40 / 57
【第三章】文禄の役・日明和議と晋州城攻撃
しおりを挟むこの頃加藤清正は安辺で、小西行長が平壌で大敗したという報に接した。時を経ることなく馮仲纓という者が、明国朝廷の使節として乗りこんできた。口上は、
一 清正が捕らえた朝鮮二王子の返還
二 日本の部隊は平壌で敗北した後、少しずつ南に退きつつある。降伏は時間の問題であること
三 汝、清正は咸鏡道において揮下の将兵に婦女子への暴行、その他略奪等を禁じ、朝鮮二王子にも礼をもって接したと聞く。殺すにはおしい仁故、助命してつかわす。降伏か、さもなくば明軍四十万の精鋭が、雪崩をうって攻め込むであろう
というものであった。むろん、この時清正は碧蹄館での日本側の勝利を、まだ知らずにいる。
「使者の口上あいわかった。遠路はるばるこの安辺まで、ご苦労でござった」
清正は一通り聞き終わると、ひとまず使者の労をねぎらった。
「さりながら」
と清正は、かすかに眼光を鋭くする。
「捕らえた二王子のことは、すでに太閤殿下に報告ずみである。二王子をいかようにするかは太閤殿下が決めること。それがしの一存では事を決することができぬ故、その点は御容赦願いたい。
また平壌にて小西行長が大敗したこと、すでにそれがしも聞き及んでいるが、行長は元が堺の薬問屋の家に生まれた者。若年のおり朝鮮に渡り地理に詳しい故、道案内役として、こたびの遠征軍の列に加えられただけの者でござる。降伏か否かを決するは、かの薬売りに非ず、それがしをおいて他にない」
と清正はここでも、行長を歯牙にもかけぬ様子をしめした。
「明国が四十万の兵をもって、それがしを討伐に参ると申すが、ここ咸鏡道は天険の要塞。我等この地に籠もり抗戦に及べば、明軍四十万といえど恐れるに足らぬ。ゆくゆくこれを平らげ、やがては北京に達し明国皇帝を虜とするであろう」
馮仲纓は、かすかに額に汗を浮かべた。半ば大言壮語であろうが、馮仲纓とて咸鏡道をも越え、兀良哈まで攻め入った清正の武勇のほどは聞き知っている。使者が一時動揺したのを見計らった清正は、
「さあ客人のお帰りであるぞ、誰ぞ門の外まで丁重にお迎えせよ」
と大音声をあげた。
「いずれ後悔されますぞ」
結局馮仲纓は、何一つ得ることなく安辺を後にするより他なかった。
小西行長は、この間も和平交渉に奔走している。碧蹄館の敗戦以後、明側もまた和平に傾きつつあった。明朝廷では宋応昌という者と、あの沈惟敬をまたしても行長のもとにつかわした。
沈惟敬は行長に面会を許されると先刻の件につき、まず謝罪したうえで、自らはあくまで和平を進めるつもりであったが、明朝廷内部の主戦派の勢いが強く、自らの力では事をどうすることもできなかったと、真偽定かならぬことをいった。そのうえで宋応昌と沈惟敬は、日本軍が朝鮮から兵を退き、朝鮮二王子を返還し、秀吉が明皇帝に謝罪を行えば、明国皇帝は秀吉を日本国王に封じるであろうと、条件を提示した。
こうして和平工作を進める一方、明軍は決死隊を募り、漢江沿岸の龍山(現在のソウル市龍山区)にある日本側の穀物倉二十三ヶ所を焼き討ちにする。これにより日本軍は、さらなる兵糧不足に苦しむこととなった。
一方、島津勢と島津義弘は江原道の金化城にいた。金化は咸鏡道・慶尚道に挟まれ、守備位置として最も危険であるばかりか、周囲は険しい岩山に阻まれ、穀物はおろか野菜すら育たない。金化城からわずかに離れた場所に春川城があり、この城には、今は亡き島津家久の遺児豊久が、五百の手兵で籠もっていた。この城に明兵六万が攻め寄せてきた。だが救援にかけつけた義弘は、五百の決死隊をもって明軍の本陣に夜襲をかけ、見事これを撃退してしまう。この時の義弘は、何者かに憑かれたかのような戦ぶりであった。危機を救われた豊久は、以後義弘を実の父のように慕い、やがては命すら捨てることになるのである……。だが一方で、義弘には新たな不幸が襲おうとしていた。
明朝廷と日本側で和平交渉が進んでいる間、島津家中では陣中の暇をもてあまし、虎狩りなどをして時間を費やすことが多々あった。
虎は潅木に生き餌として子牛などをつなぎ、その出現を待つ。果たして虎は現われた。
「来ましたぞ若殿」
と老臣羽生藤左衛門がいうと、若武者久保は、
「よし、まだだ、わしがよしというまで撃つな」
と、自らもはやる心を抑える。
「今だ、放てい!」
