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本章
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「それじゃ、元気で」
ハグをして見送った──はずの理都子の後をつけている。
お泊りセットを常備する理都子は大きなバッグを肩に掛けて歩く。目印があるので見失うことはない。電車内では車両をかえて、文庫本を読むふりをした。駅を出てからも一定距離を保つ私を不審に思う人はいない。
平凡代表の見た目が役に立つ。良くも悪くも目立たず、人込みに紛れるのに一役かっている。
探偵の真似事に高揚もスリルも感じない。
ただ、ただ、一目見たくて、理都子を追っている。
理都子が拓哉という男の元へ行くかどうかは賭けだ。
いきなり紹介しろだなんていえるはずもなく、こうするしかなかった。
駅から10分ほど歩いた。比較的立地条件の良い建物に理都子は迷わず向かう。
理都子の家じゃない。
勘が当たった。
破裂したはずの心臓がギュッと縮こまる。当たり前だ。私は生きているのだから、心臓はここにある。自分の胸の中心をどんどんとグーで殴りつけ深呼吸をする。
理都子がドアチャイムを押す姿に集中する。合鍵は持っていないらしい。しばらく待つ。反応がないのか、理都子は遠慮なく再度ボタンを押した。
心の準備なんてしている暇はない。
瞬きも呼吸も忘れて目を凝らす。
玄関の扉が開かれた。
理都子が玄関先で一言、二言やり取りをする。
離れたところから見上げている私には音も声も聞こえない。
扉を押さえる手だけが見えた。
息を飲む。
理都子が吸い込まれて、そのまま扉は閉められた。
「お困りですか?」
初老のご夫婦とおぼしき男女に声をかけられハッとする。
どれだけその場に立ち竦んでいたか分からない。
「あ、いえ。えっと、その、近くにコンビニはありませんか?」
乾いた唇が歯にくっついて話しにくい。口元をひきつかせながら取り繕った。
コンビニに着くと、興奮と極度の緊張から解放されてトイレで吐いた。
手洗い場で何度も口をすすぐ。
頭にあるのは理都子を迎え入れた色白の手。光の加減なのかもしれないけれど、少なくとも理都子の肌より白く見えた。
筆を持つためにあったイアンの手を思い出す。イアンの中でも一番記憶にある部位だ。
私を作製した手。
節にはタコがあって、爪の先は塗料や材料で汚れていた。
洗い終えた自分の両手をまじまじと見つめて、記憶の中のイアンの手と、遠くから眺めただけの拓哉氏の手を重ねてみる。
分かるわけがない。
トイレを借りた御礼にお茶を一本買って出た。
よろよろとたどり着いた公園でブランコに腰掛ける。
私の体重で鎖がキィと軋んだ。
どことなく懐かしさを覚える音。屋根の上で私が鳴らした音に似ている。
思いきって地面を蹴ると、拓哉氏の住まう建物が見えた。
今夜、理都子はあの部屋から出てくることはないだろう。
朝までここでブランコを漕いでいるわけにはいかない。
分かっているけれど、離れがたさがある。
やっと、やっと、見つけたかもしれない。
もふもふの丸っこいうさぎを腕に納めるイアンの姿が鮮明に目に浮かぶ。
うさぎをくすぐるように撫でながら優しく微笑むイアンを、ちらりと見やって興味なさ気にする魔法使いの姿まで見えてしまう。
良太──。
イアンをみつけたかもしれないって言ったらどんな顔をするだろう?
会いに行こうと言ったら、一緒に来てくれるだろうか。
多少強引に理都子を押し切ることはできる。拓哉氏が嫌がっても、強引に扉の前に立つことができる。
そのあとは?
私はどうする?
どうなる?
