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〖第47話〗鷹・瀬川side①
しおりを挟むマンションに帰る。
夜、防音室でひとしきりバイオリンの練習をしてから、窓を開けて一服するのが一番の至福の時間だ。
自分は瀬川ほどアルコールが強くないので、酒は飲まない。
甘いものが食べたくなり、冷凍庫からカップのチョコレートアイスクリームを取り出す。
「待つのが面倒だよな」
固いアイスクリームに、ぶつぶつと独り、文句を言っている時だった。
スマートフォンが着信を知らせる。瀬川だった。
「どうした。仲直りしたのか」
「朱鷺の家へ行ってやってくれ。早く」
暗くて重い瀬川の声だった。こんな瀬川の声を聞くのは初めてだった。
「喧嘩したのか?」
「鷹。お前朱鷺の兄貴なんだろ?俺じゃ駄目なんだ。俺が、朱鷺を傷つけたから。頼むから朱鷺の傍に居てやってくれ」
「………解った」
ざわざわと嫌な予感がした。朱鷺と俺が兄弟であることは瀬川にはしばらく秘密にしてくれと、朱鷺が言っていたからだ。
時期をみて、自分から言う、とのことだった。
朱鷺の家まで近いが、やけに寒い。
車で行った。
いつの間にか雨が雪に変わっていた。季節外れに早い雪。寒いはずだ。
「初雪か」
俺はぼんやり呟いた。いつもより二、三週間早い。しかも積もりそうだ。
風が止み、雪は真っ直ぐ降りてくる。綺麗だった。朱鷺の家は近所なので、すぐ着いた。
古いアパートの階段を上がってすぐの二階の一号室。インターフォンを押す。
「おーい、朱鷺。俺だ。開けてくれ」
「一人ですか」
掠れた小さな声だった。
「そうだけど。瀬川連れてきた方が良かったのか?」
「……今開けます」
鍵の他に、何故かチェーンがかかっていた。通された部屋は廊下の蛍光灯が青いカーテン越しに光るだけの真っ暗な部屋だった。
「明かりつけるぞ」
「つけないで!」
俺の手が朱鷺のそれより早かった。
朱鷺は素肌に大判のバスタオルを纏っているだけだった。
覗くおびただしい、紫に鬱血した口づけの痕、
噛まれた痕、
赤く腫れた両頬、
血が出るほど擦れた手首、
滲んだ赤が目立つ引っ掻き傷、
バスタオルや、シーツに酷くついた、無理やり破瓜されたからだろうと思わせる血液。
「鷹さんには、そんな顔させたくなかった。だからつけないでっていったのに」
掠れて、普通の音量で話をすることも苦しそうだった。俺は朱鷺を抱きしめて言った。
「喋るな。喉に毒だ」
「要らない。声なんて要らない……。もう全部要らない………」
俯いて黙り込む朱鷺に、取り敢えず暖かい格好をさせた。
手首をかるく消毒し包帯を巻き、頬を濡れタオルで冷やし、落ち着かせるために暖かい牛乳を飲ませた。
傷ついた朱鷺を見て、見当はついた。瀬川を半殺しにしてやりたかったが、まずボロボロに傷ついている弟の方が先だった。
「何か、食うか?何でも作ってやるよ」
「あ、鷹さん。僕、今朝おでん作ったんです。食べますか?」
俺にまで、ぎこちなく笑わなくてもいい……と思った。
痛々しい歩き方で、朱鷺は台所へ行く。俺は隣で朱鷺の小さい手を見ていた。朱鷺は鍋に火をかけた。
「蒟蒻と玉子が味が染みてますよ」
「ああ。食う。お薦めは?」
「うどん巾着です──餅巾着より、コスパがいいんです」
朱鷺は、泣いていた。
「お腹一杯になるし、もちろん…おいしくて…」
朱鷺の言葉の語尾がだんだん弱くなる。
「朱鷺?どうした?」
キッチンの端に手をかけ、朱鷺は蹲り言った。
「………あの人だけを想っていたし、好きでいる自信もありました。
何で、こうなったんでしょうね。
どこで間違ったのかな。僕は欲張りすぎたのかな。
何も見えずに自由を欲しがって、結局あの人の孤独に寄り添えなかった。
あの人は、いつもどこか寂しい目をしていたのに。
でも、泣くのは今日までにします。忘れる努力もします。だから鷹さん、お願いがあります。僕を『芦崎朱鷺』に戻して下さい」
本当は明日具材を足して煮込んで鷹さんと………あの人を家に呼んで、おでんパーティーなんて、楽しいかな、なんて思っていました。さっきまで明日なんて、こなければいい。と思っていました。でも今は違います。今までがなければ良かった!
子供のように泣く弟が、不憫で切なくて、俺は朱鷺を抱きしめて背中を撫でた。
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