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第2章 前世の私の過ちと、今世の貴方のぬくもり
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すっきりとしたテーブルとソファ。執務机の上には書類の束があるけれど、イクセルの顔が見えなくなるほど積み上げられてはいない。
壁際にある書類の仮置き場として使っていたチェストの上には、今は盆に乗ったティーセットがあるだけだ。
「……すごっ。すごいっすね!隊長の部屋が、部屋っぽく見える……」
「ふふっ、ほんと。初めてここに来た時とは見違えるようね。まるで別の部屋みたい」
西日が差し込むイクセルの執務室は、午前中とは見違えるようにスッキリとしている。
窓に背を向けて、フェリシア、イクセル、ラルフは三人肩を並べて満足そうな表情を浮かべている。しかしイクセルだけは、違う表情に変わった。
「これだけの手腕を見せつけられたら、お仕置きを受けるのは私の方だな」
少し悔しさを滲ませるイクセルに、フェリシアはクスクス笑う。
「お認めいただけただけで十分ですわ」
「謙虚だな、貴女は。私としては婚約者から受けるお仕置きを、ちょっと楽しみにしてたのだが?」
「まぁ……それは、ええ…まぁ……」
魅力的な笑みをイクセルから向けられて、フェリシアは何と答えていいのかわからず曖昧な返事でやり過ごした。
前世で恋人だった俊也のことを思い出してから、フェリシアは必死でそれを頭から追い出そうとした。
けれど考えないようにしようとすればするほど、俊也との思い出が溢れてくる。
苦しくて、辛くて。でも顔に出すこともできず、フェリシアは書類を片づけることに専念した。その甲斐あって、イクセルの執務室は綺麗に片付いた。まったく皮肉なものである。
「では自分、不要な書類を倉庫に持って行きます!それから訓練所行きますんで!隊長に呼ばれるまでは、もうここには来ませんので!では、失礼します!!」
作業中とは明らかに態度が変わったフェリシアを、ラルフは間違った意味に捉えたようで木箱を抱えて部屋を出ていこうとする。
「あ、待って。待ってくださいな」
今まさに廊下に出ようとしたラルフを、フェリシアは慌てて呼び止める。
「あ、持ち忘れっすか?すんません、自分──」
「いいえ、違うの。ちょっと教えて欲しいことがあって……」
「へ? あ、はい!自分にわかることがあれば何でもどうぞ!」
不器用で段取りの悪い──俊也とは似ても似つかないガタイのいい彼は、人懐っこい笑みを浮かべてフェリシアの続きを待っている。
(訊いちゃ、駄目。それに知ったところで、どうするの?)
理性を保つもう一人の自分が、やめろと引き留める。しかしフェリシアはその忠告を無視してラルフに問いかけた。
「あのね、やっぱり褒められることって嬉しいものかしら?」
「そりゃあ、嬉しっすよ!」
迷いなく答えたラルフに、フェリシアは質問を重ねる。
「じゃあ逆に、頑張っても褒められなかったら?」
「そおっすねー……自分、そんなのしょっちゅうですから、まず頑張りが足りなかったって反省します。んで、もっと努力します。それでも駄目な時は落ち込みます……」
日頃のあれこれを思い出したのだろう。ラルフはイクセルをチラ見してから、しょんぼりとしてしまった。
「ご、ごめんなさい。変なことを訊いてしまって」
「いえ、いいっすよ。でも、こんな答えで良かったです?」
「ええ。わたくし、こういう時間の過ごし方は初めてで……。今さらだけどラルフ殿に失礼があったか不安になってしまって……。教えてくださって、ありがとう」
丁寧にお礼を伝えれば、照れくさそうに笑いながらラルフは部屋を出ようとする。しかし、廊下に出る直前に振り返って、こう言った。
「あ!さっきの頑張っても褒められなかったらっていう質問の補足なんですけど、自分、よくよく考えたらどうでもいい人なら、褒められても、褒められなくても別に気にならないですね」
生真面目に語るラルフの姿と、前世の恋人の姿が重なる。背格好なんてぜんぜん似ていないのに。