良太がイアンと500年の時を埋める選択をしたら、私は捨てられる。
ううん。良太とイアンのことだから、私を傍に置くかもしれない。けれど、きっとそれは、人としてではなく物としてだ。
苦しい。
死は恐れていない。それより精の供給が途絶えることが怖い。
良太と話せなくなることが、良太に触れられなくなることが、良太との生活が壊れることが怖くて仕方がない。
置物としていられるだけ私はまだいい。
理都子はどうなる? ペットにも餌にもなりえない今の理都子に、保護してくれる狼はいない。黒猫に泣きつくことだってできないはずだ。路頭に迷ったうさぎが打ちひしがれて、行きつく先なんて想像がつく。真っ暗闇の中で身を震わせ、寂しさに喘いで、やがてひとりで死んでいく。
「うげっ」
吐き気がぶり返す。
このまま静観するのが一番だ。
拓哉氏がイアンの生まれ変わりか確かめず、私は良太と飛行機に乗ればいい。物理的な距離をあけて、ほんの50年ぐらい黙っていればいいだけ。たったそれだけ我慢すれば、イア、、、拓哉氏も理都子も死んでしまうのだから。
この先50年、私は普通に過ごせるだろうか。態度に出さず、良太に読み取られることもなく、平静を保てるだろうか。
いや。ダメだ。どう考えたって無理。
良太とそろって、理都子から拓哉氏を紹介される可能性がある。それこそ、もし理都子たちが結婚でもしようものなら避けられない。
不思議なもので、悪い想像の方が当たると相場が決まっている。
運命だか縁だか知らないけれど、繋がりが濃ければ濃いほど遭遇するものだから。
私が理都子たちと巡り合ったように、良太とイアンが出会うのも必然に違いない。
はぁ……ぅしよう。
自分がこんなにもちっぽけだなんて知らなかった。
様々な時代を生き抜いてきた分、アラサーの友人たちより経験値は高いはずなのに、イアンの存在ひとつで立っていられないほど揺さぶられている。
ブランコの鎖を握る手の震えが座板に伝わって、不自然な振動が臀部から返ってくる。小さな地震がずっと続いているようで気持ち悪い。微振動で足元が歪むように錯覚する。
「りょーた」
情けない声が出た。
独りぼっちで心細くて、、、こんな時にだって私は良太に縋るんだ。
俯いて堪えていた涙がぼたぼたと眼鏡の内側落ちた。視野がぼけて現実が見えなくなる。
レンズの水溜まりに溺れたみたいに、ひっくひっくと必死に息継ぎをする。
「宇多!」
ブランコが軋んで、私は強く、強く、抱きしめられた。
ハグをして見送った──はずの理都子の後をつけている。
お泊りセットを常備する理都子は大きなバッグを肩に掛けて歩く。目印があるので見失うことはない。電車内では車両をかえて、文庫本を読むふりをした。駅を出てからも一定距離を保つ私を不審に思う人はいない。
平凡代表の見た目が役に立つ。良くも悪くも目立たず、人込みに紛れるのに一役かっている。
探偵の真似事に高揚もスリルも感じない。
ただ、ただ、一目見たくて、理都子を追っている。
理都子が拓哉という男の元へ行くかどうかは賭けだ。
いきなり紹介しろだなんていえるはずもなく、こうするしかなかった。
駅から10分ほど歩いた。比較的立地条件の良い建物に理都子は迷わず向かう。
理都子の家じゃない。
勘が当たった。
破裂したはずの心臓がギュッと縮こまる。当たり前だ。私は生きているのだから、心臓はここにある。自分の胸の中心をどんどんとグーで殴りつけ深呼吸をする。
理都子がドアチャイムを押す姿に集中する。合鍵は持っていないらしい。しばらく待つ。反応がないのか、理都子は遠慮なく再度ボタンを押した。
心の準備なんてしている暇はない。
瞬きも呼吸も忘れて目を凝らす。
玄関の扉が開かれた。
理都子が玄関先で一言、二言やり取りをする。
離れたところから見上げている私には音も声も聞こえない。
扉を押さえる手だけが見えた。
息を飲む。
理都子が吸い込まれて、そのまま扉は閉められた。
「お困りですか?」
初老のご夫婦とおぼしき男女に声をかけられハッとする。
どれだけその場に立ち竦んでいたか分からない。
「あ、いえ。えっと、その、近くにコンビニはありませんか?」
乾いた唇が歯にくっついて話しにくい。口元をひきつかせながら取り繕った。
