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思い出の庭〖第42話〗

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 庭の欅が紅葉する。一枚一枚丁寧に染めたように、黄色や赤に色づき、少し肌寒い風を運んでくる。

 深山は、庭に通じるアトリエのドアを綺麗に作り直した。もう、ギィギィと風に唸ったりしない。ちいさな玄関も作った。紅葉した欅の下で、よく少年に紅茶を頼み、庭で独り、ミルクティーを飲んだ。
 
 秋も終わりが近づいていた。カラカラと風が吹く度に落葉が転がる。乾いた空気に熱いミルクティーの蒸気が落ち着く。

 深山はあの日から暫くおいて、少年がアトリエに入ることを許可した。あの日以来元気がない少年を少しでも慰めたかった。

 全部自分のせいだとは深山は解っていた。許可をする前の日、深山は部屋を久々にアトリエを掃除した。『彼』を描いた作品やスケッチは次の間に片付けた。

    朝、初めてアトリエに、紅茶を頼んだ時は、少年は緊張しているようだった。

『お邪魔………します』

    まるで、怯えた兎だ。深山は少年を見つめた。

「一々そんなに怖がらなくていい。もう、怒ったりしないよ。悪かった。絵を描くのを邪魔しなければ好きにしていていい」

    そう深山は、穏やかに言った。

    それから毎日、少年は約束事をすませると、アトリエのドアをノックした。見ていて何が面白いのか解らないが、少年は何も言わず、窓ガラスに映る、絵を描く深山を嬉しそうに見ている。ある日、絵を描きながら、

「見ていて、楽しいか?」

    と尋ね、振り向くと、

『えっ………?あ、その……』

    と少年はモゴモゴと口ごもり真っ赤になった。次第に涙目になり俯く少年に、

「すまない、冗談だ。悪かった。機嫌をなおしてくれ」

『じゃあ………ふかやまさん、笑って?』

「笑う?」

『ふかやまさんは笑顔が少ないです。笑った方が格好いいですよ。それに福が来るんでしょう?』

「こんな感じか?」

    深山の慣れない笑顔にも少年は嬉しそうにはしゃぐ。

    深山は良く微笑むように心がけるようになった。もちろん、少年との接し方も、突き放すような態度や厳しい物言いをしなくなった。音もなく泣く少年はあまりにも悲しかった。もう、あんな顔は見たくない。全身で『悲しい』と訴えているようだった。

    目を細め、深山はミルクティーを飲みながら、晩秋の庭を眺める。薄く色づいた芝生。

『ミルクティー、お持ちしますね』

    アトリエをせわしなく出ていく足音。それから、深山は彼の作るミルクティーを楽しんだ。窓を開けると爽やかな早朝の空気の中に、何処からか淡く、季節外れの金木犀が匂った。

『秋には金木犀が咲きますね。楽しみです』

    あどけない、幼い笑顔。幼い彼は深山を見て、笑っていた。あの少年と深山だけの庭。幸福の庭だった。
夏の朝の光に溢れるこの庭を、彼と何度も眺めたことを覚えている。身体を伸ばすと足が出る小さなベッド。眠気を残す彼に挨拶の代わりに口づけたりした。

もう、過去だ。

いたいけな幼い彼も可愛いが、私が想ういのは君だけだ。

愛しい、愛しい、君───。
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