久保の号令一下、左右の茂みから鉄砲が虎めがけて一斉に発射される。そのうちの数発が虎に命中し、虎は断末魔の叫びとともに倒れた。
「若殿、お見事でごわす」
一同が一斉に骸になった虎にかけよった時、予想外の事態が待ち構えていた。この光景を、もう一匹の虎が見下ろしていたのである。巨獣とは思えぬ敏捷さで山を降り、久保とその配下に襲いかかる。
「己、畜生め!」
久保はとっさに刀を抜こうとしたが、動揺しうまく抜けない。その隙に虎は唸り声とともに、久保の左肩を深々と傷つけた。もんどりうって倒れる久保を横目に、虎はさらに久保配下の侍達に襲いかかる。一人は顔面を傷つけられ血まみれになり、またある者は爪で何メートルも引きずられ命を落とす。
その時、義弘が配下とともにかけつけた。
「おはんの敵はわしじゃ!」
義弘が大音声をあげると、虎もまたそれに応じるかのように、よだれを滴らせながら義弘をも、その爪と牙で一撃にしようとする。
「チェストォォォ!」
義弘は、幾度もの戦場で敵兵を凍らせた大音声を、虎に向かってはなった。虎もまた目をいからせたまま、瞬時棒立ちとなる。次の瞬間、義弘の体捨流の奥義を極めた致命の一太刀が、虎を真二つにした。虎は鮮血とともに絶命した。
久保は一命はとりとめたものの、以後寝たきりとなってしまう。傷口から感染症に罹ってしまったのである。責任を感じた山元勘三衛門、田中三右衛門等が、腹を切って詫びる事態にまでなった。そして久保はついに、二十一歳の若い命を散らしてしまうのである。
「久保しっかりせえ! 今の島津家には、おはんが必要なのじゃ。おはんが死んだら、おい達はどげんしたらよかか!」
義弘は必死に危篤の久保に呼びかけた。
「父上……」
久保はかすかに口をきいた。
「父上とともに……今一度戦場に……」
それが久保の最後の言葉だった。もともと勇猛の士に似合わず、どこか子煩悩なところがあった義弘は、その場に泣き崩れ、いつまでも嗚咽し続け、ついには冷たくなった久保を背負い、
「帰ろう、おまんとともに薩摩に」
と、正気から外れた行動にでてしまう。
「おやめ下され! かようなことをしても若殿は生き返りませぬ!」
近臣の一人が、これもまた泣きながらいうと、義弘は再びその場に伏して嗚咽した。
文禄二年四月十八日、ついに日本軍は漢城から釜山目指して、一斉に撤退を開始する。加藤清正もまた、朝鮮二王子を伴い南下を開始した。
五月、小西行長・石田三成は、明使節二名を伴い名護屋へ帰国する。だが行長も三成も、この二名の者が明皇帝から任命されたわけでもない、いわば偽りの使節であることを知らずにいた。
偽りの使節謝用梓と徐一貫は、肥前・名護屋で徳川家康、前田利家等に毎夜のように饗応を受けた。さらに名護屋城内の山里丸にある金の茶室で、秀吉への謁見も許される。秀吉は両名に対し、勘合貿易の復活、明皇帝の公主の降下、朝鮮の南四道を日本の領土として認めることなどを、和議案として提示した。
このうち朝鮮の南四道割譲を既成事実とするため、秀吉は朝鮮在陣諸侯に対して抜け目なく、ある計画を命じていた。
晋州城は慶尚南道にあり、慶尚から全羅道へぬける重要な拠点であった。また晋州城周辺は穀倉地帯ともなっており、秀吉がこれを欲したのも、いわば当然の成り行きであった。晋州城をめぐっては、文禄元年十月、すでに日本軍が一度攻略に着手している。だが城将金時敏を始め、昆陽県監・李光若らが指揮する約三八〇〇人の兵士に加え、多くの避難民が城内で防戦に努め、日本軍はついにこれを陥落させることができなかった。
第二次となる今回の晋州城攻略には、日本軍はおよそ九万の兵力を投入し、対する守備兵は約七千。六月十五日、加藤清正等に率いられた日本側の部隊は、喚声をあげて城に迫るが前回同様、守備側の必死の抵抗により、苦戦を強いられることとなる。そこで日本側は軍議の末、小早川秀包を先鋒とし、晋州城に夜討ちをかけることなった。
小早川勢は、夜陰音を消し静かに城に迫る。ところが、ようやく小早川勢の前に晋州城の城郭が露わになった時、異変はおこった。突如として、城壁の影に身を潜めていた朝鮮側の守備兵が姿を現わし、弓矢を雨あられと撃ちこんできたのである。日本側の夜襲は、すでに察知されていたのである。
「申しあげます。小早川勢苦戦しておりまする!」
物見に知らせに立花宗茂は、
「よし、毛利と小早川には今まで幾度も危機を救われた。今度はわしが小早川を救う時じゃ」