コンビニに着くと、興奮と極度の緊張から解放されてトイレで吐いた。
手洗い場で何度も口をすすぐ。
頭にあるのは理都子を迎え入れた色白の手。光の加減なのかもしれないけれど、少なくとも理都子の肌より白く見えた。
筆を持つためにあったイアンの手を思い出す。イアンの中でも一番記憶にある部位だ。
私を作製した手。
節にはタコがあって、爪の先は塗料や材料で汚れていた。
洗い終えた自分の両手をまじまじと見つめて、記憶の中のイアンの手と、遠くから眺めただけの拓哉氏の手を重ねてみる。
分かるわけがない。
トイレを借りた御礼にお茶を一本買って出た。
よろよろとたどり着いた公園でブランコに腰掛ける。
私の体重で鎖がキィと軋んだ。
どことなく懐かしさを覚える音。屋根の上で私が鳴らした音に似ている。
思いきって地面を蹴ると、拓哉氏の住まう建物が見えた。
今夜、理都子はあの部屋から出てくることはないだろう。
朝までここでブランコを漕いでいるわけにはいかない。
分かっているけれど、離れがたさがある。
やっと、やっと、見つけたかもしれない。
もふもふの丸っこいうさぎを腕に納めるイアンの姿が鮮明に目に浮かぶ。
うさぎをくすぐるように撫でながら優しく微笑むイアンを、ちらりと見やって興味なさ気にする魔法使いの姿まで見えてしまう。
良太──。
イアンをみつけたかもしれないって言ったらどんな顔をするだろう?
会いに行こうと言ったら、一緒に来てくれるだろうか。
多少強引に理都子を押し切ることはできる。拓哉氏が嫌がっても、強引に扉の前に立つことができる。
そのあとは?
私はどうする?
どうなる?
良太がイアンと500年の時を埋める選択をしたら、私は捨てられる。
ううん。良太とイアンのことだから、私を傍に置くかもしれない。けれど、きっとそれは、人としてではなく物としてだ。
苦しい。
死は恐れていない。それより精の供給が途絶えることが怖い。
良太と話せなくなることが、良太に触れられなくなることが、良太との生活が壊れることが怖くて仕方がない。
置物としていられるだけ私はまだいい。
理都子はどうなる? ペットにも餌にもなりえない今の理都子に、保護してくれる狼はいない。黒猫に泣きつくことだってできないはずだ。路頭に迷ったうさぎが打ちひしがれて、行きつく先なんて想像がつく。真っ暗闇の中で身を震わせ、寂しさに喘いで、やがてひとりで死んでいく。
「うげっ」
吐き気がぶり返す。
このまま静観するのが一番だ。
拓哉氏がイアンの生まれ変わりか確かめず、私は良太と飛行機に乗ればいい。物理的な距離をあけて、ほんの50年ぐらい黙っていればいいだけ。たったそれだけ我慢すれば、イア、、、拓哉氏も理都子も死んでしまうのだから。
この先50年、私は普通に過ごせるだろうか。態度に出さず、良太に読み取られることもなく、平静を保てるだろうか。
いや。ダメだ。どう考えたって無理。
良太とそろって、理都子から拓哉氏を紹介される可能性がある。それこそ、もし理都子たちが結婚でもしようものなら避けられない。
不思議なもので、悪い想像の方が当たると相場が決まっている。
運命だか縁だか知らないけれど、繋がりが濃ければ濃いほど遭遇するものだから。
私が理都子たちと巡り合ったように、良太とイアンが出会うのも必然に違いない。
はぁ……ぅしよう。
自分がこんなにもちっぽけだなんて知らなかった。
様々な時代を生き抜いてきた分、アラサーの友人たちより経験値は高いはずなのに、イアンの存在ひとつで立っていられないほど揺さぶられている。
ブランコの鎖を握る手の震えが座板に伝わって、不自然な振動が臀部から返ってくる。小さな地震がずっと続いているようで気持ち悪い。微振動で足元が歪むように錯覚する。
「りょーた」
情けない声が出た。
独りぼっちで心細くて、、、こんな時にだって私は良太に縋るんだ。
俯いて堪えていた涙がぼたぼたと眼鏡の内側落ちた。視野がぼけて現実が見えなくなる。
レンズの水溜まりに溺れたみたいに、ひっくひっくと必死に息継ぎをする。
「宇多!」
ブランコが軋んで、私は強く、強く、抱きしめられた。
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