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第一章

眠り姫

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 大きな天蓋付きのベッドには天日干しされてフカフカの真っ白い布団。銀細工が施された魔法のランタンの灯りが彼の睡眠を邪魔しない様にその頭に上質な布を被り、その煌々とした光を和らげている。
 如何にも貴族らしい家のそれに似つかわしく無い男が服の汚れなど気にせず腰を下ろしている。
 その膝の上にはスースー、と規則正しい寝息を立てる朝日が横たわっており、ゼノはその目元にかかった前髪をそっと優しい手つきで退ける。
 小さく唸った朝日の眉間に寄った皺をぐりぐりとほぐしてやり、再びスースーと規則正しい寝息に変わるまで見つめていた。

「寝ちゃったのね。代わりなさい」

「おい、起きたらどうすんだよ」

「…きちんと終わらせて来たんでしょうね」

「当たり前だろ」

「…守りなさいよね」

「誰に言ってやがる」

 そんな二人の会話を知る由もない朝日はゼノに身を完全に預けて無防備にスースーと寝息を立てている。



 「って事があった」

 そんな風に如何にも他人事の様に言いながら険しい剣幕で語るのはラース。
 昨日、朝日の低ランク依頼に付き合って、ギルドに戻ってきたところを彼は待ち構えていたのだ。
 彼のその異様な雰囲気を察したゼノは朝日に依頼達成報告をするよう促す。
 場の雰囲気に臆する事なく朝日はラースにただいま!と元気に少年らしく挨拶する。
 途中、ラースの雰囲気を察した冒険者達は一様に彼を遠ざけ、それに気付かない彼はニコニコと楽しそうに語らう。アイラに呼ばれて受付へ向かったところで彼は初めて口を開いた。

 淡々と、粛々と見たままを話すラースに対して徐々に眉間に皺を寄せるゼノ。
 朝日の報告を受けながらもゼノを一瞥したアイラはその表情の意味を察し、敢えて朝日を受付に引き留めた。
 冒険の話を楽しそうに話す朝日に優しい笑みを送りながらもその心中は煮え繰り返るものを抑えるのに必死だった。

「なぜ俺に言う」

「…事情を知らない」

「別にお前がヤったってアイツが喜ぶってことは分かってるだろ」

「…お前の方がうまい」

「上手いねぇ」

「…俺は、得意じゃ無い」

「へぇ…」

 あのラースが。その言葉に尽きる。
 誰とも話さず、馴れ合わず、関わらず、淡々と依頼だけをこなす事から“不言”などと呼ばれている男。
 彼の雰囲気から多分初めは自分で犯人を潰そうとしていたのだろう。でも思い留まった。そのくたってしまったポシェットを見て彼は悲しむのでは無いだろうか、と朝日の為に自らの衝動を抑えて此処で二人を待っていたのだ。

 それから朝日が寝静まったのを確認して彼の護衛についていた女を待ち伏せし、伯爵家と連絡を取るよう捩じ伏せた。ゼノも冒険者だ。言葉よりも力で語る方が得意なのだ。
 何よりも朝日の安全が最優先。
 別に伯爵家に頼りたかった訳ではないが、彼女と剣を交えてからは尚更に彼らがそう言ったことに関しては適当だと判断しての行動だった。
 それから再びラース、アイラと合流してアイラには伯爵家に一緒に向かうようお願いした。幾ら守る事に関して適当な相手だとしても貴族だ。囲い込もうとしたり、言いくるめられたりは彼の為にならない。
 彼女もそれを納得して了承した。
 彼女もまた相手が誰であろうと朝日の為ならば身を呈する覚悟がある事をゼノはよく知っている。だから此処も彼女が適当な人物だった。
 ギルド長にお願いをしに行った彼女を見送り、奴らを締め上げる算段をつける。
 別に自分一人でも問題は無いのだが、朝日の為だ。取り逃がした時の事を考えると二人の方がより適当だと判断した。
 そして翌日朝日を予定通り伯爵家に預けたあと、奴らを見張っていたラースとゼノは合流し、言葉では言えないくらいの制裁を施した。
 当然ギルド長にも報告はアイラから伝わっている。彼らはギルド規定違反を犯している。いや、その前に国の法にも触れている。
 当然ギルドカードの没収やそれなりの刑罰を与えられる。どうやらあの黒騎士も動くらしい。どうしたらただの窃盗事件で黒騎士が動くのか知らないが知る必要も無い。ギルドと国は協力はあれど相互不可侵だからだ。
 制裁を加えた後は、何処からか見ていたのか黒騎士と見られる黒い団服を着た5人組が何処からともなく現れた。
 それを見送って伯爵家に付いたのは日が落ちかかっていた頃だった。
 
 自分が寝ている間に何が起こっていたかなど知る由もない朝日にこれからもその事を語る事は誰もしないだろう。
 知らなくていい。それだけは全員の統一された共通の認識だった。

