デラシネの風見鶏

端本 やこ

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本章

15

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 朝というには陽が高い時間だった。
 目覚めると、私は元の姿、宇多に戻っていた。
 鏡を見るまでもなく感覚で分かる。事実、もうウィンディーネの赤髪は視界になく、胸部の重みも親しみのある程度になっていた。

「泣きながら善がるウィンディも可愛いけどな」

 少し残念に思っているのがバレたのかもしれない。
 なんでもないことのように言う良太は、どこかすっきりして見える。
 それもそうか。
 私の生死に関係なく、エンターテインメント性のある一夜を過ごした。希望を受け入れられたことで気持ちの整理がついた上に、欲求不満も解消されるというおまけ付きで。
 きっと今の私も、清々しさに溢れているに違いない。

「ねぇ、良太。いつデートしようか。『また今度』って言ってたでしょ?」
「荷造り終わらせてからな」
「ぷぅ。そんなの、それこそ魔法で」
「しねぇーよ。要るものとそうでないもの、ちゃんと整理しろよ」
「なーんも要らないなぁ」

 パソコンだけあればいいやと言うと、呆れたように肩を落としてマグカップを用意してくれた。
 珍しく、爽やかな香りがする。
 意識して息を吸い込むと、少しだけ甘味のあるフルーティなハーブの香りがした。
 味も薄めでとても軽やかだった。

***

 結局、念願のデートは引っ越しの数日前になった。すでに手持ちの荷物は少なく、デートといってもお洒落をするでもなく、手の込んだ化粧を施せるはずもない。普段通りの……いいや、なんなら普段よりリラックスした恰好で、ふたり、並んで歩く。

「大学か、猫間んとこの店ぐらい行っとくか? 引っ越し先の近くにアトウッドの店舗ないぞ」

 田舎だからなと、付け加えて良太は笑う。
 私が使っているオーガニックコスメブランドを知っていることには少しだけ驚いた。コスメなんて興味ないだろうに。私自身、こだわりがあるからじゃなくて、詩乃が働いているからって理由だけで使いはじめたのだ。実際、使用感がいいから固定して使い続けている。
 
「オンラインショップで買うか、最悪、詩乃に送ってもらえるって」
「それもそうだな」
「それに、学校ならもう行ってきた」
「だったらどこに連れてくつもりだ?」
「まだ秘密。良太は行きたいとこある?」

 どうせデートコースなんて考えてくれていないでしょとひと睨みすれば、良太は肩をすくめて肯定した。
 その後は異議を唱えることなく、私の行く道をついて来る。
 道順はうろ覚えだったけれど、ほとんど迷わなかった。
 あの夜、私が良太に保護された公園にたどり着いた。
 良太は途中で気がついたに違いないけれど、何も言わなかった。考えあぐねている様子が見て取れて、ほくそ笑む。良太が今の私のことを考えて、今までの私のことを思い出しているのが気分がいい。意地悪だって自覚している。大魔法使いが悩んでいる姿は超レア。そのうえ、答えを見つけられるわけがないってのも愉快でたまらない。

「ここに何がある?」

 公園の入り口でぐるっと見渡した良太がついに降参した。

「なーんも!」

 見ての通りだ。小さな滑り台とブランコ、水道と、ベンチがあるだけの小さな公園だ。
 強いて言えば、私たちの関係を変えるきっかになる出来事があった思い出の場所……になるだろう。そうなるかどうかは、この後次第だ。

「良太。良太の望みは何?」

 良太を真っ直ぐ見つめて問う。
 初めてたずねた
 良太は私の望みはなんでも叶えてくれる。叶えてくれた。
 私は良太の望みすら知らない。

「そんなもの」

 ない、というのならば、それは本心だろう。良太なら、魔法使いならば、自分の望みぐらいどうとでもできる。実際に私は彼がそうするところを何度も見てきた。
 それでも聞いてみたのは、彼が叶えてきた望みは全て私に関わることだったから。
 ウィンディーネの体で抱かれて、考えが行きついたのだ。
 私の望みを叶えることが、良太の望み。私が本気で望んだなら良太は拒まない。

「会って欲しい人がいる」

 私の発言を受けて、もう一度良太は公園内を見やった。
 残念。ここじゃないんだな。
 良太の手を引いて、この先にあるアパートを目指して歩き出した。

***

「会えって誰に? おい、ちょっと待てって!」

 誰って?
 そんなの私も知らない。
 理都子の現保護者だか、飼育者だってことしか。
 
「もう直ぐだから」

 ここまで来て立ち止まるわけにはいかない。
 この機会を無視して生きていけるわけがない
 イアンの生まれ変わりらしき人よ?
 そもそも悩む必要なんてなかったんだ。

「会えば分かる」

 良太を引っ張るようにして、ぐんぐん、ぐんぐん歩いて、あっという間に玄関先まで来ていた。
 チャイムを鳴らそうと持ち上げた人差し指が震えている。
 ここまできて体がこんな反応するなんて笑っちゃう。鼻から自嘲の息が漏れた。
 ちらりと良太を伺うと、不快全開で眉をしかめている。そんな良太がいさめようとする前に、

「そんな怖い顔して」

 と、私はインターフォンを押した。
 この早くも遅くもない時間帯はよっぽどでない限り在宅に違いないのだ。同じフリーランス同士、なんとなく生活ルーティンは見えるもの。
 このドアを一枚隔てた先に拓哉氏、イアンの生まれ変わりがいる。
 手だけでなく、心が震える。それどころか全身全霊が震えているかも。
 室内の気配に注意を向けつつ、もう一度指先に力を籠める。

「宇多」

 ボタンを押した震える手を長太が制した。
 説明を求める良太と睨み合うかのように、しばしの沈黙。

「理都子の彼」
「ぁ?」

 呟きのようなぼそりとした声しか出なかった。
 はぐらかしてきた私に対して、良太の我慢が限界を迎えつつあることを感じる。

「イアン」

 かもも、だと思うも、続かなかった。イアンの名を口にするだけが精いっぱい。
 喜怒哀楽は確かに存在するのに、そのどれにも当てはまらない。感情の嵐に巻き込まれて、緊張も涙も避難しているみたい。
 良太は小さく息を吸い込んで、止めた。
 彼が考えていた全ての可能性はかすりもしなかったはず。証拠に、一拍置いて私の手首を握る手に力が籠った。
 骨が軋んだ気がした。
 痛みを感じないのは感覚さえも麻痺しているからだろう。
 一瞬の出来事なのに、ひどく鮮明に感じる。

「はい」

 カチャリとドアが開いて、これでもかというぐらい不機嫌な低い声がした。
 良太の声でも、もちろん私の声でもない、不審を隠さない声。
 チェーンはかけたまま、隙間から見下ろす目の冷たさに、思わずドアノブにかけられている手に視線を移す。
 ペンだこが、イアンと同じ位置にある。
 胸の奥底から込み上げるもので息苦しい。

「何か?」
「申し訳ない」

 私の代わりに良太が応えた瞬間、キィィィンと不快な耳鳴りに襲われた──
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