とただちに馬上の人となると、一隊を率い城の搦め手にまわり、朝鮮守備兵をかく乱する。
新手の敵の出現に、朝鮮守備兵も最初動揺したが、ただちに体制を立てなおし反撃にうつる。秀包、宗茂の力戦も空しく、この日、日本軍は城を陥落させることができなかった。
数日して、今度は晋州城の城兵が宗茂の陣に夜襲をしかけてきた。宗茂は奮闘するも、揮下の将兵は次から次へと討ちとられていく。宗茂も最早これまでかと観念した時、周囲の山々から一斉に鉄砲の音が響きわたり、立花勢を援護することとなった。宗茂は、かすかに朝日に照らされた軍旗をあおぎみた。それはまぎれもなく丸十字の旗印、島津勢の旗だった。島津勢は大将島津義弘の号令一下、一斉に山を降り朝鮮守備兵に迫る。これに動揺した晋州城の城兵達は半刻(約一時間)を待たずして城に退いた。
合戦が終わり立花宗茂は、この時初めて島津義弘という人物とじかに接することとなった。床机に腰かけていた義弘を仰ぎ見た宗茂は、思わず片膝をついた。
「若殿、なにも膝をつかなくとも!」
側近の一人があわてて宗茂をたしなめた。いかに窮地を救われたとはいえ、実父の仇に等しい人物である。まして宗茂も義弘も豊臣政権下の同格の大名である。本来ならば膝をつくなどありえなかった。だが親子ほど年齢の離れた義弘の仁徳とでもいうべきものが、宗茂をして自然と膝をつかせた。
「そなたは年はいくつになる?」
義弘が尋ねるので、宗茂は二十七と返答する。
「そうか……若いのう。我が息子久保とどこか似ておる」
その時宗茂は、老将の目にかすかに光るものを見、一時困惑せずにはいられなかった。
六月二十六日、日本軍は獣の皮で覆った大櫃の中に兵を入れ、仕寄普請にかかった。これに対し城方は、大石等を落として対抗する。一方城の東門においても、日本側は大木を立て、その上に囲いをもうけて兵を潜ませ城内に火矢を放った。だがこれも朝鮮守備兵が大砲等をもって応戦したため、成果はあがらなかった。大将の宇喜多秀家は、城内に降伏勧告を行ったが城側に拒絶された。
さらに日本軍は、亀甲車と命名された新たな兵器を開発していた。亀甲車とは四輪車に大櫃を取り付け、その中に兵士が入り轍を回して進むものである。これにより火矢を防ぐことが可能になった。加藤清正の家臣森本儀太夫、飯田覚兵衛等は亀甲車により晋州城北面にまわり、足軽や職人等とともに、鉄梃で石垣を崩しにかかる。
六月二十八日、晋州城正門の石垣にも穴を開けた日本軍は、ここに攻撃を集中、城方の忠清兵使黄進が討ち死にした。万を持して日本側は翌未明、総攻撃を開始する。城方は火矢を集中して防戦につとめるも、亀甲車には通用しない。
西門からは黒田長政の一隊が城の攻略に着手する。やがて城内への潜入に成功した黒田方の武者が、
「我こそは、黒田家家臣後藤又兵衛なり!」
と亀甲車の中から出現し、大音声をあげた。さらに他の諸隊も、次から次へと城への潜入に成功し城の命運は決した。城方の金千鎰・崔慶会等は南江の流れに身を投じ、七千で九万の敵に対すること十四日、ついに晋州城は日本側の手に落ちたのである。
この間も講和交渉は進行していた。石田三成と小西行長は、虚々実々の駆け引きをもって明側と交渉し、ついには秀吉をも欺いた。いや、明国朝廷もまた欺かれたといってよい。清正は捕虜にした朝鮮二王子を返還することとなり、ここに和平は実現を見たかに思えた。だが、戦乱は終局したわけではなかった、。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
徳川慶勝、黒船を討つ
克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
尾張徳川家(尾張藩)の第14代・第17代当主の徳川慶勝が、美濃高須藩主・松平義建の次男・秀之助ではなく、夭折した長男・源之助が継いでおり、彼が攘夷派の名君となっていた場合の仮想戦記を書いてみました。夭折した兄弟が活躍します。尾張徳川家15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、特に会津藩主・松平容保と会津藩士にリベンジしてもらいます。
もしかしたら、消去するかもしれません。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