「お連れになりますか?」

「いや、寝かせてやりたい」

「今日は主人も午後から休みを頂きまして、朝日様から冒険のお話を聞いたり、よく読んでいた御本のお話を聞いたりと、とても有意義な時間を過ごしました」

 突然なんの話だ?と朝日を迎えに来たゼノとアイラは視線だけを見合わせる。
 ラースはハイゼンベルクの屋敷に朝日を迎えに行くと伝えると何か事情があるのか、解散を申し出てきたので彼の自由にさせた。

「我々も朝日君にはとても感謝しているとお伝えしたかったのです」

「…あぁ、まぁ確かに丸くなってたな」

「私、前に町で見かけた時にあの笑顔を見て背筋凍ったんだったわ」

 忘れてた、と言わんばかりに普段の白日の騎士団副団長セシル・ハイゼンベルを思い出す。
 身の毛もよだつような笑顔で散々周りを凍らし続けた彼が朝日に対してあんなにも自然な笑顔を向けていたのに、あまりにその笑顔が自然だったばかりに普通では無いと気付きもしなかった。

「主人にとって朝日君は唯一無二の存在と言えるでしょう。彼は主人の恩人であり、我々の恩人でもあるのです」

「…ちゃんとやるって」

「分かってらっしゃるのならいいのですよ。ホホホ」

「食えない爺さんね」

「それではこれを」

 執事クロムは後ろに控えていた侍女に視線を向けると彼女は前に出てきてゼノに銀製の盆に乗せられたそれを差し出す。
 見慣れた朝日の明るい茶色のポシェットがそのままに盆に乗せられていたのだ。

「糸や裏地は新しくさせて頂きました。少し此方では珍しい材質の物だったようで当家の力を持ってしても同じ物が用意できませんでした。申し訳ありません。なので元通りとは言えませんが、よろしければ明日、朝日君がお目覚めになられましたらお渡しください」

 あんなにボロボロにされたポシェットを何故欲しがるのか、と少々疑問に思っていたがまさか完璧に治って出てくるとは思ってはいなかった。
 ゼノはフッと笑ってそれを受け取ると、借りにはしたくねぇな、と小さく悪態をつく。

「我々も見守っていた手前、この様な事態になりほんとに申し訳なく思っていたのです。朝日君の護衛についていたミューズ、と言う者は主人に盲目的な憧れを抱いておりまして…。何ともお恥ずかしい話ですが、主人の名前呼びが気に入らなかったらしく。本当にご迷惑をお掛け致しました」

「…まぁ、其方も大変そうだな」

「当然の報いよ」

「その通りで御座います」

 同情、なんてそんな生優しいものじゃない。多分その彼女はかなり厳しい罰を受けているのだろう事は想像がつく。
 この執事クロムが冒険者如きに頭を下げてお礼を言うくらいに、セシルが誰にも見せない柔らかい笑顔を見せるくらいに朝日が好かれていて、それを蔑ろに、危険に晒したとなればそれはもう…想像がつく。

「して、ご相談が御座います」

「…そのためのポシェット何だろ?」

「ホホホ。話が早くて助かります」

 伯爵家の権力を総動員してわざわざあのボロボロのポシェットを治したんだ、それなりの報酬、交渉、譲歩を見越してに違いないと予想はしていた。
 無ければもっと良かったが、それを言っても始まらない。何せもうポシェットは此方の手元にあるのだから。

「白日の騎士団との交流、会話、護衛…その一切をお許し願えませんでしょうか」

 まぁ、殆ど予想通りだ。
 あの伯爵家の暴君、執事クロムが深々とお辞儀をして切実に願っていると言う事以外は。

「…まぁ、その…なんだ。護衛は必要だと、俺も思っている。俺はこっちの人間じゃ無いしな」

「ちょっと!ゼノ!無責任な発言はやめて頂戴!」

「いや、寧ろ此方からお願いしたいくらいな話だろうが。朝日を冒険者ギルド総出で護衛するったってずっと出来るわけじゃねぇ。俺らも依頼を受けねぇと金にならねぇんだから」

「わ、分かってるわよ」

「ひいては、護衛は二人。最も優秀な者を付けます。勿論朝日君の冒険の邪魔をせず、陰ながら護衛させます。危険時にも護衛と悟らせない様細心の注意を払らわせます」

 あの執事クロムがそうはっきりとやらせる、言うのならばやらせるのだろう。それはそれはもう完璧に。
 これよりも安心出来る事はない、と言わんばかりに納得させられる。

「じゃあこっちから。宿屋を見繕ってくれ。上手く交渉させて上手い具合に割引させて長く泊まれる様に、な。それから監視の件だが、あのミューズってのはそのまま着くんだろ?一度話をさせろ」

「いえ、あの者が今後朝日君の前に現れる事はないでしょう」

 何の感情も表さないその冷たい表情にこの執事クロムですら彼女に対して相当怒っていたのだろう、と二人は分かった。












 
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