デラシネの風見鶏

端本 やこ

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本章

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「な……にしたの……」

 耳鳴りに抗って俯いた首を振り、良太に掴まれた手を引いた。
 絞り込まれるように縮小されていく耳障りな音に合わせて呼吸を整える。

「ひとまず、止めた」

 何のこと?
 恐る恐る目を開けて見ると、拓哉氏は良太の方に視線を移したまま固まっている。
 まるで精巧な蝋人形だ。瞬きもせず、呼吸さえ感じない。

「ぇ、待って。これって」
「落ち着け。時間に介入しただけだ」

 大したことじゃないと、良太が一歩私に近づいた。

「ずっと隠していたのはこいつか」
「隠してたって言うか……」

 考えてはいた。
 暗い思い出も明るい思い出もひっくり返して、馬鹿みたいな自問自答を繰り返していた。
 確証を持てないまま、イアンを想って、想像の拓哉氏に思いを馳せた。
 イアンと一緒の良太を願って、良太の傍らから消えた自分を忌み嫌って吐きそうだった。

「こいつに会って、俺にどうさせたいんだ」

 良太に憎しみの影が落ちた。
 静かだけど、怒っている。燃えるように憤慨している。

「会って欲しかった。どうしても! イアンとの最後があんなだったから。だからっ」
「で?」

 望み通り会ってやったぞというように、良太が無機質な一瞥を拓哉氏へ向けて直った。

「イアンなの?」
「兎本の男なんだろうが」

 馬鹿にした溜息と一緒に吐き捨てた。

「イアンじゃないの? だって理都子と一緒にいるんだよ? 絵もかいてるし、それに」
「それに?」

 言葉尻を取られてしまえば、何も言えない。
 理都子との縁と、芸術関係の仕事をしているということ以外は何もない。

「でもっ!」

 良太の胸ぐらに食い下がる。
 拓哉氏が、私たちとイアンを繋げる最後の希望だから諦めなんてつくものか。

「例えこいつがイアンの生まれ変わりだとしても、こいつはこいつだ。わかるだろう?」

──イアンじゃない。

 重々しくもはっきりと良太が言い切った。
 大魔法使いの宣告に、目の前が真っ暗になる。

「ぉたは、良太はイアンに会いたくないの?」

 乾きかけた口を必死に動かす。

「イアンはこの手で弔った。お前も一緒にいただろ」

 だからと言ってと言いかけて止めた。
 弔いとは、死を悼み別れを告げること。魔法使いが丁重に事を進めたのを確かに感じた。物であった私は、それこそ涙すら流すことは叶わなかったけれど、魔法使いの御心とともに、イアンの最期を崇敬し、親愛の念を捧げ、見送ったのだ。
 会いたいかじゃない。
 もう会えないのだ。
 太陽が燃え尽きるまで生きようとも、残された私たちはふたりきり。
 イアンはもういない。

「そんなの悲しすぎる。良太が辛すぎる」
「こらこら。勝手に俺を憐れむじゃねぇ」

 良太から棘が抜け落ちた。
 良太が言うように、愛する人を失くした良太を憐れんでいたのかもしれない。良太が愛した人を守れなかった私は、ラッキーチャームとしての存在意義を失って、なんとか自身の価値を再建しようとしていたんだ。
 そう気がついて、私も肩の力が抜けた。

「私をイアンそっくりに作ったくせに」
「そりゃぁ、、、お前はイアンを愛していただろう?」

 私のために髪と目の色をイアン譲りにしただなんて考えもしなかった。イアンを忘れないために、イアンの代わりをさせるためだと──

「馬鹿ね。私って、ホント馬鹿」
「そりゃ飼い主に似るって言うからな」

 良太が笑う。
 おじいちゃんかと突っ込みたくなるような慈愛を籠めて。

「イアンも大概だったもんね」
「ふざけんな。今は俺のもんだ」

 おどけたように吐き捨てて、良太が私を包み込んだ。
 優しくて温かい。

「それじゃ良太も馬鹿ってことになるね」
「どう考えてもそうだろ」

 勝気な魔法使いが意外にも素直に認めるものだから、私は彼の胸元からその目を覗き込んだ。

「イアンからもあいつら・・・・からも奪っておけばよかったんだ」
「それがあなたの望みなの?」

 あぁそうだと言う代わりに口づけられた。
 愛を尽くしているようで、そのくせ懺悔をするように。

「俺は。そうだな」

 とても言い難そうに、苦虫を嚙み潰したように顔をしかめる。良太にとって屈辱だろうとも、私はその先を望む。
 聞かせて欲しいと懇願して、彼の背中をそっと撫でる。

「俺たちの始まりの場所で、ウィンディーネとふたりきり、静かに暮らしたい」
「森の近くの、あの丘で?」
「あぁ。他にどこがある?」

 ない。
 私たちが帰る場所はあそこだけだ。

「引っ越しは?」
「行ってみたいところには一通り行った。それに、たまには旅行するのもいい」
「ずっと一緒?」
「あぁ。地球が滅亡したら月にでも行こう」
「それって!」

 それって、なんて素敵なんだろう。
 穏やかで平穏な日々をあの美しい場所で、それも唯一無二の大魔法使いとふたり、永遠にだなんて!

「500年、片思いだと思ってた」
「俺もだ」
「ばっかみたい」
「だから大馬鹿だって言ってるだろ」

 額を寄せ合って、笑い合う。上唇に当る良太の息がくすぐったい。私の吐く息と混ざり合って消えていく。たったそれだけのことに、本物の幸せを掴んだ気がする。

「さて。この男の記憶は消すしかないな」

 良太が胸を離した。そして私は、他人の玄関先でいちゃついている状況を思い出す。
 それも家主をフリーズさせたまま。
 
「待って。この人、本当にイアンじゃ」
「宇多」
「違うの?」

 もう、イアンでもイアンでなくても、どっちでもいい。だけど、気になる。
 すっきりしたいってだけで、良太を困らせる。

「違う」

 嘘でもいい。良太が言い切ってくれてよかった。

「ねぇ良太。私の記憶も消してくれない? できたら、理都子たちからも」

 良太が本当に心底驚いた顔なんて初めて見る。
 目を見開いて、それでも私の本心を探ろうとしているのは、多分、無意識だ。

「出来るでしょ? だって良太は大魔法使いだもの。良太は私の願いは叶える。ううん。私のためにしか魔法を使わない」
「どういうことか、ちゃんと理解しているのか?」
「あったりまえじゃん」

 自然と自分の頬が満面の笑みをたたえる。

「いいのか?」
「あなたも願ってくれるなら」

 ゆっくりと頷く良太は、もう良太でなく魔法使いの見目に変わっていた。
 絶対的な自信が溢れる、若くて精悍な目つきをした西洋人。

「愛している。俺だけのウィンディーネ」

 魔法使いの力強くも甘い声が、私に永遠の誓いを立てる。
 夢心地で、彼の声と力に全てを委ねた。
 長い赤髪が顔面の前を舞った……ような気がする。

 安楽の風に包まれて、私は意識を手放した。
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