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狼と炎の話 9

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 ソルスティンは駆けた。

 裸の上半身に黒い両手剣を携えて、岩石の岩場を一直線にただ走る。

「……道案内はいるらしいな」

 ソルスティンの眼前には道を塞ぐように次々と炎の兵隊が現れていた。

 ソルスティンは剣を構え突進する。

 自分で鍛えた剣だ、その剣のくせは誰よりも熟知している。しかし問題はかけられた魔法の方だ。

「あとは……どんな魔剣に仕上がっているかだが――使ってみればわかる!」

 炎の兵隊がソルスティンをからめとろうと踊りかかってくるのを、ソルスティンは黒い刀身の剣を抜き放って迎え撃つ。

 魔力が走り、放たれた斬撃は、剣を振ったとは思えない気味の悪い軋んだような音をたてて周囲を切り裂いた。

 炎の兵達が伸びた黒い刃に散り散りにされ容易く霧散するが、威力に驚愕したのはソルスティン自身だった。

「……冗談みたいな威力だな、これは影か?」

 飛び出したというよりは刀身が伸びたように感じたが、重さに違いはない。

 ソルスティンは呆れて剣を見る。

 黒い剣とは禍々しい注文だとは思っていたが、外観以上に威力の方が異常だった。

 五属性のどれとも思えない奇妙な力は、まるで太古の魔剣のひと振りである。

 「それでも今、この力が自身の手にあることに感謝しよう」

 手段はある。

 そしてこの山にミアがいるのは間違いないのだからソルスティンのやることは決まっていた。

 兵士をこのまま辿っていけば、あの炎の王に行き着くだろう。

 それまで何が現れようともただ突き進む。

 ソルスティンが覚悟を決めていると、思ったよりもずっと早くそいつは姿を現した。

 ソルスティンが咄嗟に飛び退くのと業火が渦を巻いて炎の竜巻を作り出すのはほとんど同時だった。

 中から姿を現した赤銅色の男は、間違いなくミアを連れ去った炎の王であった。

 炎の王はソルスティンを逆巻く業火の中から見下ろしていた。

「よう。拾った命を捨てに来たか」

「いいや……俺はあいつを返してもらいに来た」

「あいつとは誰だと――聞いておこうか?」

 あえて尋ねた炎の王に、ソルスティンは彼女の名をはっきりと口にした。

「ミアだ。あの人間の女の子を返してもらうぞ炎の王よ」

 ソルスティンの宣戦布告は正しく炎の王にたたきつけられ、炎の王は一層激しく燃え上がり、唇の端をゆがめてそれを受ける。

「いい度胸だ人間! だがここは俺の領域だ! ここから俺の宝を持ち出そうなんて馬鹿は、灰になって消える運命だと理解しているか! 鍛冶師!」

 王の言うとおりここは既に精霊の領域である。

 しかしソルスティンは全てを理解してここに立っていた。

 近くで見ればよりわかる。この精霊がいかに強力な存在であるか。

 だがーーだからなんだというのか。

「ああ……だが、俺もここは引き下がれない。鍛冶師が炎に怖気付いたなど、笑い話にもならないからな」

 挑発を挑発で返したソルスティンだったが、このやりとりを炎の王は思いのほか気に入ったようだ。

 腹を抱えて笑いだした炎の王はソルスティンの前に降り立ち、完全な人の姿をとると、指を突きつける。

「はっはっは! 熱いな! 熱い奴は好きだ! そうだな……どうしてもあの娘を取り返したいというのなら俺直々に遊んでやろう!」

「遊ぶだと?」

「そうだよ。お前があいつにとって何かあるのは知っている。せめてもの慈悲ってやつだ。お前たちの土俵で戦ってやろうと言っているんだよ。それにお前の死を目の前で見せつけてやればあいつもあきらめがつくだろう! 来いよ! あいつといっしょに火口で待つ!」

