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 1時間後、フェルミは小舟に乗っていた。暗い海の上、ぽつりぽつりと火が灯る。まるで闇夜が支配する世界のようだ。

「フェルミさん、もう少しこちらに寄って」
「はい」

 狭い船には、フェルミと船長のほか、船員とカインが乗っている。カインは、船長から関係ないやつはくるなと言われていたが、フェルミの護衛だと無理やり乗り込んだ。
 そして、フェルミが海に落ちないようにと、彼に抱えていたのである。

「ものすごく高いんですね」
「落ちたらひとたまりもねぇからな。フェルミさん、ちゃあんと、護衛さんにしがみついておけよ」
「は、はい」

 カインの気持ちに気づいているのか、船長がからかってそう言った。生真面目なフェルミは、ここで落ちたら迷惑がかかって大変だと、船長の言葉通りに、カインにしがみつく。

 カインの胸の鼓動が、やけに速い。彼の体が熱いような気がした。

 実際、カインは気になりだしたフェルミに抱きつかれて、耳が真っ赤になっている。体温も実際に上昇し、ドキドキと早鐘が止まることはなかったのだが、フェルミはそんなカインの様子に気づかなかった。

 寒風吹き荒び、何もかもを飲み込まれそうな中、カインが火を宙に作っていた。それは、大きな薪のように明るいが、炎のような熱さはない。揺らめくろうそくのようなその火が作り出す光と温かさ、そして、体を支えてくれる彼の温もりがフェルミを包んでくれていた。

「フェルミさん、今からあいつらが海藻の一部を引っ張り上げてくる。ここからだと見えにくいが、海藻の端が一メートルの深さまで浮いている。だが、本当に、それだけでいけるのか?」

 小舟に同乗している船員たちが、海に潜る準備をしている。スクリュー本体に近づくよりも容易だが、一瞬の油断が命とりだ。腰にロープをしっかり結んで、船長のGOサインを待っていた。

「はい、ほんの一部。指先に触れるだけで十分です。海藻が絡み合っているのなら、茎が同一でなくても、隣接する葉からもスキルは浸透しますから。ただ、完全に離れていると、効果はありませんので、残っていたら、またそれの端に触れさせていただければ」

 すっかり気持ちを立て直したフェルミがそう言うと、船長が合図をした。ゆっくり海に入った彼の姿は、一瞬で闇に飲まれる。

「大丈夫でしょうか……」

 夜の海が、これほどまでに暗いものだとは思っていなかった。カインが作り出した火がひとつでも消えれば、直ぐ側のカインの顔さえ見えないだろう。

 危険だから朝まで待つと説明した船員の言う通り、夜明けを待ったほうが良かったのだと痛感した。

「彼も海のプロだ。いくら、フェルミさんのスキルが素晴らしくても、勝算が高くなければこんなことしないさ」

 カインがそう言うと、船長が賛同した。ふたりの、ごく自然な態度に、思わず笑顔になる。彼らが側にいるかぎり、安全だろうという安心感が、彼女の胸に余裕を生んだようだ。

「あの、ところで、どうして船長様までこちらに?」

 船長というものは、司令官であり、くに
の王だ。その彼が、最前線に来たことが不思議だった。

「そりゃ、俺が許可した方法で仕事が熟せるか確認するためだ。……というのは建前で。フェルミさんのスキルを見たかっただけだ! いやあ、今を逃せば、一生見れやしないだろう? この目と心に焼き付けて、武勇伝にしてやろうと思ってな」

 がははと、豪快に笑う彼は、まさに海の男という称号が相応しい。
 その声は、頭上の遥か遠く、船の甲板にまで届いた。

「船長ずりぃぞー! 俺だって見たかったのに、横暴だ!」
「俺も見てぇぞ! 職権乱用だぁ!」

 彼と同じ考えの船員たちのブーイングが沸き起こる。なんだなんだと、甲板に出てきた乗客たちが、海を覗き込もうとするが、そこからは闇しかないため何が起こっているのかわからないだろう。

(こんな私に、皆が期待してくれているなんて……)

 船員たちが、乗客たちに、今から対処してみることと伝えると、歓声があがった。やはり、乗客たちは不安でいっぱいだったようだ。

(勇気を出してみて、良かった。精一杯、頑張ろう)

 自分にも、出来ることがあったんだと心の一部にあかりが灯った。それは、とても温かくて、ずっと浸っていたいようなくすぐったさがある。

(カインさんが、いてくれたから)

 ピンチの時に、さりげなく助けてくれた彼、何度も励ましてくれた彼を思い出す。この温もりをくれたのは、カインに違いない。

 だが、フェルミもこういうことをするのが初めてだ。うまくいけばいいが、ダメだったらと思うと呼吸が苦しくなる。

「もしも、ダメだったら……ごめんなさい」
「フェルミさん、何かをするときには、必ず成し遂げると声に出すんだ。悪い結果を考えず、良い結果だけを思ってやるといい」
「そうだぜ、フェルミさん。ダメでもともとなんだ。だがな、カインの言う通り、成せば成るもんさ。信じて、一生懸命やり遂げたやつにだけ、神様は祝福をくださるんだ。何もしないやつには、何にもしてくれねぇよ」

 カインと船長の言葉が、ともすれば小さくしぼみかけるフェルミの心の花を咲かせてくれた。

 海面が揺れ、ざばっと音がした。船員が戻ってきたようだ。その手には、大きな海藻が握られている。

「これの先に、スクリューに絡みついた海藻がある。本当に、これっぽっちでいいのか?」
「はい。こちらに持ってきていただけますか?」
「ああ。危ないから、じっとしてな」
「はい」

 海の中の船員が、腕を伸ばして海藻をフェルミに差し出す。冷たい海水に浸されたそれは、氷のように冷たかった。

「では、いきますね」

 早くしなければ、船員たちが凍えてしまう。フェルミは必死にスキルを発動した。
 瞬く間に、海藻が枯れていく。太い茎すらなくなり、ついていた海水だけがぽたぽた落ちた。

「見事だ……」
「マジ、この人はすげぇ。すごすぎる」

 ほんの数秒で、巨大な海藻がなくなった。船員たちが、スクリュー部分を確認しにいくと、ほんの少しの欠片すら残っていなかった。

「おーい、動く、動くぞ! ガチであの巨大な海藻がなくなっちまってる!」
「おー! じゃあ、これで航海できるんだな!」
「フェルミさんは、我らの、いや、海の女神だったんだ!」

 船員の喜びの叫びは、船全体に波紋を広げ、快挙を成し遂げたフェルミに、船員のみならず、説明を聞いた乗客たちまで彼女に拍手と賛辞を送った。

「フェルミさん、あなたは最高だ!」

 カインも喜び、感謝の意を込めてフェルミの白い手に唇を当てた。ところが、彼女の反応がない。

 いきなり強大なスキルを使ったせいなのか、フェルミは目を閉じていた。

「フェルミさん? フェルミさん!」

 カインがフェルミに必死に呼びかける声すら聞こえないほど、深い眠りについていたのであった。
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