「やっぱ大事に思う人から褒められるのが一番っす。ってか、頑張ってもその人にだけ褒められないのは辛いですね。なんか俺のこと、どうでもいいのかなって思っちゃいますし。あ!……違う、違います!自分、隊長のことを言ってるわけじゃないですっ。んじゃ、失礼しまーす」
背後にいるイクセルがよほど怖い顔をしていたのだろう。ラルフはガクガク震えながら、全速力で逃げ出した。
ドカドカと遠ざかっていくラルフの足音を聞きながら、フェリシアは両手を胸に当てる。後悔で胸を槍でめった刺しにされたように、痛く、苦しい。
(やっぱり、訊くんじゃなかったですわ)
最後のラルフの言葉で、フェリシアは前世の恋人が自分に向けてどうしてあんな酷い言葉を吐いたのかわかってしまった。
俊也は、もしかしたらマザコンじゃなかったかもしれない。
それどころか、井上莉子は前世で大きな過ちを犯していた。
「フェリシア……顔色が悪い。今にも倒れそうだ……すぐに座りなさい」
イクセルが心から案じる口調で、ソファへとエスコートする。よほど自分は酷い顔をしているのだろう。
「わたくし、思っている以上に頑張りすぎてしまったみたいですね。……情けないわ」
「自分を卑下するのは良くないな」
ヘロヘロとソファに座り込んだフェリシアを置いて、イクセルはチェストに移動する。そして、一人分のお茶を用意して、フェリシアに手渡した。
「飲みなさい。少しは落ち着くだろう」
「ありがとう……いただきます」
ティーカップを両手で包むように口元に運ぶ。ぬるくなってしまったお茶が喉に滑り落ちる感覚が心地よく、自分がかなり喉が渇いていたことを知る。
それからフェリシアは物言いたげなイクセルから目を合わせないようにして、コクコクと小さく喉を鳴らしながらお茶を飲み干す。
ニドラが迎えに来てくれたのは、ティーカップを空にしたのと同時だった。
その後、馬車まで送るというイクセルを断り、フェリシアは執務室から逃げるように馬車に乗り込んだ。
今は一刻も早く、一人になりたかった。
壁際にある書類の仮置き場として使っていたチェストの上には、今は盆に乗ったティーセットがあるだけだ。
「……すごっ。すごいっすね!隊長の部屋が、部屋っぽく見える……」
「ふふっ、ほんと。初めてここに来た時とは見違えるようね。まるで別の部屋みたい」
西日が差し込むイクセルの執務室は、午前中とは見違えるようにスッキリとしている。
窓に背を向けて、フェリシア、イクセル、ラルフは三人肩を並べて満足そうな表情を浮かべている。しかしイクセルだけは、違う表情に変わった。
「これだけの手腕を見せつけられたら、お仕置きを受けるのは私の方だな」
少し悔しさを滲ませるイクセルに、フェリシアはクスクス笑う。
「お認めいただけただけで十分ですわ」
「謙虚だな、貴女は。私としては婚約者から受けるお仕置きを、ちょっと楽しみにしてたのだが?」
「まぁ……それは、ええ…まぁ……」
魅力的な笑みをイクセルから向けられて、フェリシアは何と答えていいのかわからず曖昧な返事でやり過ごした。
前世で恋人だった俊也のことを思い出してから、フェリシアは必死でそれを頭から追い出そうとした。
けれど考えないようにしようとすればするほど、俊也との思い出が溢れてくる。
苦しくて、辛くて。でも顔に出すこともできず、フェリシアは書類を片づけることに専念した。その甲斐あって、イクセルの執務室は綺麗に片付いた。まったく皮肉なものである。
「では自分、不要な書類を倉庫に持って行きます!それから訓練所行きますんで!隊長に呼ばれるまでは、もうここには来ませんので!では、失礼します!!」
作業中とは明らかに態度が変わったフェリシアを、ラルフは間違った意味に捉えたようで木箱を抱えて部屋を出ていこうとする。
「あ、待って。待ってくださいな」
今まさに廊下に出ようとしたラルフを、フェリシアは慌てて呼び止める。
「あ、持ち忘れっすか?すんません、自分──」
「いいえ、違うの。ちょっと教えて欲しいことがあって……」
「へ? あ、はい!自分にわかることがあれば何でもどうぞ!」
不器用で段取りの悪い──俊也とは似ても似つかないガタイのいい彼は、人懐っこい笑みを浮かべてフェリシアの続きを待っている。
(訊いちゃ、駄目。それに知ったところで、どうするの?)
