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第7話 借り物の赤(後篇)
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***
その後マークと相談し、行き先は東京スカイツリーに決めた。
雪花もいつか行こうと思いつつ行けていなかったし、何よりマークの住んでいる北千住から電車一本で行けるという利便性があった。
日曜日の朝、準備をしていると妹の花菜が「おはよー」と起きてきて、「あれ? お姉ちゃん出かけるの?」と話しかけてきた。
「うん、ちょっと」
簡単なメイクを終えた雪花は、休日用の眼鏡をかける。
変に着飾るのもおかしい気がして、細めのジーンズに――ただトップスは少しだけふわりと透けるシフォンブラウスを選んで、小さめのイヤリングを着けた。背後に妹の視線を感じて、雪花は振り返る。
「……何?」
じっと無言でこちらを見ていた花菜は、やがてにやりと笑った。
「べっつにー」
そして部屋を出て行った後ですぐに戻ってくる。
「お姉ちゃん、ジーンズ履くんだったら足下はパンプスにした方が良いよ。ちょっとヒールのあるやつ」
「え? いいよ、そもそも持ってないし――」
「私の赤いパンプス貸すから。ヒールそこまで高くないし、お姉ちゃんでも履けるよ」
結局花菜の圧に負け、履き慣れないヒールで雪花は電車に乗っていた。
2回乗り換えて、マークとの待合せ場所であるとうきょうスカイツリー駅をめざす。雪花がちらりと足元に視線を落とすと、華やかな赤色がその存在を主張していた。
何か、変に思われないかな……。
そわそわしながら雪花は到着を待つ。いよいよ次の駅だ。待合せ時間より30分程早く着いてしまいそうだが――マークを待たせるよりは良いだろう。
『次は、とうきょうスカイツリー、とうきょうスカイツリーです』
パンプスから視線を外し、外を見る。そこには、世界一高いタワーの足元がその姿を現わしていた。
――そして、待合せ場所の改札口で雪花が見たものは、私服に身を包んだマークと、その隣に立つ見慣れない女性だった。
マークと女性が何か会話をしている。行き交う人達の中で、二人の存在感は際立っていた。
「あの二人、すごくお似合いじゃない?」
「ねー、美男美女で芸能人みたい」
どこからか、そんな声が聞こえてくる。
雪花も素直にそう思った。そして――マークに声をかけるのを、躊躇ってしまう。目の前の二人に比べて、自分の足を彩る赤の何と場違いなことか。
しかし、ふとマークの視線がこちらを向いて、彼の瞳がはっと見開かれた。
「セツカさん!」
名を呼ばれて雪花は我に返る。慌てて二人の前に行くと、マークが小さく口元を緩めた。
「随分と早く来て下さったんですね。休日なのにすみません」
「いえ……そんな、マークさんの方が早いですし」
そう答えながら、ちらりとマークの隣に立つ女性を見る。すると、彼女は恭しく名刺を差し出した。
「初めまして、鈴木雪花さんですね。JAXAの古内と申します」
「えっ……あ、はい、鈴木です」
「いつもマークがお世話になっております」
古内は穏やかな笑みを浮かべる。
「本日はお休みのところ、お越し頂きありがとうございます。マークはまだ電車に慣れておりませんので、行きは念のため私が同行いたしました。それと、鈴木さんにお伝えしておくことがありまして」
「――私に?」
古内が表情を変えずに頷いた。
「既にご存知かと思いますが、マークは私達に比べて『この地域』での負荷を大きく受けます。昨日は終日休養にあてたので大丈夫かとは思いますが、できるだけ無理をさせないようご配慮ください。明日にも響きますので、18時頃を目安に自宅に返すようお願いいたします」
そう言われて、雪花ははたと思い当たる。
『火星って地球の重力の1/3しかないんだろ』
浦河がそう話していた。あの時マークは訓練をしたので大丈夫だと言ってはいたが、まさかのことがあっては取り返しがつかない。
雪花が黙ったのを見て、マークが「リサ」と口を開く。
