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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
時を刻むのを止めた腕時計。
しおりを挟む「……ない」
「え? 膝でも痛いのエリカ」
「…ないの。なにも」
体育の授業のバレーでハッスルした私は汗ふきタオルを求めてロッカーの鍵を解錠した。
更衣室のロッカーは女生徒全員で共用だ。それぞれロッカーに備え付きの鍵が付いているので、空いている所を使う形だ。私は鍵のタグに記入された番号のロッカーを解錠したのだが……もぬけの殻なのだ。
全てない。
「ロッカーの場所を間違えたとかではなくて?」
「間違ってないよ…」
「先生と風紀委員会に伝えましょう。…女子更衣室に監視カメラは…多分ついてないですよね」
困ったことにロッカーに入れていた私の荷物だけがまるごと無くなっていた。制服、タオル、防犯ブザー、腕時計…
今までこんな嫌がらせなかったよね? またエリカちゃんに悪意を持つ人間がちょっかいかけてきたの? やめてよ本当…
ショック状態の私は友人たちに手を引かれて、職員室に向かうと被害を報告した。
付近の防犯カメラに不審な動きをする人間はいなかったらしい。警察を呼んでもいいが、共用の更衣室にはいろんな生徒の指紋がベタベタ付いているし、犯人究明は期待できないよ。とのことだった。
仕方がないので私はジャージ姿のままでその後の授業を受けていた。
私は盗まれた一式のことが気になってお昼の時間になっても食欲がわかなかった。ぴかりんになにか食べたほうがいいよと言われたので、サンドイッチを頼んで食べたけども、味がいまいちよくわからなかった。
沈んだまま教室に戻ると、教室の中を覗き込んでいた2人の男子生徒がビニール袋を持ってこちらを振り返ってきた。
「二階堂さん、ありましたよ。制服」
「ただ…」
彼らは揃って気まずそうな顔をしていた。
ロッカーから盗まれたものを捜索してくれていた風紀委員会の人が持っている袋に入っていたのは、ぐっしょりと水浸しになった制服、タオル、防犯ブザーに腕時計だ。
「中庭の噴水に投げ込まれていました」
慌てて腕時計を手に取ると、中にまで水が入ってしまっていた。昨日両親から貰ったばかりの時計は、時を刻むのを止めていた。
松戸笑として、高校卒業祝いで貰ったものなのに。
この腕時計は高級なわけではない。この時計を持っている人は世間に山ほどいる。プレミアが付いているわけでもない。
だけど、この時計は私にとって特別な、かけがえのないものなのだ。
「あ…」
ジン、と鼻がしびれた。
昨日も泣いていたけど、今は理由が違う。今の私は悲しいから泣いているのだ。
「二階堂さん…僕たちも頑張って犯人を探しますので…」
「……」
風紀委員会の人が声を掛けて来たのはわかっていたが、私はそれに応える事ができなかった。私はハラハラと涙を流しながら動かなくなった時計を見つめていた。
どうして、こんな…
「おい、どうしたんだ」
私の様子がおかしいと気づいた慎悟が教室から顔を出して声を掛けてきた。慎悟は風紀委員が持っているビニール袋の中身が女子用の制服だと一目でわかったのであろう。それを見るなり顔を顰めていた。
険しい表情でこちらに視線を向けてきた慎悟に、動かなくなった時計を見せた。
「しんご、時計、動かなくなっちゃった…中庭の噴水に捨てられていたって…」
声が震えてしまったのは致し方ないことだと思う。
彼はこの時計が、私の実の両親から卒業祝いで贈られた大切なものだということを知っている。朝自慢したばかりなのだ。良かったなと言われて、この時計を大切にするって宣言したばかりなのに。
昨日の今日のことなので、私は悲しくて悲しくて仕方がなかった。何故こんな事をされなくてはならないのか。気に入らないなら直接文句を言いに来たらいいのに…!
ギュッ…
「むぐっ」
「落ち着け。今から修理に出せば直る可能性もある」
「だって、止まってる…お父さんとお母さんがくれたのに…」
「大丈夫」
今の私はきっと、大切なおもちゃを壊されて泣きじゃくる幼児みたいであろう。そんな私を慎悟は腕の中に閉じ込めて、慰めるように頭を撫でてくる。
やめてよ、そんな事されたら余計に泣いちゃうだろ…我慢していた嗚咽が漏れてしまっていた。
「あの時間…授業を欠席もしくは遅刻した生徒を調べてくれないか?」
「え…?」
「体育の前には他の授業があった。そこから着替えて更衣室を出てから、授業開始時間まで5分も時間がなかったはずだ。その後でロッカーの鍵を開けて中身を盗むという犯行は短時間できることではないと思う。遅刻なり欠席なりしたんじゃないかと思うんだ」
「あぁ…だけど、それだけでは立証できないと思うよ」
慎悟は私の頭を抱えたまま探偵みたいなことを言い出した。慎悟の心臓の音と一緒にその推理を聞いていたら、だんだん頭が冷静になってきた。
「更衣室は共用だ。使用するロッカーが決まっていないだろう。同じ更衣室を利用した女子じゃないと、この人が使用したロッカーの位置がわからないと思う」
「なるほど…犯人は2年1組から3組のうちの女子って事か…」
「その女子が他の人間に情報を漏らした可能性もあるけどな。…隠しカメラの可能性も考えられるが」
更衣室自体はカードキー代わりの学生証で出入りできる。ロッカーだけコインロッカーみたいな鍵で開け締めするタイプなだけ。女子更衣室には英学院の女生徒なら誰でも出入りできる。
しかし、誰が何処のロッカーを使うかは決まっていないので、実際に使っている場所を見ておかないとダメってことか…確かに何処を使用したかわからない状況じゃ、片っ端からロッカーを開けなくてはならないもんね。同じ授業じゃない他の人には難易度が高いかも。
…すごいな慎悟。私は全然そこまで頭が回らなかったわ。
慎悟の胸から顔を上げようとすると、横から別の人物が口を挟んできた。
「スペアキーがあればそんなの簡単に終わるんじゃないかな? だって1階にある女子更衣室から中庭までそんなに時間かからないでしょう? 土足で向かえばせいぜい1・2分程度で着くよ」
その言葉に反応したのは慎悟と風紀委員会の面々だけではない。私は猫が毛を逆立たせるようにすぐに警戒態勢をとった。
「…出たな…! まさか上杉、あんたが…!」
なんでそんなに詳しいんだあんた。
まさかまさかのあんたが主犯なのか! 返答によっては容赦しないよ!