「おい!」

 炎の王は言いたいことだけ言い放つと、火球が空へ打ち上がって噴煙の上がる火山へ飛んでゆく。

 ソルスティンは赤く輝く山頂を睨み付けた。



 火口にたどり着いたソルスティンは、自分が行くべき場所がすぐにわかった。

 マグマで満たされた火口に申し訳程度にかけられた岩の橋。その真ん中には巨大な岩塊の足場がある。

 マグマは遥か下だというのに、熱気が全身を焼いているようだった。

 あまりの熱でソルスティンの視界が歪むが、そいつの姿ははっきりと見える。

 腕を組み、待ち構えていた炎の王の目は爛々とマグマよりも燃えていた。

 逃げ場はない。まさにそれは決闘場であった。

 そして決闘上の隅に、炎の檻で囚われたミアの姿を見つけたソルスティンに退路などなかった。

 ソルスティンは橋を渡り、炎の王はそれを出迎える。

「よく来た。逃げ出すかと思ってたぞ? 人間」

「……逃げ出す理由がない」

「危険も察知できないのか? 生き物失格だぜ?」

「何とでも言え」

 ソルスティンは炎の王を睨みつけた。

 炎の王は完全に人の姿をとっているが、あの姿でさえ仮のものだろう。

 ソルスティンは横目でミアの位置をもう一度確認した。

 台座のようなものに座り、炎の檻の中にいるミアはこちらを今にも泣き出しそうな表情で見ていて、ソルスティンに大声で叫んだ。

「やめてよ! なんで来たの!」

 ソルスティンはそこで初めて動きを止める。

 炎の王は今だ動く気配は見せず、ミアの言葉を待っているようだった。

「あたしなんて、ソルに助けてもらえる価値なんてないよ!」

 叫ぶミアの言葉に心が痛む。炎の王はソルスティンに問うた。

「……だとさ? どうする?」

 そんなもの。ソルスティンの答えは決まりきっていた。

「決まっている……。やめる理由がない」

「ああそうだろうな!」

「だからなんで!」

 なおも叫ぶミアの言葉を、ソルスティンは彼女に向けた言葉で遮った。

「すまなかったミア」

「!」

「最初に謝りたかった。俺達の力はいつの間にか絆になっていたんだな。簡単に捨てていいものじゃなかった」

「あ……」

「でも俺は力がなくなって気がついたよ。今までがおかしかったんだと」

「え?」

 動揺しているミアにソルスティンは覚悟を決めて、今はまだ一方的に伝える。

「ミアよく見ていろ……。俺は狼も炎も恐れない。俺はお前を家に連れて帰る。だからミアも怖がる必要なんてない」

「なによそれ!」

「証明する。だから少しだけ――待っていろ」

 ソルスティンは首から下げた石の袋を取り払った。

 それはまだ十分に満たされない月の魔力を満たすためのアイテムである。

 全身をすごい速さで血が走り回る感覚が頭を支配し、全身を獣の皮が覆う。

 ソルスティンの体は、人間から肉食獣のそれへと変貌し、天高く雄叫びを上げる。

「ウオオオオオオ!!」

「う、うそ……ソル、人狼は治ったって言ってたのに」

 ミアは目を見開いて愕然としてソルスティンを見た。

 ミアの視線を、荒れ狂う野生の中で感じて、ソルスティンは思う。

 恐れが理性を奪うのならば、今のソルスティンにそれはない。

 むしろ、ソルスティンは心から力を欲しているのだから。

「はっは! 人かと思えば犬だったか! だがな、人だろうが犬だろうが炎に飲まれた獣の運命は同じだぞ!」

 猛る炎の王の存在を、狼の血は確実に恐れていた。

 だがそれ以上に、体を突き動かす気持ちこそが、ソルスティンの本質だ。

 心の芯さえ定まっていれば、迷ってなんかいられない。

「……運命なんぞ知ったことか。それを変えるためにここに来た」

 牙を食いしばり、野生をねじ伏せたソルスティンは炎の王を睨み据える。

 炎の王は、命を懸けて摂理にあらがう男に最大限の賛辞を投げた。

「よく言った! 最高だ! では始める前に一つ教えておいてやろう! いいか? 俺の命を絶つことができるのは炎の山のマグマのみだ! 大地に流れる炎の血脈はそこに落ちれば俺程度の意志なんぞ一瞬で飲み込むだろう! つまりお前は俺をこのマグマに叩き込めばいい! 理解したか!」

「……なぜそんなことを俺に教える?」

「言ったろうが! こいつは遊びだってな! なら! お互いに同じものを賭けなきゃ話にならん! お前が命を賭けるなら、こちらも賭けてやろう! それでもただの獣と精霊との隔たりは埋めようがねぇぞ!」

