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彼女の今世
episode53
しおりを挟む季節は秋の中ほどで、秋晴れが清々しく、肌寒さから厚手の制服を着始める生徒が多くなってきた頃。
空から降ってきた彼女は正式にやって来た。
「ヴィネット皇女殿下との交換留学で来ましたティニア・アクティリオンです」
彼女は優雅な所作で頭を下げる。指先一本まで神経をとがらせたそれは、生徒の視線を釘付けにさせた。
(何処の国も王族の方は美しいわ)
さらさらな亜麻の髪を二つに分け、うなじの辺りで丸めている。飾りには海底をイメージさせるような深い青色の装飾品。ティニア王女が動く度にシャランと涼やかな音を奏でる。
正式な場だからだろうか。前回お会いした時のフットワークの軽さは見えず、清楚に微笑むその姿は王族の気品をひしひしと感じる。
「本来ならば春からだった所が秋からになり、皆様と学べる時間が少なからず減ってしまったこと、残念に思います」
ティニア王女は瞳を伏せ、次に顔を上げた時には晴れやかな表情をしていた。
「ですがその分、皆様と切磋琢磨し学びたいと考えています。至らぬ点、あるかと思いますがどうぞよろしくお願いしますね」
彼女はもう一度、腰を低くして頭を下げた。
「ではティニア王女の座席はどこに────」
「先生、私はあの方の隣がいいです」
ヘレナ先生を遮り、スっと指さしたその先はルートヴィヒ様だ。
いっせいにクラス全員の視線を集めた彼は怖いくらいにっこり笑っていた。負けじとティニア王女も周りを虜にするような微笑みを浮かべたので、笑顔と笑顔の応酬だ。
(目が笑ってない……うん……)
バチバチに火花が散っていた。上からティニア王女が降ってきた時の彼らを知っている私からしたら、心から笑っているのではないと分かる。
「私の両隣は既に埋まっています。他のところはどうでしょう。例えば────あそことか」
そう言ってルートヴィヒ様が笑みを崩さず指したのは前扉近くの席である。空席ではあるがあそこは黒板が見にくく、生徒に不評であるためわざと空けられている席だった。
彼だって知っているはずなのに、指定したのは厄介払いしたい魂胆が見え見えだった。
「…………」
教室が静まりかえった。気まずい雰囲気が流れ、生徒達はこの後どうなるのかと両者を交互に見やる。
「ヘレナ先生」
「はい」
「わたくし、ルーキアに来るのは初めてで……まだ不慣れな部分もあるのです」
ルートヴィヒ様が何をし始めたんだと言わんばかりの表情で、眉を寄せる。
そんな彼を無視し、俯き加減にティニア王女は話し始めた。
「なので、親しい者の近くに行きたいな……と思ったのですがダメでしょうか」
その言葉に教室がざわつく。
王女は暗に「彼とは親しい仲である」と言ったようなものだから。
「誤解を招くような言い方は控えてください。父上が外交官としてアクティリオンに滞在していた時、お世話にはなりましたが……第一、」
そこでルートヴィヒ様は一旦切る。
「いや、何でもありません」
言おうとして彼は止めてしまった。
「とにかく、私の両隣は埋まってますので不可能でしょう」
確かにそうだ。自ら率先して譲る者が現れない限りは。
「なら、私はあの方の隣に座りたいですね」
「えっ」
目と目が合う。視線が集まる。思わず後ろを振り返るが、当たり前だが誰もいない。
「……冗談でしょう?」
(左だけで精一杯なのに右も増えたら精神的負担が)
心の声が一部漏れたらしい。クスリと微かに笑い声が耳に入って来た。
私は二度驚いた。何故なら左隣のアルバート殿下が笑っていたのだ。
「失礼。つい、君の拍子抜けしたかのような表情が珍しくて」
コホンと誤魔化すように咳払いしていらっしゃるが、口元を隠している時点でバレバレなのである。
それよりも年相応な笑う表情に、今度はあんぐり口を開けそうになった。
ほかの子息達と会話をしている際によく出てくる表情だが、私に向けられたのは前世も合わせて初めてのことだったから。
(落ち着くのよ。今はこちらを気にかけている場合じゃないわ)
止まっていた思考を動かす。
とはいえ、先程までどこか他人事のように聞いていたのに、突然渦中のど真ん中に放り込まれたような感じなのだ。混乱しない方がおかしい。
どうやら心の声は隣だったアルバート殿下以外には聞こえていないらしく、不幸中の幸いだった。
そのことに安堵しつつルートヴィヒ様を見ると、彼は困ったかのような顔をしたあと口パクで「ごめんね。頑張って。後で必ず埋め合わせするから」と伝えてきた。しかも胸元で手を合わせて軽く頭を下げられる。
(頑張ってって、何を?)
ルートヴィヒ様の言葉を噛み砕いていると涼やかな声がかかる。
「──リーティア様はお嫌ですか?」
「いいえ、むしろ光栄です」
反射的に承諾してしまう。
あっと思った時にはティニア王女がそれはそれは嬉しそうに手を叩いた。
「ありがとうございます。是非、仲良くしてくださいませ」
そうにこやかに微笑む彼女は大変美しく、可憐で可愛らしい。一部の子息が美貌にやられて、固まっている。
だが同時に他の令嬢たちの針のような視線に、私の唇がぴくぴく痙攣してしまう。
人生一度目でどろりとした社交界をくぐり抜けてきたことで分かるのだ。「何でまた貴女なの?」と。
(私も聞きたい……喜んで代わります……)
慣れているとはいえ、久方ぶりの悪意の塊に萎縮してしまう。
「では! お隣ですし、リーティアさんにティニア王女のサポートもお願いしてよろしいですか?」
「はい」
拒否権なんてものは存在しない。私はゆっくり頷いた。
ティニア王女が隣に来るのは別にといったらあれだがそれほど嫌ではない。
先日会話した際に少しは彼女のことを理解したつもりだ。多少押しが強いが、気さくで話しやすい性格だった。
ただ、穏やかな学校生活を送りたい自分にとって王族の隣というのが、とても、嫌なのである。
「改めまして、これからよろしくお願いしますリーティア様」
そうしてティニア王女は私の耳元に顔を近づけるのだ。
「──我儘を通してごめんなさいね。せっかくなら貴女の隣に行きたかったの」と。
かくして左にアルバート殿下、右にティニア王女という傍から見たら羨ましく、嫉妬交じりの視線を注がれることになってしまったのだった。
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