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【第三章】慶長の役・漆川簗海戦
しおりを挟む結局、日明の和平交渉は様々な紆余曲折の後に破綻しようとしていた。九州・四国の大名等には再侵攻の命がくだされる。今回の遠征軍はおよそ十四万人。前回と異なることは、遠征の第一目標が、秀吉が『赤国』と呼んだ全羅道の攻略におかれていることだった。
一方、朝鮮水軍提督で散々日本軍を苦しめた李舜臣は、朝鮮水軍内で讒言する者があり、任を解かれてしまった。そればかりか無実の罪で凄惨な拷問にかけられたうえ、なんと驚くべきことに白衣従軍、すなわち一兵卒に格下げとなってしまった。代わって朝鮮水軍を率いることになったのは、あの大食漢にして無能な元均だった。
慶長二年六月十八日、元均に率いられた艦隊およそ百余艘は、ようやく閑山島を出港し北上を開始した。途中安骨浦で日本の水軍の待ち伏せを受け、白兵戦となったが、これを振り切り加徳島へと到達した。だがここに待っていたのは、島津義弘率いる艦隊だった。島津軍は他の日本のいかな部隊と比較しても勇猛だった。大砲を乱打しても中々ひるまない。すでに九州での合戦で大砲の威力を知っており、ようやくその破壊力にも耐性がつき始めたからでもあった。結局この戦いで朝鮮側は、平山浦万戸・金軸と宝城郡主・安弘国を、島津方の鉄砲隊により失うこととなる。
命からがら閑山島に逃げ帰った元均は、以後絶っていた酒を、また日夜浴びるように飲み始める。指揮官のこの惰弱ぶりが、やがて朝鮮水軍全てに弛緩しきった空気をかもしだすのに、時はかからなかった。
七月八日、藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明等に率いられた約六百の艦隊が、釜山沖に出現したという通報が入った。それでも元均は動こうとしない。業を煮やした朝鮮の都元帥権慄は、元均を昆陽に呼びつけ詰問に及ぶ。元均はいろいろと言い訳を試みたが聞き入れられず、刑具に縛られ、衆人監視のもと棒で百回以上も殴られた。
さしもの元均も、もはや出撃するより他道はない。紆余曲折の末、元均はようやく釜山沖に到達したが、遠路強行軍であったこともあり、水軍の士気は極めて低かった。日本側の歴戦の将藤堂高虎は、さすがにそれを看破していた。
「こたびの指揮官は、恐らくあの李舜臣とか申す者ではあるまい。何者じゃ?」
高虎は側近に尋ねる。
「はっ、李舜臣はなんでも王命に背いた罪とやらで、牢に入れられ、白衣従軍すなわち足軽に格下げになったとか。今朝鮮水軍を率いているのは、元均とか申す者でござる」
「なんと! あれほどの将が足軽に格下げ……?」
高虎は、事態を完全に飲み込むことができず、しばしきょとんした。自身近江浅井氏の足軽から身をおこし、二年前秀吉のもとで伊予宇和島七万石の主にまでなった高虎は、自らが日本国に生を受けたことに少なからず安堵せずにはいられなかった。
「元均と申す者、李舜臣を讒言して罪に陥れたとのことで、なにしろ李舜臣は頑固一徹な軍人で、これまでも己よりも上位にある者と衝突することしばしばだったとか」
「うむ李舜臣と申す者、水の上を渡る術には長じておるが、人の世を渡る術は心得ておらんかったようじゃな」
と高虎は皮肉ともとれる言葉を発し、かすかに笑みを浮かべた。
高虎は単なる処世術の達人ではない。かって秀吉の四国征伐のおり、難攻不落といわれた阿波・一宮城の堀の深さを、夜が深くなる頃自ら測り、敵の銃撃を受けたといわれる高虎は、戦場周辺の地勢を全て頭に入れていた。
亀甲船を先頭とする元均の艦隊は、その機動力により緒戦は有利に戦をすすめた。だが高虎の水軍は、戦うとみせかけては退き、元均の艦隊を疲労させる作戦にでた。元均は深追いしすぎた。敵艦も見失い、気がついた時は、なんと目の前に対馬がおぼろげながら姿をうかべていたのである。
かろうじて玉浦まで帰還したものの、朝鮮水軍において船の漕ぎ手である格軍の体力は、すでに限界に達していた。しかも巨済島北岸の日本軍により、すでに港は封鎖され、蟻のはいでる隙間もないほどの包囲をしかれていた。
元均は覚悟し、全艦に突撃を命じた。ようやく秋原浦までたどりついた時には、朝鮮水軍は、敵の至近弾によりほぼ壊滅。艦隊も数えるほどしか残されていなかった。陸地にかろうじて逃れたものの、そこに伏兵を敷き待ち構えていたのは島津義弘の部隊だった。元均はすでに島津兵の勇猛さを知っている。恐怖に震えながら一人逃げ回ったが、松の木に巨体を横たえているところを、ついに一人の島津兵に発見されてしまった。
「命だけはお助けくだされ!」
むろん島津兵に朝鮮の言葉は理解できない。だが手を合わせている様子から、およそ命乞いしていることは察しがついた。急を聞いてかけつけてきた義弘は、その鎧の派手さから敵の大将と確信した。しばし馬上から冷たく元均を見下ろした後、
「斬れ!」
と一言命じた。本能的に自らが殺されることを悟った元均は悲鳴にも似た声をあげ、しばし錯乱した。その時島津兵の刀が肥満した腹に深々と突き刺さった。さらに二太刀、三太刀、ついに首を斬り落とされてしまった。
義弘の背後に島津豊久が控えていた。豊久は死してまだ恐怖の色をありありと浮かべ、空ろな眼光をした敵将の首に、おもわず目をそむけた。それを察した義弘は、
「殺すもまた情けと知れ」
と短くいった。
この漆川簗海戦で日本軍は閑山島を占領し、朝鮮側の艦隊はわずか十三隻を数えるのみとなってしまった。だがここに日本軍にとって不幸な事態がおこる。予想外の大敗北に動揺した朝鮮王朝が、あの李舜臣を水軍の将に復帰させたのである。日本軍に再び試練の時が迫っていた。
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