違う、優しい愛情が宿っているような気がする。
 

「本当はいろいろ触らせてあげたかったのだけど、空腹に耐えかねて、気が気じゃなくてね。あとで〝魔法〟を見せてあげるよ」

「……」


 博士は善良で、親切な人。
 だけど礼節を弁えているはずの彼は、今思えば、最初からとても近すぎた。

 それが、嫌ではなかった。
 今では当たり前になり、心地よくて、物足りなくすらある。


「博士、私」

「なんだい?」


 嬉しそうに煌めく瞳は、昼食を待ち侘びているだけ?

 私の秘密を打ち明けても、許されるのだろうか。
 息が苦しい。


「あ……食べながら、お伝えします」

「わかった」


 足が縺れてしまいそうで、私は転ばないように細心の注意を払いながら、博士に従い中庭を目指した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪

山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。 「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」 そうですか…。 私は離婚届にサインをする。 私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。 使用人が出掛けるのを確認してから 「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

真実の愛だからと平民女性を連れて堂々とパーティーに参加した元婚約者が大恥をかいたようです。

田太 優
恋愛
婚約者が平民女性と浮気していたことが明らかになった。 責めても本気だと言い謝罪もなし。 あまりにも酷い態度に制裁することを決意する。 浮気して平民女性を選んだことがどういう結果をもたらすのか、パーティーの場で明らかになる。

両親も義両親も婚約者も妹に奪われましたが、評判はわたしのものでした

朝山みどり
恋愛
婚約者のおじいさまの看病をやっている間に妹と婚約者が仲良くなった。子供ができたという妹を両親も義両親も大事にしてわたしを放り出した。 わたしはひとりで家を町を出た。すると彼らの生活は一変した。

ある日愛する妻が何も告げずに家を出ていってしまった…

矢野りと
恋愛
ザイ・ガードナーは三年前に恋人のロアンナと婚姻を結んだ。将来有望な騎士の夫ザイと常に夫を支え家庭を明るく切り盛りする美人妻のロナは仲睦まじく周りからも羨ましがられるほどだった。 だがロナは義妹マリーの結婚式の翌日に突然家を家を出て行ってしまう。 夫であるザイに何も告げずに…。 必死になって愛する妻を探す夫はなぜ妻が出て行ってしまったかを徐々に知っていくことになるが…。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

処理中です...