理性を保つもう一人の自分が、やめろと引き留める。しかしフェリシアはその忠告を無視してラルフに問いかけた。
「あのね、やっぱり褒められることって嬉しいものかしら?」
「そりゃあ、嬉しっすよ!」
迷いなく答えたラルフに、フェリシアは質問を重ねる。
「じゃあ逆に、頑張っても褒められなかったら?」
「そおっすねー……自分、そんなのしょっちゅうですから、まず頑張りが足りなかったって反省します。んで、もっと努力します。それでも駄目な時は落ち込みます……」
日頃のあれこれを思い出したのだろう。ラルフはイクセルをチラ見してから、しょんぼりとしてしまった。
「ご、ごめんなさい。変なことを訊いてしまって」
「いえ、いいっすよ。でも、こんな答えで良かったです?」
「ええ。わたくし、こういう時間の過ごし方は初めてで……。今さらだけどラルフ殿に失礼があったか不安になってしまって……。教えてくださって、ありがとう」
丁寧にお礼を伝えれば、照れくさそうに笑いながらラルフは部屋を出ようとする。しかし、廊下に出る直前に振り返って、こう言った。
「あ!さっきの頑張っても褒められなかったらっていう質問の補足なんですけど、自分、よくよく考えたらどうでもいい人なら、褒められても、褒められなくても別に気にならないですね」
生真面目に語るラルフの姿と、前世の恋人の姿が重なる。背格好なんてぜんぜん似ていないのに。
「やっぱ大事に思う人から褒められるのが一番っす。ってか、頑張ってもその人にだけ褒められないのは辛いですね。なんか俺のこと、どうでもいいのかなって思っちゃいますし。あ!……違う、違います!自分、隊長のことを言ってるわけじゃないですっ。んじゃ、失礼しまーす」
背後にいるイクセルがよほど怖い顔をしていたのだろう。ラルフはガクガク震えながら、全速力で逃げ出した。
ドカドカと遠ざかっていくラルフの足音を聞きながら、フェリシアは両手を胸に当てる。後悔で胸を槍でめった刺しにされたように、痛く、苦しい。
(やっぱり、訊くんじゃなかったですわ)
最後のラルフの言葉で、フェリシアは前世の恋人が自分に向けてどうしてあんな酷い言葉を吐いたのかわかってしまった。
俊也は、もしかしたらマザコンじゃなかったかもしれない。
それどころか、井上莉子は前世で大きな過ちを犯していた。
「フェリシア……顔色が悪い。今にも倒れそうだ……すぐに座りなさい」
イクセルが心から案じる口調で、ソファへとエスコートする。よほど自分は酷い顔をしているのだろう。
「わたくし、思っている以上に頑張りすぎてしまったみたいですね。……情けないわ」
「自分を卑下するのは良くないな」
ヘロヘロとソファに座り込んだフェリシアを置いて、イクセルはチェストに移動する。そして、一人分のお茶を用意して、フェリシアに手渡した。
「飲みなさい。少しは落ち着くだろう」
「ありがとう……いただきます」
ティーカップを両手で包むように口元に運ぶ。ぬるくなってしまったお茶が喉に滑り落ちる感覚が心地よく、自分がかなり喉が渇いていたことを知る。
それからフェリシアは物言いたげなイクセルから目を合わせないようにして、コクコクと小さく喉を鳴らしながらお茶を飲み干す。
ニドラが迎えに来てくれたのは、ティーカップを空にしたのと同時だった。
その後、馬車まで送るというイクセルを断り、フェリシアは執務室から逃げるように馬車に乗り込んだ。
今は一刻も早く、一人になりたかった。
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