「セツカさんにお願いすることじゃない、私が気を付ければ良いことだ」
「マーク、念のためよ。何かあってからでは遅いでしょう」
「わかっているよ、リサ達にはいつも感謝している」
マークの表情はいつしか真面目なものに戻っていた。
「リサ、ここまで着いてきてくれてありがとう――また来週」
その言葉に、古内は微笑みを浮かべたまま、一つ息を吐く。そして、雪花の方に向き直り、小さく頭を下げた。
「それでは、今日はこちらで失礼いたします。鈴木さん、くれぐれもマークのことをお願いいたしますね」
古内の後ろ姿を見送りながらも、雪花の心の乱れは収まらない。
何が引っ掛かっているのか、自分でもよくわからない。いや――もしかしたら、全てが引っ掛かっていたのかも知れない。彼女の美しい容貌、品のある立ち振る舞い、マークとの親密な会話、そして――彼を何よりも大切に思っているということ。
浦河の発言が発端だったとは言え、気軽に自分なんかがマークを誘うべきではなかったのではないか。指導員なんて良い気になったところで、自分はマークのことを何一つ知らない。
今更後悔の念が押し寄せて来て、雪花は何も言うことができなかった。
その時――
「――素敵な靴ですね」
マークの声が、優しく鼓膜を震わせる。
顔を上げると、マークが口元を小さく緩めて、こちらを見ていた。
数刻見つめ合って、雪花が漸く口を開く。
「……妹に借りたんです。変じゃないですか?」
「確かに、いつものセツカさんの雰囲気とは違います。でも、似合っていますよ」
そしてマークの目が、優しく細められた。
「今日、とても楽しみにしていました。セツカさん、来てくれてありがとうございます」
その言葉は、雪花の中に生まれた戸惑いや不安、それ以外のもやもやとした何もかもを――ただそっと包み込んでくれる。
雪花はもう一度自分の足元を見た。つい先刻まで居心地の悪かったその借り物の赤が、何だか輝いて見える。
自分の単純さに呆れながらも――決して嫌な気持ちにならないのは、何故だろう。
「――私も、楽しみにしていました」
溢れそうになる言葉を押し留めて、雪花はそうとだけ言った。
第7話 借り物の赤 (了)
その後マークと相談し、行き先は東京スカイツリーに決めた。
雪花もいつか行こうと思いつつ行けていなかったし、何よりマークの住んでいる北千住から電車一本で行けるという利便性があった。
日曜日の朝、準備をしていると妹の花菜が「おはよー」と起きてきて、「あれ? お姉ちゃん出かけるの?」と話しかけてきた。
「うん、ちょっと」
簡単なメイクを終えた雪花は、休日用の眼鏡をかける。
変に着飾るのもおかしい気がして、細めのジーンズに――ただトップスは少しだけふわりと透けるシフォンブラウスを選んで、小さめのイヤリングを着けた。背後に妹の視線を感じて、雪花は振り返る。
「……何?」
じっと無言でこちらを見ていた花菜は、やがてにやりと笑った。
「べっつにー」
そして部屋を出て行った後ですぐに戻ってくる。
「お姉ちゃん、ジーンズ履くんだったら足下はパンプスにした方が良いよ。ちょっとヒールのあるやつ」
「え? いいよ、そもそも持ってないし――」
「私の赤いパンプス貸すから。ヒールそこまで高くないし、お姉ちゃんでも履けるよ」
結局花菜の圧に負け、履き慣れないヒールで雪花は電車に乗っていた。
2回乗り換えて、マークとの待合せ場所であるとうきょうスカイツリー駅をめざす。雪花がちらりと足元に視線を落とすと、華やかな赤色がその存在を主張していた。
何か、変に思われないかな……。
そわそわしながら雪花は到着を待つ。いよいよ次の駅だ。待合せ時間より30分程早く着いてしまいそうだが――マークを待たせるよりは良いだろう。
『次は、とうきょうスカイツリー、とうきょうスカイツリーです』
パンプスから視線を外し、外を見る。そこには、世界一高いタワーの足元がその姿を現わしていた。
――そして、待合せ場所の改札口で雪花が見たものは、私服に身を包んだマークと、その隣に立つ見慣れない女性だった。
マークと女性が何か会話をしている。行き交う人達の中で、二人の存在感は際立っていた。
