その声で抱きしめて〖完結〗

華周夏

文字の大きさ
上 下
15 / 78

〖第14話〗朱鷺side①

しおりを挟む

先輩のマンションで過ごして二ヶ月半くらいたった。本当は、

『一ヶ月だけ、一緒に暮らしてみないか?少し──寂しいんだ』

長い睫毛を伏せ苦笑する先輩に、僕は『はい』としか言えない。
最初、一ヶ月との約束だったけど、ずるずると、延びてしまっている。

朝起きると最初のうちは先輩が先に起きていて、早朝の青い空気の中、煙草を吸い、ソファに腰掛け新聞を読みながら珈琲を飲んでいて、

『おはよう』

と優しく微笑みながら言ってくれた。
僕が先に起きて、朝御飯を作っているところに起きると先輩は

『いい匂いがするね。ご飯ありがとう』

と言い嬉しそうに微笑んで、珈琲を淹れてくれた。


最近は僕の方が早く起きる。
少したった頃から

『目が覚めて隣に君がいないのは嫌だから、君が俺を起こして欲しい』

この瞳には、僕は逆らえない。
そう言われているので、僕は早起きをし、ご飯を作って、優しく穏やかに、さらさらの髪を撫でながら、

『朝ご飯出来ましたよ』

と話しかける。

サッと、ブラインドをあけると、朝の日射しを嫌がるように先輩は眉をしかめる。少し可愛らしい、と思う。

ご飯当番は僕が朝。先輩が夜。日曜日は一緒に作る。それが最初に決めたルール。とりとめのない話をして、朝ご飯を食べる。片付けは先輩がやってくれる。
珈琲も、いつも先輩が淹れてくれる。

豆から挽いた珈琲。香りがよく、上品な味がする。
何故だろう、切なくなる。

───────────

僕は先輩の家から学校へ通った。
学校に近いので少し便利だった。
いいことと言ったら、最近はそのくらい。

今、僕の自由の時間はない。学校から真っ直ぐ、先輩のマンションに帰って、一緒にスーパーマーケットへ行く。
夕ご飯、朝ご飯の材料とかを買ってくる。

もうすっかり秋も盛りを過ぎた陽射しだ。落ち葉の転がる音が、何処か秋の終わりの気配すら感じられる。
道を吹く風が乾いていて砂ぼこりを舞い上げる。


砂ぼこりにやられて涙が出た。ポロポロ涙が出て止まらなかった。あの家では思いっきり泣くことも出来ない。先輩が悲しそうな顔をするから。

あの人の悲しそうな顔は僕に無言で罪悪感を植えつける。


最初の一ヶ月は 楽しかった。毎日先輩がピアノを弾いてくれて、僕は鍵盤に向かう先輩の白い指先を、見つめた。
しかも先輩は僕が大学でならった歌を歌うのに[[rb:コレペティ > 伴奏者]]になってくれたりした。
先輩の音が、僕の歌に絡む。幸せで、先輩に抱きしめられてるみたいだった。

─────────

「幸せだな。君がいて、君とこうして夕飯を食べて。怖いくらいだよ」

「そう、ですか?先輩。美味しい?茄子のグラタン熱いから気をつけて」

冬になったら鍋をしましょう。あったまりますよ。とか言ったりしていた。

笑顔を交わしているつもりだった。でも、実際は違っていたことを僕は気づかなかった。気づけなかった。

─────────

ことの発端は四週間目の日曜だった。いつも通り近くのスーパーマーケットに先輩と買い物へ行った。家に帰り、二人へ台所に立つ。
あっという間に夕飯が出来上がる。
先輩が作ったカレーと
僕が大根サラダと
先輩特製の具だくさんの野菜スープ。

「冬になったら温かいもの作りましょう」

「おでんとか?」

「先輩は、おでん好きですか?」

「好きだよ。あ、これ初めて食べた。美味しい」

先輩は僕の作った大根サラダをつつきながら言った。

「おでんのうどん巾着知ってます?」

「いや、餅巾着なら知ってるけど。朱鷺くんの家のおでんには『うどん巾』入るの?」

「僕オリジナルです。お餅よりコスパがいいんです。お腹一杯になるし、勿論、おいしいですよ」

僕は先輩の作ったカレーを食べる。隠し味が解らない。ケチャップは当てた。あと、2つあるそうだ。

「わかった!ウスターソース!」

「あと一個。ヒントは──今日使った調味料」

「わかった。コンソメ!」

「正解」

先輩は優しく──何故か悲しそうに微笑んだ。

「──人は欲張りな生き物だね。”今“を幸せだと思うだけでいいのに。怖くて怖くてたまらなくなるよ」

先輩が眉を下げて笑う。先輩の眼鏡の奥の悲しい目を見るのがつらい。

「ほら、しゃんとして下さい。先輩イチゴ好きでしょう?
最近元気ないから奮発して買ってきたんです。この前『食欲ない』って言ったときもイチゴなら食べてくれたから。ほら、食べましょう」

曖昧に頷く先輩に、僕はわざと明るく言う。

「もう一つ、食べます?」

「いや、いいよ」

先輩が眼鏡を外し、右手を額に当て下を向く。消え入るような声で、先輩は言った。

「不安で──仕方がないんだ」 

僕はただ、先輩をじっと見つめる。
何がここまでこの人を不安にさせるのか。僕には解らなかった。
いわゆる『身体』の関係がないから?
大学以外はずっとこの空間に一緒にいるのに。
嫉妬されるほど、仲の良い人なんて、僕には誰もいないのに。

今、僕の世界はこの部屋と、先輩で出来ている。
息苦しい、けれど抜け出せない、鳥籠のようなこの部屋。
鳥は僕と先輩のどちらなんだろう。

しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

儚げ美丈夫のモノ。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,137pt お気に入り:1,216

死に戻り悪役令息が老騎士に求婚したら

BL / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:465

あなたは知らなくていいのです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:89,028pt お気に入り:4,168

深く深く愛して愛して

恋愛 / 完結 24h.ポイント:979pt お気に入り:28

貴方のために涙は流しません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:41,784pt お気に入り:2,795

おいしいじかん

BL / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:26

処理中です...