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〖第75話〗瀬川side①
しおりを挟む年越しは健康的に慌ただしかった。大掃除をして、朱鷺と二人で最低限のお節を作った。
朱鷺の深谷の家からはたくさんのお餅が届いた。
途中、鷹が遊びに来てくれて、賑やかな時間を過ごした。
鷹はきな粉餅が気に入ったらしく、物凄い量のきな粉餅を食べて帰った。
朱鷺が
「高橋さんと一緒に食べて」
とお餅を持たせてあげていた。鷹は照れ臭そうに、
「大人をからかうなよ」
と笑った。
───────────
大晦日は夕食に朱鷺と年越し蕎麦を食べた。二人で作った。
「先輩はお蕎麦茹でて下さい。僕は天ぷらを揚げますから。ゴボウの天ぷらと、人参の天ぷらと、かき揚げでいいですか?」
「何のかき揚げ?」
「玉葱と桜えびです。美味しいですよ」
朱鷺が嬉しそうに笑う。
彼が笑う、
隣に彼がいてくれる。
それだけで幸せだった。この年の終わりに、朱鷺と自分が同じ時間を共有出来る。その事に感謝した。
食後、二人でリビングのオーディオでベートーヴェンの第九を聴いた。
年明けの瞬間、花火が上がる。七階の俺の部屋からは、綺麗に花火が見えた。
散っていく花を見るのが嫌で、俺は毎年カーテンを閉じていたが、ベランダに出て嬉しそうにする朱鷺を後ろから抱き締めて見る花火は、綺麗だと思えた。
部屋に戻ると
「明けましておめでとうございます」
と朱鷺はソファに正座をして頭を下げた。俺も
「明けましておめでとう」
と正座をして頭を下げる。
「良い年にしましょうね」
朱鷺は笑う。俺も「そうだね」と笑った。
朱鷺は急に
「相談したいことがあります」
と言い、顔つきが真剣になった。俺は少し身構えた。
「先輩、きりが良くなったら、大学に戻ります。良いですか?」
「君の自由だ。もう、君を束縛したりしないから。君が決めて良いんだ。相談にはのるけどね」
「それと、本題です」
「何だい?」
怖くなる。何処かへ行ってしまうのか。何も言う権利はないけれど、やはり朱鷺には傍に居て欲しかった。朱鷺は俺の目をまっすぐ見て言った。
「ここにいて良いですか?ずっといて良いですか?返した合鍵を、またもらえませんか?僕が帰ってくる場所は、先輩のところが良いです」
歩み寄り、抱き締める。暖かいと思った。背に回された服ごしに触れる腕すら暖かい。ふと『先生』の言葉を思い出す。帰り際に言われた。
────────
『朱鷺くんを頼むよ。大切にしてあげてくれ。もう独りにはしないであげてくれ。君が彼の『家』になってくれ』
『はい……。また来ます。俺だけでも』
『いや、もうここには来てはいけない。それに私はしばらく忙しくて会う時間もないよ。朱鷺くんに『ありがとう』と伝えてくれ。君にはすまなかった。君も大切な弟子だったよ』
そう言い先生は、昔の俺にしたようにポンポンと頭に軽く手をやった。先生の手は相変わらず冷たかったが、その時、何故か温かいと感じた。
『それじゃあね』
先生はそう言い、玄関先まで出て、手を振ってくれた。
────────
四月に入り朱鷺は復学した。
俺も仕事に本腰をいれ始めた。時間があるときは朱鷺のピアノを見た。
絡んだ糸がほどけたように、朱鷺は、臆することなくピアノに向かい、ピアノをとても上手に弾いた。
声楽は、学校の他に芦崎の母にみて貰っていると言っていた。
そうして、今年の国内のコンクールを目指して頑張っている。また、深谷の家には一ヶ月に一度必ず手紙を書いていた。全てが順調に回りだした。
新緑の季節になった。清々しい風が吹く日で、買い物のついでに散歩をしようと外へ出た。
桜の若い緑が眩しい日だった。
帰りに、朱鷺が柏餅が好きだったから、近くの和菓子屋に寄ろうと思っていた。道すがらの本屋で音楽の雑誌につい手が伸びた。愕然として、雑誌を元の位置へ戻す。
朱鷺が心配だった。急いで家へ帰った。玄関に、らしくなく脱ぎ捨てられた朱鷺の靴があった。
寝室で丸まる朱鷺を見つける。ブラインドも閉まっていて、ベッドサイドのライトしかついていない。夜になったようだった。
「朱鷺くん?」
「先輩、先生が、先生が──」
涙目になり、憔悴しきった朱鷺の隣に腰を下ろした。
「大丈夫。落ち着いて。手を握っていてあげるから、ゆっくり話して」
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