その声で抱きしめて〖完結〗

華周夏

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〖第7話〗朱鷺side

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夏休みも終わった。秋が近い。
雲も高い。
空も高い。雲も変わった。僕だけがあの夏の日のまま。
今、鷹さんにピアノを見てもらっている。レッスンの後は、二人で甘いものを食べに行って、お喋りをする。少し前の、先輩のように。

鷹さんはいつも優しくて、話していて楽しい。会う約束をした前の日に必ず電話をくれて、僕の予定を訊いてくれる。
僕を気遣ってくれるのが解る。この前は帰り際、一緒に楽譜をみるついでに服を買いに行った。

『高いのは……』

と僕がしり込みすると、

『大丈夫だからついてこい』

と笑ってそう言うと、古着屋につれていかれた。スッキリしたデザインのお洒落な服。

『穴場なんだ。朱鷺、遅くなったけど誕生日おめでとう。十九歳だな。ここのデザイン似合うと思って。ほら、どうした下向いて。折角こんなに可愛いんだから上を向け。どうした?朱鷺。目、赤いぞ?ハンカチ貸すから擦るな。大丈夫か』

僕は大きく頷き笑う。

思い出したのは、あのひと。あのひとは僕の誕生日も知らないだろうし、興味もないだろう。もう過去のひとだ。

『誕生日おめでとう朱鷺くん。もう十九なんだね』

それでも、あの水のような声で、一度でいい。言われたかった。小さな事実が、あまりにもつらい。
──────
「瀬川がお前に会いたいって言ってるけど今度連れてきてもいいか?朱鷺に聞いてみてくれって頼まれたんだけど」

ふと、レッスン中、鷹さんが言う。
いやがおうにも先輩の話が持ち上がる。鷹さんは正直な人だから、話を濁せない。
先輩と会うのは言い訳をして避けてきたが、もう三回断っているから、さすがに会わないわけにはいかない。

「わかりました。すみません。この前は。夕立に降られて、風邪ひいて」

勿論嘘だ。でも、鷹さんもそれを許してくれていた。

「あのさ、訊いていいか?病院で、二人で話してる時、何かあったのか?」

「──いえ」

平静を保ち、僕は言う。色々あった。もう思い出にしようとしている。僕には初めてのキスだった。告白だった。
先輩とは『初めて』ばかりだった。
誰かにプレゼントをあげようとしたのも。
家に泊めてもらったのも。
髪に触れたいと思ったのも。
人を好きになったのも。すべて。
しばらく言うかどうか迷ったようすで、鷹さんは少し小声で言った。

「瀬川、泣いててさ」

「え?」

あのひとと、泣くと言うことがあまりにも縁が遠いイメージがあった。
いつも余裕があって、
自信家で、
人を喰ったような喋り方をする、
冷たくて、優しい、残酷な人だ。
彼の世界には二つしかない。
鷹さんか、そうじゃないか。

「お前ともう会えない気がするっていってな」

「そう、ですか」

ずっと疑問に思っていた。先輩は何で僕に会う必要があるんだろう。会わなくても、いいのに。
今『会えない気がする』と先輩が言っていたと聞いても先輩には鷹さんがいるのに。としか思えなかった。
僕が考えた答えは、彼の中にある鷹さんより僕は『お手軽』なんだろうか。ということだった。
簡単に言えば代わり。
鷹さんには絶対口づけるなんて真似は出来ない。僕には手慣れたようすで簡単に口づけた。でも、あの人が泣くなんて。

「冗談、ですよね?」

「冗談なもんか。あの後であいつと飲みに行って絡まれて最悪だったんだからな。四件周って最後の店で酔いつぶれて完全に据わった目で、俺に
『「瀬川先輩」って呼んでくれ』
って言い始めるし。
『どうしてだ』
って言ったら
『……もう朱鷺は俺と会わない。俺があの子を選べなかったから。代わりなんかじゃなかったのに』
って。訳わかんねえよ。ザルのあいつがあそこまで酔っぱらうの初めて見たし」

胸が掻きむしられるように苦しくなった。あのひとを思い出に変えるには、まだ早いかもしれない。
全てを諦めて過去の傷にしてしまうのには、まだ間に合うかもしれないとも思った。

「鷹さん、今、先輩どこですか?家ですか?」

「どうなんだろ。電話かけてみろよ」

「番号知らないんです……。いつも、非通知だから……」

「何か『ちぐはぐ』だなぁ。いっつもボタンをかけ間違ってっていうのを繰り返してる気がするよ」

これ、と言い鷹さんに番号を教えてもらい、ダイヤルをタップする。
三コールで先輩は電話を取る。

「もしもし?声、聞かせて。どうしたの?」

女の人と間違ってる。鷹さんから前にうっかり口を滑らし聴いてしまった。
『そうとうなタラシ』と。
誰が相手でも大丈夫な応答。きっと連絡をくれるような女の人も一人じゃないんだろうなと思った。

