月誓歌

有須

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修道女、これはきっと夢だと思う

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 まるで子供のようにひょいっと両手を脇に差し込まれ、そのまま陛下の膝の上に舞い戻ってしまった。
 ベッドの上に押し倒されているという、きわめて破廉恥な体勢は回避できたものの、恥ずかしい状態であるという事は確かだ。
 薄い夜着の裾を気にするメイラに、出来るメイドのユリが素早くブランケットを持ってきてくれる。小柄なメイラがひざ掛けにするには大きすぎるが、陛下が端を自身の肩に掛けたので、丁度よく足元まで隠された。
「では話せ」
 メイラの状態が落ち着くのを待って、陛下が低い声で言った。
「簡潔に、用件のみでよい」
 気のせいだろうか、やけに厳しい口調のような気がする。
 不安になって見上げると、優しい視線とぶつかって、毛布で隠れていないほうの手でそっと短い髪を撫でられた。
「この者は謝罪に来たのだ。メルシェイラ」
「……?」
「そなたの髪を」
 きゅっと、軽く毛先を握られて。
「無体にも切り落とした輩の代わりにな」
「そのことでしたら」
 マローからの謝罪はすでに受けている。そう言おうとして、視線の隅で彼女が首を振ったのに気づいた。
「可哀そうに。つらかったであろう?」
 痛まし気に言われて困惑した。
 確かに、玉髪飾りを髪に差せなくなってしまったことは残念だ。しかし髪は伸びるものだという認識があるので、そこまで深刻に考えてはいなかった。
 言われてみれば、貴族の女子にとってありえないことなのだろう。
 しかし思い出してほしい。メイラはそもそも修道女として長くあり、いずれはその職に戻るつもりでいるのだ。
 もともと髪を伸ばしていたのは、修道院の冬越しにどうしてもお金が必要になったときに売るためだった。修道女の髪はたいてい短髪なのだが、ベールをかぶってしまえばその長さはわからない。ここだけの話、メイラと同じ理由で髪を伸ばす修道女は多い。
 短くなってしまった襟足の部分に触れると、陛下は痛まし気に顔をしかめた。
「早く伸びるとよいな」
「……はい」
 メイラには特に髪に関してこだわりがあるわけではなかったが、この国の貴族は男女問わず髪を大切にする。女性が長いのは当然のことながら、陛下のように、男性であっても長髪の者は多い。
 きれいに手入れをして伸ばし、いずれ高値で売り払おうとしていたメイラは、当たり障りなく微笑んで誤魔化した。
 陛下の妃としても、短髪はいささかまずいのだろう。この国で真っ黒の髪を探すのは難しいので、早めに付け髪の手配をしておいた方がいいかもしれない。
「まことユリウスの仕出かしたこと、お詫びの仕様もございません。きつく叱り仕置きをしておきました。御方様もうっ憤をはらしたいのでしたら、お手伝いいたしますが」
 お、お仕置き……いや、うっ憤を晴らすお手伝いって。
 前にも聞かれたが、マローはちょっと過激だと思う。
「あまり強く叱らないであげて」
 どういうお手伝いをしてもらえるのか知りたいような、知りたくないような。
 メイラは、ユリウスにもう一度会ったときに殴りつけてやろうと心に誓っていたことを思い出した。思い出しはしたが、にっこりと微笑むマローと、無言で短い髪を撫で続けている陛下を前にすると言い出せない。
 きっとものすごく恐ろしいことになる予感がしたからだ。
「御方様?」  
 ぼんやりとあの男へのお仕置きを妄想していたメイラは、いぶかし気に呼びかけられて我に返った。
「ああ、ごめんなさい。大丈夫です」
「そうですか? ご気分が優れないようでしたら……」
「いいえ。あの後の事を話してください。酷い事はされませんでしたか? 街はどうなっていますか?」
 子供が泣いていた。妊婦が手荒く扱われていた。
 怪我をした者は出ていないだろうか? 街は平穏を取り戻したのだろうか。
「はい。あの後多少の混乱はありましたが、すでにもう何事もなかったかのように普段通りに戻っています。大きなけが人も出ておりません」
「……そうですか」
 ほっと、安堵の息がこぼれた。
「差し支えなければ、誘拐された日のことをお聞かせいただけませんか?」
 メイラは気づかわし気なマローの顔を見つめた。
 灰色のメイド服を身にまとう姿は、どこから見ても古参の下級メイドである。年齢と灰色のメイド服から推察できるのは、ちょっと裕福な、教育を受けることのできる身分の平民階級出身だ。
 もちろんメイラは、彼女の騎士姿を見ている。どの姿が本当なのかはわからないが、見た目通りの人間だと思ってはいけない。
 もちろん、味方は味方だろう。好意的に扱ってもらった自覚もある。
 かといって、何もかも話して大丈夫な相手だとは判断しきれなかった。
 いや、特に機密事項に抵触するような事を知っている訳ではないのだが。
「ああ、申し遅れました。私は憲兵諜報部に所属しています。お話しいただいたことは、ネメシス師団長閣下に報告いたします」