「やだなぁ。そんな噴水に入れるマネはしないよ。僕なら持ち帰ってコレクションするね」
「…私に近寄らないでください、変態上杉君」
こっちは大変な目に遭っているというのに、このサイコパスはニコニコしおって…! このっ変態!
横から割り込んできた上杉の提案に慎悟は考えこんでいた。…スペアキーの可能性、私もそれはあり得るかもと思った。
以前、コイツが人を使って瑞沢嬢を屋上に閉じ込めた時、何処かでスペアキーを入手していたようだし…それに考えが行き着くのは当然のことか。
「もしも仮にスペアキーじゃなかったとして、ここの更衣室のロッカーって一昔前のものを使ってるじゃない。貴重品は教室後ろの厳重なカードキーロッカーに大体の人は預けているから、学校側も更衣室のロッカーにはあまり頓着していない。昔のものをそのまま使っているでしょう? ピッキングの知識がある人間であれば、開けられるんじゃないかな?」
「…解錠方法はともかく、犯人を探したいんだよ俺は」
そうだ。今はセキュリティ云々という問題ではないのだ。私はこの腕時計をすぐに修理に出しに行かねば…!
「慎悟、時計修理に行くために私早退するから」
犯人探しも大事かもしれないが、私はこの時計に再び時間を刻んでほしいのだ。ここで推理をしていても時計は直らないのだ。
私は慎悟の胸を押して、その腕から離れると、カバンをとりに行こうと踵を返した。
「二階堂さぁん! わたしに任せて!」
思ったよりも近くに目を輝かせた瑞沢嬢の姿があったので、私はのけぞった。
…いつからいたの? 今までの流れをずっと見てたのまさか……うわ、私大勢の人の前で泣いちゃった、恥ずかしい……
急に恥ずかしくなった私は、顔が熱くなった気がしてそれを誤魔化すために俯いた。瑞沢嬢はそれに気づいていないようだ。彼女は拳を握って自信満々に言っていた。
「わたしのおじいちゃんのお友達に時計職人さんがいるの! 今おじいちゃんに連絡をとったら、バイク便でここまで受け取りに来てくれるように手配してくれたの!」
「えっ…」
「あと15分くらいでバイク便の人が正門まで来てくれるわ。二階堂さん、行こ?」
私の返事を聞くこともなく、瑞沢嬢は私の手をグイグイ引いて歩き出した。
おじいちゃん? 時計職人? …バイク便? …この子、私が時計のことで泣いているのを見かけて、あの短時間でそこまで話を付けてくれたっていうの?
手を引かれながら思ったけど、あの日とは逆だ。あの日は私が瑞沢嬢の手を引いて走って逃げていたから。
正門に向かうと、まだ例のバイク便の人は来ていなかった。
私は手に持ったままの腕時計をじっと見た。体育の授業中の時間で時が止まった腕時計。こんなことなら肌身離さずに付けておけばよかったと私は後悔していた。
「きっと直るわ! 大丈夫よ」
沈んだ私を元気づけるように瑞沢嬢が声を掛けてきた。
「うちのね玄関に飾ってある、50年以上前に作られた大きな掛け時計もその職人さんに直してもらったの! だからきっと大丈夫!」
「…そっか」
「おじいちゃんが会社を興した時に、ずっとお世話になっていた人に貰った時計だからずっと大切にしているの。年代物の時計を直せる職人さんなの!」
大きな掛け時計と、この小さな腕時計じゃ違う気もするが、彼女が私を慰めてくれているのはわかった。私は笑顔を作ってみたけども、ちゃんと笑えていない気がする。
腕時計の裏蓋を見ると、昨日の卒業式の日付・今年の西暦と一緒にアルファベットのEが刻印されていた。私の名前のイニシャルだ。
直らなかったら、両親になんて言えばいいのだろうか…
「あっ! 来たっ」
ドルルル…と何処からか大きなエンジン音が聞こえてきた。瑞沢嬢の声に反応して顔を上げると、街なかでよく見るバイク便のライダーがやって来た。彼はバイクから降りると私達を見比べながら声を掛けてきた。
「瑞沢様ですか? 時計を修理工場まで運ぶとのご依頼ですがお間違いないでしょうか?」
「はい! これです! 修理工場の人には連絡が行ってます!」
私の代わりに瑞沢嬢がテキパキと応対してくれた。こんなにテキパキした彼女を見るのは初めてかもしれない…
そうこうしている間にバイク便の人は時計をビニール袋に入れて、それを腰に付けているウエストポーチに収めていた。多分バイク便のBOXだと、運転の揺れによって時計に傷がつく恐れがあるから、ポーチに入れたんだと思う。
エンジンを鳴らしながらバイクが去っていくのを私がぼんやりと見送っていると、瑞沢嬢に「5時間目が始まるから戻ろう」と手を引っ張られたので、フラフラと教室に逆戻りしたのであった。
応援ありがとうございます!
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