月誓歌

有須

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修道女、抱きしめようとして気づく

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 部屋はおそらくこのホテルで最も広い部類にはいると思う。
 しかし、猊下が訪ねて来られ、その護衛を含めた全員が部屋に入ってきたときには、さすがに窮屈さを感じた。
 人数的には護衛の騎士の数が最も多く、しかも三種類の色の装備からそれぞれ所属が違うとわかる。
 個室にこれだけの護衛がかち合うなど、どこの要人会議だと問いたいが、いかんせんメイラはただの妾妃。重要どころからはかけ離れているはずなのに、室内で唯一ソファーに腰を下ろし、温かい紅茶を飲んでいる。
 いつもの美味しい紅茶のはずなのに、まったく味がしない。
 どの護衛たちも、大量の花を見て例外なくぎょっと目を剥くのが居たたまれなかった。メイラが購入したわけでもないのに、常識はずれの浪費だとか思われていそうで……
 苛々と腕組みをして立つ父と、何か言いたげに部屋を見回している二人の神職が、奇妙な緊張感を保ってお互い視線を合わせないのも怖い。
 メイラは冷えた唇には少し熱いカップに口をつけ、居心地が悪いことこの上ない現状から逃避しようと目を閉じた。
「……気分が悪い?」
 すかさず掛けられた猊下の声に、慌ててぱちりと目を開ける。
 いやいや、意識が遠くなったわけでも吐き気がしたわけでもありません!
「申し訳ございません。ご心配をおかけして……」
 ふるふると首を振って、否定しようかとも思ったが、空気を読んでうっすらと微笑む。
「何を言う! 私が散策に誘ったからこんなことに」
「お気遣いいただきありがとうございます」
「怪我はしていないだろうね?」
「はい。護衛が身を挺して守って……ルシエラは!?」
 若干ふわふわと意識が他所の方に逃げようとしていたが、問題児の事を思い出すと一気に現実に舞い戻ってしまった。
「少し問題があってね。すぐに戻ると思うよ」
 猊下の微妙な表情に、ますます不安が増す。
「問題ですか?……あっ、気が利かず申し訳ございません。どうかお座りください」
 ソファーの上座にぼんやり座り込んでいたメイラは、慌てて腰を浮かせて言った。
「ユリ、皆様にお茶を」
「はい、御方さま」
「いんだよ、君はそこに座って居なさい。まだ顔色が悪い」
「メイド。紅茶よりもホットワインのほうがいいのではないか」
 この場にいる、メイラより明らかに上位の男性陣が、そろいもそろって彼女に動くなと言う。
 それほど具合が悪そうに見えるのだろうか。
 移動しようとしたメイラを制し、リンゼイ師を含め三人の男たちはさっさと左右のソファーに分かれて座ってしまった。
 居座る気満載のその雰囲気に、こぼれそうになったため息をなんとか呑み込む。
「実はね、あそこにハリーが居たのだよ」
「え?」
「ハリソンだよ。君の五歳年下だった男の子だ」
 不意に、「メイラねぇちゃん」と遠くから呼ばれたのを思い出した。
 明らかに危険を知らせる声色だった。
 メイラが良く面倒を見ていた少年で、両親ともに流行り病で亡くし孤児院にやってきた。少し気が弱いが優しい子で、メイラやリンゼイ師に良く懐いていた。
 気立ても頭の出来も良かった彼は、子のない商家の養子として引き取られ、ハーデス領から遠く離れた街に行ったはずだが……
「後で話を聞きに行ってくる。大丈夫、君が我が子のように愛情をこめて育てた弟分だと言っておいたから、悪い扱いはうけていないよ」
 商用でザガンに来ていたのだろうか。孤児院に里帰りしていたのだろうか。
 心配になってそわそわと腰を浮かせかけ、父のこれ見よがしな咳払いに慌てて淑女の仮面をかぶりなおす。
「お前には話すまいと思っていたのだが、どこぞから噂を聞きつけて余計なことを仕出かしそうだから言っておく。先週の末に、リゼルの街が海から襲撃を受けた。ザガンから近いのでこれまでは海賊も手を出してこなかったのだが、街は壊滅状態だ」
「えっ!?」
 父の口調はひどくそっなく、まるで書類を読み上げているかのように単調なものだった。
 とっさにはその意味を呑み込むことが出来ず、数回の瞬きの後にメイラの顔から一気に血の気が引く。
 メイラの修道院は、街の外れの徒歩一時間圏内にある。海から襲撃を受けたのなら、真っ先に被害にあいそうな立地だ。
「奴らはまず修道院を占拠し、そこを拠点にリゼルを攻めた。取れるだけの物資を奪い、三日で引いた」
「こ、子供たちは?!」
 真っ青になって尋ねたメイラに、リンゼイ師がにっこりと微笑んだ。
「君の教え通りに用心していたようだね。襲用船が接岸しようとしたのは昼間だったらしく、遊んでいた子供が気づいた。すぐに全員で避難を開始し、井戸に隠れたようだ」
 以前、人買いの集団に狙われたことがあり、知らない大人には絶対に近づかない事。危ないと思ったら即座に皆に伝達し、何も持たずに避難する事とルールを決めていた。
 あらかじめ隠れる場所を複数決めておき、そこに全員が数日生き延びることができるだけの水と食料を備蓄しておくのを習慣にしていたのだが……役に立ったのか。
「君が居なくなっても、子供たちはしっかり約束を守っていたようだよ。空腹なのに備蓄の食料をつまみ食いすることなく、水樽も綺麗にしていた。本当に賢いいい子たちだ」
 そうか。修道院が襲われた件もあって、猊下はザガンに滞在していたのか。
 リンゼイ師が言うのだから、無事なのは確かなのだろう。
 しかし拠点になったという修道院は、壊されたりしていないだろうか。ただでさえオンボロだったのに、居住区になっている孤児院は住める状態なのだろうか。
 メイラは両手をぎゅっと握りしめた。
「……ならん」
 口を開きかけた彼女に、父が容赦なく言い放つ。
「身をわきまえよ、メルシェイラ。かつてと今では状況が違う。お前は陛下の妃であり、良からぬ輩に狙われてもいる。勝手な行動は慎め」
 冷たくなった指先が、細かく震えている。
 かつて人買いの集団が襲ってきたとき、危うく連れて行かれそうになったのを思い出していた。
 腕を掴まれ馬車に乗せられそうになり、丁度参拝にきていた冒険者のパーティがいなければ、危ういところだったのだ。
 弱者にとっては、剣を持ち武装している男たちは恐ろしい相手だ。
 小さな子供たちが、どれほど怯えていたか想像するだけで胸が痛む。
「……はい、お父さま」
 口ではそう言いつつも、耐えれるだろうかと自問する。
 子供たちはメイラの家族であり、守るべき者たちだ。
 何もせず、手を差し伸べもせず、目をつぶっていることが果たしてできるのか……
 答えはすでに出ていた。
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