「何でも話すがよい。情報は宝だ。わたしも、そなたがどういう目にあったのかきちんと知っておきたい」
 ネメシス閣下への報告はともかくとして、こんなふうにがっつり陛下に聞かれながら、私的な、言いたくない事を言えるわけがないではないか。たとえばその……ユリウスとのあれこれとか。
 メイラの逡巡などお見通しなのだろう、マローは少し悪戯っぽく「ふふふ……」と笑った。
「御方様の目で、どのようなことが起こったのか教えてください」
 メイラはへにょり、と眉を下げた。
「たいしたことは覚えていないのです」
 ユリウスを庇うつもりなど毛頭ないが、あのあたりのことはさらっと流してしまおう。
「わたくしは早朝、日が上る前の時刻に後宮近衛の女性騎士たちとともに、後宮内にある小神殿に向かいました。ご存じかとは思いますが、わたくし長らく修道女としてお勤めしておりまして、長く祈りをささげる日々を送って参りました。後宮に上がって以来、その機会はありませんでしたが、バラ園の奥に小神殿があると聞き、一度お参りに行ってみたいと思っていたのです」
「後宮内に小神殿があることは、あまり知られておりません。どなたにお聞きになりましたか?」
「そこにいる、メイドのユリにです。後宮にはいってすぐ、何かの折に聞いたように思います」
「どうしてあの日、つまりは御方様がかどわかされた日に参られることになったのでしょうか」
 ピンポイントでメイラを誘拐しようとしたのなら、彼女が少人数の護衛で小神殿に出かける日は格好のチャンスだっただろう。
 しかし逆を言えば、その数少ない機会を敵は確実についてきたという事になる。
 メイラがあの日、あの朝、小神殿に出かけることを知っている者にしかチャンスを捉えることはできないだろう。
 メイラは少し考えて、どう言えばいいものか迷った。
 まさか、ストレスがたまりすぎて限界だったとは言いにくい。
「……言い換えましょう。あの日に行こうと前々から計画を立てていたとか、誰かに相談したとか、そういうことはございますか?」
 言い淀んでいると、さっとマローのフォローが入る。
「いいえ、特には。これまで機会がなかっただけです」
 言い終えてほっと息を継ぐと、何故か彼女が咎めるような顔をしていたので、不思議に思って小首を傾げると、さりげなく陛下の方を目線で示された。
 首を巡らせて上を見ようとするより先に、がつん、と音が聞こえるほど強い衝撃がした。
 陛下が顎を頭の上に乗せたのだ。
 え? 何? と訝しむと、マローだけではなくユリやシェリーメイまでもが何か言いたげな顔をしている。よくわからないが、護衛の騎士様まで。
 どう言葉にすればいいのかわからず端的に話したのだが、いけなかっただろうか。何かを隠したように思われたのなら心外だ。
「発言をお許しください」
 意を決した様子でその場に両膝を就いたのは、壁際まで戻っていたユリだ。
 両手を胸の前で組み、深く頭を下げている。
「……許す」
 戸惑っていると、グリグリと顎で攻撃を仕掛けていた陛下が低い声で言った。
 どうしてそんなにも不機嫌そうなのか理解できず、メイラの視線がきょろきょろと泳ぐ。
「御方様はそのころひどくお疲れのようでした。第二皇妃殿下の宮に頻繁に招かれておりましたし、後宮内の他のお妃さまやメイドたちとの関係もありました。前々から小神殿に詣でたいというお気持ちはおありでしたが、これまでは控えておられたのです」
「何故、と聞いても?」
「その小神殿はダハート一等神官さまが管理され、頻繁に出入りされているようでしたので」
「一等神官さまですか?」
「……はい。幾人かの後宮近衛の方から、早朝であればご不在だと伺いました」
「ですが、あの場所におられましたよね?」
 そう、何故か普段であれば居るはずのない時刻なのに。
 どう考えても、メイラが参拝すると知っていたからとしか思えず、情報が漏れたのはその周辺からなのだろう。
「ダハートに祝詞を請うたのではないのか?」
「いいえ、まさか!」
 憤懣やるかたないというユリの表情に納得した様子のマローに対し、わかっていない様子の陛下。
 ダハート一等神官は神職であるとはいえ、男性だ。後宮に出入りを許されている男性など、普通は避ける。
「以前も昼の早い時刻にバラ園でお見掛けいたしました。かなりご自由に後宮内を動かれている様子でした」
 陛下はユリのかなり婉曲なその返答に、いまいちピンとこない様子でいたが、しばらくしてメイラの方をじっと見下ろした。
「……ああ、そうか」
 ぽつり、とつぶやかれた
「神官とて男か」
 刺さっていた顎がのけられたかと思うと、すりすりと頬ずりされた。
「そなたのような可憐な小鳥をみれば、男であればつい攫ってみたくもなるであろう。近づかないのは正解だな」
 いや……絶対にないです。
 メイラは恥ずかしがればいいのか、気が遠くなればいいのかわからず、ひきつった表情で周囲からの温い視線に耐えなければならなかった。
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