永遠のクロッカス

須藤慎弥

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✧*。 89─海翔─

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 乃蒼の本心は分からない。
 ただ単に、深い意味もなくあんな事を言ったのかもしれない。
 あらぬ期待を持つと、後でそれが見当違いだと分かった時のショックは計り知れない。

 期待を持ってはダメだと分かっている。
 乃蒼はまだ、次の恋をする気になどならない、それは絶対的だ。

 けれど……。

 海翔が乃蒼を想い続けた月日が長過ぎて。
 乃蒼と月光、二人の背中を後ろから眺めるだけだった日々が重た過ぎて。
 過去の自分が現在の自分を見たらどう思うだろうと考えて、───。
 現実味のない不思議な気持ちを体感した。
 希望を伺わせる言葉に、心臓がトクン、と鳴った。
 恋するドキドキとも違う、正体の分からないまったく知らない感情が湧き上がる。


 ───見てくれるかもしれない。


 乃蒼が、あの乃蒼が、自分の事を意識して胸を焦がしてくれるかもしれない。
 ようやく、海翔は乃蒼の背中を追わなくてもよくなるかもしれない。
 「でもそれが糠喜びだったら……」と、期待と失望が同時に襲ってきて、海翔は乃蒼の指先を握ったまま固まった。


 どうしたらいい。
 これ以上、乃蒼を愛せない。
 今この瞬間にも、与えようにも与えられなかった乃蒼への愛情が海翔の体中に目一杯詰まっているのだ。
 この期に及んでも、完全なる拒絶が怖くて期待が持てない。


 勇気が出ない。


『何も考えないで、俺を見てよ。 愛してあげるから。 乃蒼が欲しがってた愛をたくさん、たくさん、あげるから。 怖がってても前には進めないよ』


 そう言って月光の呪縛から連れ去ってやる事が出来ればいいのに、海翔の脳裏には様々な乃蒼がチラついて苦しかった。
 どれもこれも乃蒼の傍には月光が居て、海翔はその光景に胸を痛めて静かに立ち去る───その切ない日々が、海翔にとっては当たり前だった。
 今まさに、乃蒼の指先を握って華奢な体に覆い被さっているのが自分でも、まだどこか夢の中に居るような錯覚を覚える。

 自惚れるなど、……無理だった。


「乃蒼……そういう事言っちゃダメだよ」
「……なんで」
「とりあえず服持ってくる。 寒いんでしょ?」
「……いい、いらない」
「風邪引くといけないから。 俺のエゴに付き合わせてごめんね」
「エゴ……?」
「……えーっと、乃蒼の寝間着は……」


 海翔は乃蒼から離れ、握っていた指先を手放してやる。
 この一ヶ月何度も泊まったあらゆる物の位置は、大体覚えている。
 ベッドを下りた海翔は勝手知ったるで半透明の四段ボックスの棚の三番目を開け、乃蒼のいつもの寝間着と下着を見繕ってベッドに戻ると、乃蒼はまた芋虫のように布団に包まっていた。
 室内はこんなにも暖かな中。 「そんなに寒いの」と笑ってやりながら、往生際悪く渦巻く自惚れた、自身の想いを打ち消す。


「……海翔」
「ん?」


 布団からちょこんと出た乃蒼の綺麗な顔が全裸の海翔を目で追い、……その瞳が濡れている事に嫌でも気付いた。
 見つめ返すとマズイので、知らん顔で海翔は下着を身に着け、乃蒼宅に置いていたジャージに着替える。
 ベッド脇に腰掛けて、乃蒼にも寝間着を着せてやろうと布団に手を掛けた。


「何?」
「……嫌じゃないなら、……キス、してほしい。 それだけでいいから……」
「………………」


 乃蒼に恋い焦がれてきた海翔には悩殺ものの殺し文句だった。
 もう一度「何?」と聞き返してしまいそうだったが、問えなかった。
 息が詰まる。
 それを強請るのがどんな意味を含んでいるかなど、賢く聡い海翔にも量りかねた。


「……嫌だよな。 ……うん。 ごめん……聞かなかったことにして」
「え、え、あの……乃蒼……? 何言ってるの?」
「ごめんってば。 忘れて」
「乃蒼!」


 固まる海翔に、何を誤解したのかひどく申し訳なさそうに謝ってきた乃蒼は、三度顔まで布団を上げて隠れてしまう。


 ───……っ!


 刹那、海翔は見てしまった。
 隠れる間際の、乃蒼の真っ赤に染まった照れた顔を。
 一度も海翔に向けられた事の無かった、甘酸っぱい想いを滲ませたその表情を、見てしまった。


 ───乃蒼……どうしたらいいの、俺は。 自惚れたくないよ。 こんなに乃蒼の事が大好きなのに、俺は弱虫なんだよ、乃蒼……。


「出ておいで、乃蒼。 ……出てこなきゃキス出来ないよ」


 ……海翔は試してみた。
 これで頑なに出てこなければ、何もしない。 してやれない。
 乃蒼が望む事なら何だってしてあげたいけれど。

 切に願うならば、強引に乃蒼の唇を奪うのは簡単だ。
 しかしそれは、何の意味も成さない。
 海翔は臆病者で弱虫だから。
 報われなかった年月が長かった分、臆病者のレッテルはどんどん巨大になっているから。
 乃蒼が決めてくれなければ、愛してあげられない。


「忘れてって言ったのに……、ッッ!」


 どうするのかと布団を見詰めていると、恐る恐る乃蒼が文句を言いながら出て来た。
 海翔は、乃蒼の顔が布団から完全に出きる前にその唇に噛み付くようなキスをした。


「ふっ……っ、……っ……!」


 ───ねぇ乃蒼。 これが答えでしょ? 俺……自惚れていいんだよね? 今すぐじゃなくていい。 ほんの少しだけでいいから、俺だけを見てよ。 俺のキスで落ちてよ。 愛したいんだよ、乃蒼……。


「乃蒼……俺には乃蒼しか居ない……」
「……っ……んっ……、っ……」


 キスして、と言うわりには乃蒼の舌は怖気付いている。
 顔を傾け、なかなか絡ませてくれない舌を吸って引っ張り上げた。
 苦しそうに眉を顰めたのが見えたが、構っていられない。

 乃蒼がキス嫌いな事を知る海翔には、あのおねだりは乃蒼からの遠回しな意思表示だと結論付けた。
 ファーストキスをした時、「お兄さんならいいかなと思った」……こんな事を言って微笑んでいた乃蒼は、あの頃よりキスが下手だ。
 何度濃厚な口付けを交わしても上達しない。
 キスだけは、海翔は乃蒼に調教しなかったからだ。





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