「朱鷺です。残念でしたね。先輩。女の人ではないです」

「朱鷺くん?何で番号知ってるの?」

「鷹さんから聴きました。かわりますか?」

「いや、そのままでいて。久しぶりだね。元気だった?風邪とかひいてない?」

「いえ、元気ですよ」

「ならいい。でも、そんなに俺に──会いたくないんだね」

先輩の声のトーンが少しだけ落ちる。確か四日前に断った時に『風邪をひいて』と言って約束を断ったからだ。
僕は不思議に思う。会いたいなら会いに来るような人なのに、わざわざ鷹さんに許可を求めるようなことをして。
人に臆病になって裏を読むような人じゃないのに。
少なくとも僕に対しては。

「電話してくれたら良いじゃないですか。非通知なんかにしないで。そうしたら僕も──」

かけるのに、と言おうとした僕の言葉を社交辞令と思ったのか、先輩はきっぱりと遮った。

「かけないよ。君はもう決着をつけた。ああ、鷹から聞いた?泣いてたって」

先輩は嗤って言った。

「どう思った?──笑えた?無様だろ。あの時、君を独りで帰しておきながら、俺はどれが正解か解らなかった。自分の中で、どうすればいいか解らなかった。
俺は鷹にこだわりすぎていたのかもしれない。ずっと、あいつのことだけ見てきたからね。ずっと」

僕はちらりと近い距離にいる鷹さんを見る。先輩は続ける。

「幼馴染でもあったし、家を出てからあいつは俺を支えてくれたから。
でもあの時、君を選べなくて、君を失って初めて、自分が君のことが好きだったんだと解ったよ。
君が泊まった後、連絡をわざと取らなかった。君に惹かれている自分が確実にいたから。
『危険』だと思ったからだよ。
自分自身の鷹への気持ちを裏切るようで怖かった。
でも、どれだけ自分が君を必要としていたか。
君と居て笑顔になれたか。
だからあの時、無理矢理にでも抱き締める腕を緩めるんじゃなかった。
独りで帰すんじゃなかった。
後悔しているよ。
君はモジャモジャの髪なんかではないよ。君の髪は色素が薄いから、西日が差すと金色になる。教会の天使の巻き毛みたいになる。
俺は好きだった──別れの挨拶みたいだね。でも君は最後のつもりだろ?この電話で、終わりにする気持ちが何処かにあるだろう?」

「──会いに行っていいですか?」

自分からすんなりこの言葉がでるとは思わなかった。これ以上、先輩の乾いた砂のような、苦しそうな声を聴きたくなかった。

「今?」

「今です。先輩の家に行きます。会わないと。直に話したいです。駄目ですか?」

「いいけど、散らかっているよ?それに俺、起きたばっかりだから部屋、汚いよ。それでもいいなら、おいで」

乾いた砂の声がいつもの耳に溶ける水に変わる。この方がいい。いつもの口調が僕を安心させた。

「解りました。レッスンも終わったんで五分で行きます」

「でも、もう少しで暗くなるよ。良いのかな。独り歩きは危ないから今度にしない?」

「会いたくないんですか?今、会わなければもう会いません、だから──」

「冗談だよ。君に会いたい。来てくれ」

解りました。と言い電話を切る。残る発信記録を、しばらく見つめる。
『来てくれ』なんて初めて言われた。少し苦しそうな、先輩の声。
右耳に触れる。少しだけ耳朶が熱かった。僕は鷹さんに、先輩の家へ行って会って話をしてくると伝えた。
鷹さんは笑って『行ってこい』と言い、手を振った。

自転車を漕ぐ。遠い西の空にシュークリームの形をした入道雲が出ていた。
夏は、まだ名残惜しいみたいだと思った。色々なことがあったこの夏。どうしようもない思いが、胸を締め付ける。
僕も、終わらせたくない。

日射しが少し弱まった。風が少し変わる。もしかしたら降られるかもしれない。

先輩に、会いたい。

いつものように微笑んで『朱鷺くん』と言ってくれるだろうか。僕はそんなことを思いながら、ペダルを漕ぐ足に力を入れた。
陽の光が雲間から差していた。
一度忘れてしまった北校舎の出会いの時も、教会での二度目の出会いの時にも、

僕はあの雨の夜、先輩の髪に触れて、先輩への胸の奥にある気持ちを見つけてしまった。
もう一度、あのさらさらの髪に触れたい。そう思う僕はやはり、先輩が忘れられていなかった。

『朱鷺くん』

あの柔らかい水のような声で名前を読んで欲しい。
いつの間にか雲が小さく散って、残照だけが空を焦がす。
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