「あの二人、すごくお似合いじゃない?」
「ねー、美男美女で芸能人みたい」
どこからか、そんな声が聞こえてくる。
雪花も素直にそう思った。そして――マークに声をかけるのを、躊躇ってしまう。目の前の二人に比べて、自分の足を彩る赤の何と場違いなことか。
しかし、ふとマークの視線がこちらを向いて、彼の瞳がはっと見開かれた。
「セツカさん!」
名を呼ばれて雪花は我に返る。慌てて二人の前に行くと、マークが小さく口元を緩めた。
「随分と早く来て下さったんですね。休日なのにすみません」
「いえ……そんな、マークさんの方が早いですし」
そう答えながら、ちらりとマークの隣に立つ女性を見る。すると、彼女は恭しく名刺を差し出した。
「初めまして、鈴木雪花さんですね。JAXAの古内と申します」
「えっ……あ、はい、鈴木です」
「いつもマークがお世話になっております」
古内は穏やかな笑みを浮かべる。
「本日はお休みのところ、お越し頂きありがとうございます。マークはまだ電車に慣れておりませんので、行きは念のため私が同行いたしました。それと、鈴木さんにお伝えしておくことがありまして」
「――私に?」
古内が表情を変えずに頷いた。
「既にご存知かと思いますが、マークは私達に比べて『この地域』での負荷を大きく受けます。昨日は終日休養にあてたので大丈夫かとは思いますが、できるだけ無理をさせないようご配慮ください。明日にも響きますので、18時頃を目安に自宅に返すようお願いいたします」
そう言われて、雪花ははたと思い当たる。
『火星って地球の重力の1/3しかないんだろ』
浦河がそう話していた。あの時マークは訓練をしたので大丈夫だと言ってはいたが、まさかのことがあっては取り返しがつかない。
雪花が黙ったのを見て、マークが「リサ」と口を開く。
「セツカさんにお願いすることじゃない、私が気を付ければ良いことだ」
「マーク、念のためよ。何かあってからでは遅いでしょう」
「わかっているよ、リサ達にはいつも感謝している」
マークの表情はいつしか真面目なものに戻っていた。
「リサ、ここまで着いてきてくれてありがとう――また来週」
その言葉に、古内は微笑みを浮かべたまま、一つ息を吐く。そして、雪花の方に向き直り、小さく頭を下げた。
「それでは、今日はこちらで失礼いたします。鈴木さん、くれぐれもマークのことをお願いいたしますね」
古内の後ろ姿を見送りながらも、雪花の心の乱れは収まらない。
何が引っ掛かっているのか、自分でもよくわからない。いや――もしかしたら、全てが引っ掛かっていたのかも知れない。彼女の美しい容貌、品のある立ち振る舞い、マークとの親密な会話、そして――彼を何よりも大切に思っているということ。
浦河の発言が発端だったとは言え、気軽に自分なんかがマークを誘うべきではなかったのではないか。指導員なんて良い気になったところで、自分はマークのことを何一つ知らない。
今更後悔の念が押し寄せて来て、雪花は何も言うことができなかった。
その時――
「――素敵な靴ですね」
マークの声が、優しく鼓膜を震わせる。
顔を上げると、マークが口元を小さく緩めて、こちらを見ていた。
数刻見つめ合って、雪花が漸く口を開く。
「……妹に借りたんです。変じゃないですか?」
「確かに、いつものセツカさんの雰囲気とは違います。でも、似合っていますよ」
そしてマークの目が、優しく細められた。
「今日、とても楽しみにしていました。セツカさん、来てくれてありがとうございます」
その言葉は、雪花の中に生まれた戸惑いや不安、それ以外のもやもやとした何もかもを――ただそっと包み込んでくれる。
雪花はもう一度自分の足元を見た。つい先刻まで居心地の悪かったその借り物の赤が、何だか輝いて見える。
自分の単純さに呆れながらも――決して嫌な気持ちにならないのは、何故だろう。
「――私も、楽しみにしていました」
溢れそうになる言葉を押し留めて、雪花はそうとだけ言った。
第7話 借り物の赤 (了)
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