月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
114 / 207
修道女、抱きしめようとして気づく

2

しおりを挟む
 父と猊下たちの去った部屋で、メイラはコートを脱がせようとしたユリを制し、逆にその手をぎゅっと握った。
 迷いはあったし、実際にどうすればいいのかなど皆目見当もつかない。
 しかし、逡巡している時間はなかった。
「……ルシエラを呼んで」
 もう何度目かもわからない言葉を、いつもよりゆっくりと紡ぐ。
「あなたたちにも、お願いしたいことがあるの」
 メイラの身にもし万が一にも何かあれば、傍付きであるメイドや護衛、ルシエラを含め多くの者が責めを負う。
 無責任な行動はとれない。
 しかしどうしても、このまま何もしないではいられないのだ。
「孤児院の子どもたちがどうしているか知りたいの。被害はどの程度だったのかも。暮らし向きはどうなのか、困ったことはないのか」
「……御方さま」
「この目で確認しておきたいの。あなた達を信頼していないからじゃないわ。……大切な、家族なの」
 ツンと鼻の奥が痛んだ。
 ユリが、握りしめた手を押し返して諫めてくるのではと八割以上覚悟していた。
 そうなったどうしよう。
 陛下の妃である立場も、なにもかも捨ててここを出て行く?
 ただの修道女として、家族のもとに駆け付ける?
 「早く戻れ」と囁く陛下の声と、「メイラねぇちゃん!」と満面の笑みを浮かべる子供たちの顔を思い浮かべる。
 その、どちらかを選ばなければならないとしたら?
 うるり、と涙腺が緩みそうになったのをなんとか堪えた。ここで泣いてもどうにもならない。
「無理を言っていることはわかっているの、本当よ」
 小娘一人に何ができると言われても仕方がなかった。
 だがせめて、大切な家族の無事を確認し、抱きしめたい。それだけなのだ。
「御方さま」
 しばらくして、ユリが静かに手を握り返してきた。
 おずおずと視線を上げると、何故か耳を真っ赤にした彼女と目が合った。
「……ユリ?」
 普段の落ち着いた彼女のイメージとは違う、頬を上気させ、わずかに呼吸を弾ませた様子に首を傾ける。
 ど、どうしたのだろう。具合でも悪いのだろうか?
「……わたしを殺す気ですか」
「はい?」
 殺す?! メイラの頼みはやはりそれほどリスキーなことなのか? 責任を取らされ死を賜るほどの?!
 若干身体を引かせたメイラを見て、ユリはゴホンと咳払いした。
「いえ、申し訳ございません。独り言です。……子供たち! 子供たちの安否を確かめたいという事ですね? ご自分の目で」
「そ、そうよ」
「御方さまは今、ご身辺がいろいろと不穏です。危険を理解しておられますか?」
 ひやり、と首筋に冷えた切っ先を突きつけられた気がして身震いした。
 危機的状況に陥った記憶が蘇ってくると、恐怖で動けなくなる。あんな思いは二度としたくない。
「……本心を言えば恐ろしいわ」
「それでも、ご意思は変わりませんか?」
 誰だって、理不尽な死は怖い。しかしそれ以上に、居ても立っても居られないのだ。
 この我儘によって起こり得るリスクを、本当の意味では理解していないのかもしれない。
 自身のみではなく、ユリたちまで危険にさらすのは許されることなのか。上に立つものとして、相応しい行動なのか。
 迷いつつも、心の天秤が傾いていく。どうしようもなく。
「少しだけでいいの。言葉を交わせなくても、遠くから見るだけでも」
 震える唇で、なんとかそう言ったメイラを、ユリはしばらくじっと見ていた。
 今彼女に否定されたら、どうすればいいのだろう。
 無事陛下のもとへ戻ることが出来たとしても、一生涯心に澱が残るのではないか。
 繰り返しできるささくれのように、解決しない後悔が痛みとしてきっとずっと残る。
「わかりました」
 やがて、いつにもまして頼もしいユリの声が返ってきた。
 はっとして顔を上げると、まっすぐに視線が合い、励ますように頷き返される。
「……いいの?」
「御方さまはただ、命じて頂ければいいのです。我々は最大限、お心に沿うようつとめます。……聞いておられましたか、キンバリー隊長」
「……すぐに調整にはいります。しばらくお待ちください」
 涙で潤んだ目で振り返る。
 そうだ、ここに居るのはユリだけではなかった。めそめそと我儘を言う様を見せられれて、幻滅させてしまっただろうか。
 きっちりと騎士服を着こんだキンバリーの方を見ると、幾分青ざめて見える彼女が「うっ」と胸を押さえてよろめいた。
 メイラのあまりの我儘に眩暈でも起こしたのだろうか。まじめで勤勉な彼女を、面倒ごとに巻き込むことになってしまうのは、本当に申し訳ない。
 とにかく時間がなかった。
 まずは子供たちがどこにいるのか調べるところから入るのは、限られた時間しかないメイラにとっては大きな障害だ。
 今すぐにでも飛び出していきたかったが、メイラの足ではさして遠くにすら行けない。
 無意識のうちに有能な周りをあてにしていることに気づき、あまりの情けなさに涙があふれてきた。
「御方さま!」
 慌ただしいノックの後に入室してきたマローが、ガツガツと大股に近づいてきた。
 コートも脱がずにソファーに座り込んでいるメイラの前に片膝をついて、アーモンド形の瞳でじっと顔を覗き込まれる。
「卵を投げつけられたとか?」
 さっと両手を握られて、とっくにそんな事など頭の隅に追いやっていたメイラは、涙で湿ったまつ毛を数度上下させた。
「お怪我はないと報告を受けましたが」
 彼女の心配が有難く、心強かったので、きゅっと手を握り返して微笑んだ。
「その事は、大丈夫」
「御縁のある孤児院の件は伺いました。今調べさせております。半刻で情報を持ち帰らせますので、お心安らかにお待ちください」
 礼のあの、ご紹介を受けた犬さんたちでしょうか。
 複数の影者がメイラの為に配置されていると聞いている。おそらくだがマローの配下として、サッハートで助け出されたときにいたあの男たちも来ているのだろう。
 心強かった。
 同時に、なにも出来ない自身がもどかしかった。
 ふと、同じ黒髪のダンと、ユリウスの事を思い出す。もしかすると彼らも……
「マロー、ユリウスたちも」
「はい、何でしょうか御方さま」
 何気なく質問しかけて、ものすごい笑顔を返された。
 迫力美人の有無を言わせぬ笑みに、続く言葉は喉の奥に消えた。
 どうやら、聞いてはいけない事だったらしい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

処理中です...