永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✧*。 90─海翔─

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 ………………


 熱いキスをした二日後、仕事帰りに寄った乃蒼の部屋が空っぽになっていた。
 海翔は、驚きはしなかった。
 どこに行ったのかなど、知るはずもない。
 いつか月光との関係に終止符を打つ日が来るだろうと、心のどこかで確信に近いものを抱いていた乃蒼の台詞を借りるならば、“こうなる気がしていた” 。

 縋るようにキスを求めたあと、着替えを済ませた乃蒼は海翔をギュッと抱き寄せて眠った。
 閉じられた瞳からは一向に枯れない切ない涙が次々と溢れ、その雫を舐め取った海翔には、この空っぽになった部屋の方がしっくりきた。
 恐らく乃蒼は、気持ちのリセットのためにこの街を出たのだ。

 物悲しい。
 がらんとした室内さえ泣いているように見えた。


「……誰にも何にも言わなかったんだろうな」


 隙間風が遠慮ナシに通り抜ける、お世辞にも綺麗とは言えないおんぼろアパートの二階。
 乃蒼宅は奥の角部屋だった。
 不用心にも鍵が開いていたため、海翔は中へ入って乃蒼の残り香を探したが……もうどこにもない。
 海翔が日勤終わりにやって来てこの状態なので、荷造りを約一日で終わらせて出て行ったとは、乃蒼はなんと片付け上手で隠し事が上手いのだろう。


「…………乃蒼?」


 玄関で呆然と突っ立っていると、今は聞きたくない声が背後から聞こえた。


「え、はっ? 乃蒼はっ? おい! 乃蒼をどこへやったんだ!」
「………………」


 乃蒼をこの街に居られなくした、無責任でいい加減な張本人のお出ましである。
 空っぽの室内にギョッとしたブラックスーツ姿の月光が、手首のアクセサリーをジャラジャラ鳴らしながら海翔に詰め寄った。
 普段ののんびりとした口調が完全に鳴りを潜めていて、ドタドタと土足のまま部屋へ上がり「どういう事なんだ!」と叫んでいる。


「月光さん、落ち着いて」
「乃蒼はどこ行ったんだよ! あ、実家か!? 実家に居るなら電話を……」
「違います」
「あぁ!?」


 スマホを取り出して実家に連絡しようとした月光の腕を取り、首を振る。
 月光は踏み込んではいけない。
 せっかく前に進むべく自力で考えた乃蒼の苦肉の策が、月光の突発的な行為によって踏みにじられる事は許さない。


「月光さん。 何しに来たんですか」
「何しにって! ……乃蒼の顔見に」
「あなたは本当に懲りない人ですね……」
「うるせぇ! てか乃蒼はどこ行ったんだよ! お前知らねぇの!?」
「知りません」
「チッ、使えねぇ奴!」
「───何ですって?」


 何もかも、こうなった原因を作ったのは月光のはずだ。
 彼にそんな事を言われる筋合いも、舌打ちされるいわれも無い。
 温厚で滅多に怒らない海翔でも、この時ばかりはさすがに頭にきた。


「少なくとも俺は乃蒼を傷付けるような真似はしません。 月光さんから受けた傷口を完全には癒やしてあげられなかった点では「使えねぇ」ですが」


 怒りのまま綺麗な二重で睨み上げると、興奮して暴言を吐いた月光も肩を竦めて怯み、落ち着きを取り戻す。
 ひたむきに乃蒼だけを一途に見守ってきた海翔が、月光の心無い一言にキレるのも無理は無かった。


「…………悪かったよ、言い過ぎた」
「えぇ、反省してください。 月光さん、お子さんは順調ですか?」
「あ? あー……まぁ、順調……らしい」
「良かったです。 ……もう出ましょう。 ここに乃蒼は居ません」


 空っぽなここにいつまでも居てもしょうがないと、海翔は月光の脇を抜けてさっさと部屋を出た。
 乃蒼が決めた事なら、この選択も決して間違いではない。 むしろリセットしたいという本気度合いを見た。
 誰にも何も語らず、傷ついた心と少ない荷物だけを持って姿を消すなど……あまりにも健気である。


「なぁ、マジでどこ行ったか知らねぇの?」
「知りません。 知ってても月光さんには死んでも教えてあげません」
「……乃蒼さぁ、俺のこと着拒してブロックしてマジで避けてやがんの」
「…………当然でしょう。 なんでまだ普通に接してもらえると思っているのか、俺には理解出来ない」
「だって俺と乃蒼は色恋抜きにしても親友には変わりないじゃん……。 おめでとう、って言ってくれたし……」
「あなたは救いようがないですね。 ……それとも何にも考えてない類の馬鹿か」
「お前言ってくれんじゃん~」


 月光を目の前にすると、海翔らしからぬ悪態がするすると口を付いて出た。
 ここに乃蒼が居なくて良かった。
 忘れたい、忘れなければともがく乃蒼の決心を揺らがせてしまう月光の存在など、海翔からしてみれば「不用」の一言しかない。


「乃蒼が戻ってくるかどうかは俺にも分かりません。 月光さん、乃蒼の事は忘れてどうかお幸せに。 ……って、この間も同じ事言った気がします。 二度も言わせないで下さい」
「お~怖~。 なに、お前二重人格?」


 ゴテゴテした月光の改造車を一瞥した海翔は、自身の車のドアに手を掛けた。
 そして、月光だけに向けるには勿体ないほどのひどく美しい笑みを浮かべる。


「そんな事ないですよ。 今も昔もずーっと、あなたの事が気に入らないだけです」


 最後に我慢できなかった思いを吐露した後、月光の仏頂面を背に車に乗り込んだ。







 ねぇ、乃蒼。
 好きだって言葉がまだ言えないのなら、言わなくていい。
 でもせめて、「愛してほしい」って言ってよ。
 その望みだったらすぐにでも叶えてあげられる。
 俺もうパンクしちゃいそうなんだよ。
 乃蒼への愛が溢れて止まらないんだ。
 どれだけ想い続けたと思うの?
 笑ってても、涙を流していても、乃蒼が乃蒼である限り俺は全部抱き締めてあげる。
 かわいそうで可愛い乃蒼を丸ごと、愛してあげる。

 ねぇ、だから教えて。
 どうすれば乃蒼を愛する事ができるの?
 俺には何が足りないの?
 乃蒼が要らないって言うまで与えられるだけの愛量を、俺は持ってるよ?
 ───乃蒼、俺は一途だって言ったでしょう。
 どこに居ても、この空の下のどこかに乃蒼が存在している以上、俺は諦めないよ。
 乃蒼が俺を自惚れさせたんだから。
 好きで居続ける事には慣れてるんだから。
 いつかまた再会した時には、その時は、離さないからね。

 絶対に、離さないから。










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