「どうだかな……鍛冶師は火を支配しないと始まらない」

「なら――期待させてもらおうか! 人間!」

 人らしき姿を取っていた火の王はその姿を崩し、地面に溶ける。

 次に現れた時、炎の王は黒い岩の鎧をまとって姿を現した。

 体長は4メートルはあるだろう。岩石の鎧で覆われた姿はあちこちから炎を噴出しながら中途半端に人の形をとどめていて、まるで悪魔のようだ。

 その口から炎と共に威勢よく飛び出したセリフはまさに炎の王だった。

『さぁはじめようか! 簡単に燃え尽きてくれるなよ!』

「……ああ」

 岩が赤熱した腕がソルスティンに迫る。

「……!」

 到底人では受けられそうにない熱の塊を、ソルスティンの黒い刃が走り、弾き返した。

 炎の王が唖然として眺めた腕は、大きく斬られて傷ついていた。

『ひゅう! なんだそりゃ! そいつも魔剣の能力か!』

「どうやらそうらしいな。……まぁしかし人間もどきと精霊の差を埋められるかどうかといったところさ」

『はっ! いいなお前! ここで殺すのが惜しくなってきた!』

 炎の王は大きく吠え、欠けた腕から赤い炎が伸びて一瞬で復元する。

 だがソルスティンの黒い刃は無数の影の刃を伸ばして縦横無尽に斬りつけた。

 一刀ごとに不気味な音を立てて簡単に炎の王の身体を削る刃はまさに魔剣だった。

「これでどうだ!」

 いけるという手ごたえと共に、力を込めた一刀でソルスティンは体を今度こそ砕いたかと思ったが、炎の王は今度は巨大な体を器用にひねって飛ぶと、とんでもない俊敏性で刃をかわして見せた。

『それは本当に剣なのか!? なぁおい!』

「そっちこそ重そうな割によく動く」

『そりゃそうだ! わざわざ殻までかぶって勝負になるように取り計らってやったが、当たってやる義理はねぇからな! さぁ今度はこっちから行くぞ!』

 炎の王が腕を振り上げて、変化させたのは炎の剣である。

 真上に伸びた真っ赤な刀身が落ちてくる。

 それはまるで炎の壁だ。

 ソルスティンが危ないところで受けずにかわすが、舞台に深々とめり込んだ剣はその熱で周囲の岩すらマグマに変えた。

『よくよけた! ガンガン行くぞ!』

「……!」

 あんなものまともに受けたら、体がなくなるだろう。

 だが攻めなければ勝てないとソルスティンは前に出る。

「うおおお!!」

 ソルスティンは叫んだ。

 俊敏に動く人狼の体を存分に使い、ひたすらに避け続ける。

 夜が深くなるにつれて人狼としての能力は上がってゆく。だからこそできている芸当だ。

 それほどまでに炎は速い。

 器用にかわすソルスティンにいらだった炎の王は、今度は無茶な攻撃に出た。

『っつ! よくやる! ……ならこれはどうだぁ!』

 炎の王は剣の刀身を八つにばらけさせ振り回す。

 自在に動く炎が八方から襲いかかってきたが、ソルスティンは魔剣の思ったよりもずっと自在に動く刃でどうにか逸らしきった。

「……!」

 甲高い音がして、衝撃が影の上を弾けるのを、ソルスティンは足腰を踏ん張ってどうにか堪えた。

 毛皮を焼かれる痛みで歯を食いしばるのはこれで何度目か。

 いかに魔剣の性能に助けられていようと、灼熱の炎で体力はいやおうなく削られる。

 炎の王もこちらの限界を察しているのだろう。

 一段とその体の炎は勢いを増して、ソルスティンを焼き尽くさんばかりに燃え盛る。

『お疲れのようだな? 犬っころ!』

「……どうだかな」

 体の限界などとうの昔に通り過ぎていた。

 ソルスティンの焦りが募った。

 だがミアに宣言した以上、少しでも前に進まずにはいられない。

「負けていられるか!」

 かつてなく熱い感情に応えたのはソルスティンの手にした魔剣だった。

 ドクンと魔剣が脈打つ。

 それはまるでまだ自分は全力を出していないのだと主張しているようだった。

「……!」

 緻密に施された魔法が体内でつながり、ソルスティンの心臓を叩く。

 その瞬間、魔剣によって引き出された魔力が溢れて、爆発した。

「グオオオオ!!」

 剣を握った手から毛皮が黒く染まっていき、体中を包み込むとソルスティンの世界は一変する。

 ありえないほどに体を満たした魔力は確実に制御され、炎の王すらひるませるほどの力となった。

 炎の王は初めて気圧され、一歩下がる。

『なんだそりゃ……お前一体何をした!』

「これなら……まだやれる!」

 思い切り溢れ出る力に任せて、ソルスティンは魔剣を振り下ろす。

 空間がきしみ、特大の影の軌道は黒く塗り潰されて、山の一角を切り落とし、炎の精霊の体の半分を袈裟切りに切り割っていた。
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