デラシネの風見鶏

端本 やこ

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本章

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「お待たせー」

 理都子がドリンクとドーナッツを手にやってきた。夕飯前のおやつにしては重たいチョイス。理都子らしい食欲は健在なのに、プライベートな姿では少しやつれて見える。

「お疲れ。ねぇ、ちょっと痩せた?」
「それ嫌味ぃ?」

 本気で怒っていない声色を発してドーナッツにかぶりつく。
 私は黙って理都子のお腹が落ち着くのを待つ。

「結婚?」

 口の端をペロリと嘗めとる理都子は、自信満々な顔をしている。
 理都子、お前もか。
 
「残念。はずれ」
「じゃ、お説教」

 叱られるようなことしたのかと問い詰めるべきなのかもしれない。

「それもはずれ」

 先に用件を伝えなければタイミングを逃すような気がして、「実は」と続けた。意見も感想も求めない。私の選択を決定事項として伝える。

「中国のどこ? 聞いてもわかんないけど。で、いつ行っちゃうの? いつまで? 長期休暇は帰ってくるのでしょ? あ、もしかして日本と違ったりするのかな」

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、まとめて答えるのが仕様だ。
 一通り説明すると、利都子は溜息交じりに「そっか」と呟いて口を閉ざした。
 理都子の沈黙が痛い。全身をチクチクと刺されているようにも感じるし、胸をジリジリと焦がされているようでもある。
 賑やかしの理都子が見せる歳相応の落ち着きに、私は直感した。
 理都子は友人で憧れでもある詩乃と「今まで通り」とはいかなくなったと理解したのだと。
 私まで離れるにはタイミングが悪い。

「私が帰ってこれなかったら、理都子が会いに来てよ」
「海外旅行かー。確かにひとり旅もいいかもね。宇多がいるなら安心だし」
「でしょ」
「お金貯めよーっと」
「そうしな」

 理都子がへにゃりと笑う。
 その泣きそうな顔を見て、私は黙っていられなくなる。

「ねぇ、理都」
「ごめん。宇多、ごめん」
「馬鹿。なに謝ってんの」

 理都子が「だって」と言いかけて、ううんと、首を振る。
 理都子にも言い分があるはず。詩乃から聞いた話だけで真実をジャッジできない。しかし、結果的に友人関係にひびが入ったのだから、巻き添えをくう私と紗也加に申し訳ないのだろう。

「言い訳したくないけど、私、奪ったわけじゃ」

 理都子のゲーム、と私は呼んでいる。理都子の男遊びゲームには絶対的なルールがある。
 理都子は思わせぶりな態度をとるが、最終的に決定打を放つのは相手側。
 せこい。
 そのせこさたるや、決して褒められたものではない。反面、男女関係の駆け引きであるのも事実。
 
「うん。いつも通りにしただけなんでしょ」

 こくこくと頷く仕草は、先に見せた落ち着きは剥がれ落ち、少女じみて見える。
 私の知る誰よりも肉体的に成熟した生き物のくせに、アンバランスなんだ。心と体が。

「残念ながら、結果はいつもと違った。というか、」

 私は全て言い切らず、視線を投げた。
 理都子は口元を歪めている。泣くまいとしているのか、血が滲むまで噛み締めるような気がして、理都子のグラスを差し出した。
 黙ってグラスを受け取た理都子が、終わりかけのドリンクをずずずずずずっと吸い上げて、

「馬鹿でしょ」

 と、力を抜いた。

「馬鹿ね」

 ふたりでグラスに残った氷をざくざくとストローで掘って、掘って、掘って、底の一滴まで飲み干した。

「お水とってくる」

 理都子に言い残して、セルフサービスコーナーに赴いた。
 自業自得とはいえ、手負いのうさぎは強かに生き抜けるだろうか──などと考えつつ、水を注ぐ。
 自分を大切にしなさい、幸せになる道を選びなさい、理都子には学生の頃から散々言い聞かせてきた。理都子にしたら耳タコってやつだろう。
 いっそ、早い段階で詩乃への恋心を指摘してやればよかった。そうすれば傷は浅かったかもしれない。無駄に豊富な男性遍歴も、無駄ではない程度で済んだかもしれない。
 ……かもしれないっか。
 くだらないとひとりごちて、理都子の待つテーブルに戻る。

「どんだけえっちしても恋愛にならないのに、なんで宇多はひとりの人だけと一緒にいられるの?」

 丸い目を潤わせてなんてことを聞いてくるんだ。
 行為としてのセックスが恋愛の疑似体験にならない理由なんて、そんなの決まりきっている。

「先に恋愛したからだよ」
「なるほどー。好きな相手と寝るのかぁ」

 少なくとも、私は生まれた時から一筋に恋心を抱いているからね。
 精を受け生を成し続けることを免罪符に、良太を縛り続けている。
 理都子なんかと比べ物にならないぐらい質が悪い。

「宇多は絶対良ちんを逃したらダメだよ。宇多は引きこもりで経験ないし、モテもしないんだから。良ちんと別れたらお終いだよ!」

 え? 何よ急に。
 随分な言い草じゃん。

「私に喧嘩売るな」
「真面目に聞きなさいよぉ。親友としてありがたい忠告してあげてるんだから」
「忠告じゃなくて難癖ね」
「本当のことでしょー」
「ま、そうね」
「……怒らないの?」
「しっかりしなさいよ。いつまでもクサクサしてんじゃないわ」
「ふふっ。めっちゃ宇多って感じ」

 大好き~と笑う理都子は、愛嬌のある笑顔に戻りつつある。
 正直、ほっとした。

「宇多、心配しないでね。宇多がいなくても大丈夫だから」
「根拠は?」
「あるよ。あのね、実は、宇多の代わりってわけじゃないんだけど、ちゃんと『馬鹿』って叱ってくれる人がいるんだ」

 面食らった。
 口をあんぐり開けた私に、理都子が続ける。

「拓哉って言う幼馴染でさ。といっても、ずっと付き合いがあったわけじゃなくて、再会したのは就活の頃だったかな。お泊まりしても私に興味ない風だったんだけど、私より私の内面とか理解してくれてて、見捨てないでいてくれるみたいでさー」

 私のために、理都子はひとつずつ思い出すように、考えて話しているのだけど、拓哉とかいうやつのことを考えて、絶対的に照れている。
 あの理都子が。
 男のことを話すだけに照れている!
 嘘でしょという感想しか出てこない。

「だから宇多は心配しないで行っちゃってー」

 私は相槌すら打てないで、尚も信じられない思いで理都子を見つめていた。
 詩乃に抱いた感情とは別物なんだろう。それでもちゃんと心を感じている目をしている。
 あぁ、本当に大丈夫なんだって、私を安心させるための詭弁でなくて、本当に理都子の支えになるヒトがいるんだって……え? それ、私の役目なのに?

「あんた騙されてないよね? 本当にちゃんとした人なの?」

 寂しさなのか悔しさなのか、素直じゃない私が意地悪を投げつける。

「幼馴染って言ったでしょ! 家のことは知ってるし、仕事してるかって話なら、、、」
「まさか」
「してる! けど、普通の会社員じゃなくて、クリエーターって言うの?」
「知らんがな」
「絵、描いてるんだ」

 絵、描き?
 ドクンと心臓が跳ねた。
 白うさぎを腕に抱く芸術家の姿が脳裏に浮かぶ。

「私も詳しくないんだけど、その道ではそこそこ売れてるみたいで──」

 それ以上、理都子の話は耳に入って来なかった。
 跳ねたと思った心臓は、多分、私の中で破裂した。
 ザーッと血の気が引いていく音だけを聞いていた。
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