月誓歌

有須

文字の大きさ
上 下
74 / 207
修道女、これはきっと夢だと思う

4

しおりを挟む
 そのあとも事実確認されるように、参拝の詳細について話した。
 あくまでもメイラから見たことなので、実際にあの時何がどうなっていたのかわからない。
 マローが知りたいのは、後宮内のことだろうか? 実際に誘拐されているのだから、後宮内でトラブルが起こったのは間違いないが、それについて参考になるような記憶はない。
 そもそも、覚えている最後の記憶はかの一等神官が祝詞を唱える背中であり、殴られた覚えも、薬などを嗅がされた覚えもないのだ。
 それを言うと、マローは少し難しい顔をして、ちらりと陛下の方を見た。
 あまり記憶がないのだが、連れ去られて以降のことも話す。
 どうやって後宮からサッハートに移されたのかは不明だ。まさか馬車で運ばれた? それとも翼竜で? まったく記憶がないので、メイラの話は役に立たないだろう。
 小神殿で祝詞を聞いていた記憶と、あの暗闇の中で目覚めるまでの記憶が、ほぼ繋がった一連の出来事のように感じている。つまり、それほどの時間経過があったようには思えないのだ。帝都との距離を考えてもあり得ないことだった。
「……とても寒い部屋でした」
 凍り付いた石の部屋に拘束されていた、数時間かもしれないし数日かもしれない期間の出来事を思い出し、ぶるり、と身震いする。
 メイラは斜めに垂れているブランケットの端をぎゅっと握った。
「真っ暗で、何も見えず、ぽちゃんぽちゃんと水滴の音だけが聞こえていました」
 陛下が励ますようにメイラの手を取る。
 暗闇で足かせに気付いた時の話をすると、ぎゅっと手を握る力が増した。……痛いです。
「水滴の音ですか」
 何かを考えこむマローの表情に、メイラは言葉を止めて小首を傾げた。
 港町なのだから海にも川にも近いはず。水の音など不思議ではないのでは?
「水瓶から水が漏れていたという事もあり得ますが……調べてみましょう」
「あの」
「続けてください」
 にっこりと微笑むマローに促され、ふわっとユリウスの事は避けて、女が来たこと、男たちが居た事を話す。
「ユリウスの報告書にもありましたが、その女の正体が気になります。何か気づかれたことはありますか?」
 何かあるだろうか? 身分が高そうな人だとは思った。どなたかに仕えているのだろうとも。
 あと、微妙に言葉に違和感があった。
 語尾が少しきついあの癖は、東方出身のものかもしれない。
 しかしそんな分かりやすいことは、ユリウスも報告書とやらに上げているだろう。
 メイラは少し考え、思い出した。
「ロザリオが」
 そう、逆光になってその容貌すらよく分からなかったが、彼女の鳩尾のあたりに大きな十字架が下げられていたのは覚えている。
 眩い光を弾いて、奇妙に輝いていた。
 真っ白に。
「白いロザリオでした」
 見た事もないロザリオだった。メイラも修道女として随分長くやってきたので、いろいろな十字架を見てきたが、統一神殿で使われているものとは違うような気がする。
「わかりました」
 かなり重要な情報ではないかと思うのに、マローはあっさりと話を打ち切った。
 まるで、それ以上この事にかかわらせないようにしているようだった。
「そのことはユリウスからも聞いておりますので、大丈夫ですよ」
 それならいいのだが。
 メイラはひとつ頷いて、それ以外に何か思い出せないかと記憶を探ってみたが、もとより身体的にも精神的にも不安定だったという事もあり、役立つ情報を引っ張り出すことはできなかった。
 そのあとについてはさして話すことはない。
 マローと合流し、陛下に助け出されるまでの一連の出来事は割愛でいいだろう。
 ふと、巨大な翼竜から降り立った異母兄のことを思い出した。青の宮まで押しかけてきたハインツ卿に比べると随分と好意的に見えた。
 そうだ、父もここにきているのだ。今更思い出し、どうしているのか知りたくなる。
 聞けば答えてもらえるだろうか。
「話は終わったな?」
 ぼーっとそんなことを考えていると、陛下がブランケットで頭からすっぽりとメイラを包み込んだ。
 まるで、それ以上考えるな……いや、それ以上見るな、とでも言いたげに。
 メイラは改めて、化粧もしていないスッピンで、薄い夜着を着ただけの、とても人様に見せるような姿ではないことを思い出した。髪も軽く梳かしただけ、むしろ陛下にくしゃくしゃにされて見る影もないだろう。
 話しきって達成感すら覚えていたのに、そんな気持ちがみるみるしぼんでしまう。
 こんなみっともない妃で、本当に申し訳ない。
「……疲れたか?」
 ブランケット越しに、背中を撫でられる。
「少し眠るがいい。……夜に備えてな」
 鬱々としていたので、陛下のその台詞は聞き逃してしまった。
 マローが咳払いをして、それを不快そうに陛下が見下ろし何か言っているが、やはりまだ体調が良くないのだろう、体温の高い陛下の温もりに包まれてうとうとしてくる。
 これ以上ないほどの安心感と、心地よい熱。
 今のメイラにとって、そここそが神のおわす楽園だった。
 うとうとしながら、最後に一つ、朧げな記憶が蘇ってくる。
 そうだ、白いロザリオと似たような何かを、見た事がある。
 どこだったか、懸命に思い返そうとするが、記憶はするりと逃れていく。
 そっとベッドに横たえられ、ふわりとした掛布で包まれて。
 メイラはぼんやりと至近距離にある青緑色の双眸に見入った。
「……へいか」
「なんだ、妃よ」
「しろい、しんぞう」
 もはや自分が何を喋っているのか、はたしてそういう夢を見ているのか定かではなくなっていた。
「まっしろな」
 白薔薇宮。
 意識が沈む寸前、何かを問われた気がするが、メイラの記憶はそこで途絶えた。
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

はずれのわたしで、ごめんなさい。

ふまさ
恋愛
 姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。  婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。  こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。  そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

見た目の良すぎる双子の兄を持った妹は、引きこもっている理由を不細工だからと勘違いされていましたが、身内にも誤解されていたようです

珠宮さくら
恋愛
ルベロン国の第1王女として生まれたシャルレーヌは、引きこもっていた。 その理由は、見目の良い両親と双子の兄に劣るどころか。他の腹違いの弟妹たちより、不細工な顔をしているからだと噂されていたが、実際のところは全然違っていたのだが、そんな片割れを心配して、外に出そうとした兄は自分を頼ると思っていた。 それが、全く頼らないことになるどころか。自分の方が残念になってしまう結末になるとは思っていなかった。

私の完璧な婚約者

夏八木アオ
恋愛
完璧な婚約者の隣が息苦しくて、婚約取り消しできないかなぁと思ったことが相手に伝わってしまうすれ違いラブコメです。 ※ちょっとだけ虫が出てくるので気をつけてください(Gではないです)

処理中です...