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しおりを挟む振動が止まったスマホの向こうから聞こえてきたのは、沈んだ月光の声だった。
吉報とは言わないから、せめて「昨日はごめんな~」の言葉を強く強く待っていたのに、月光から発せられた台詞はそれとは違った。
『話があるんだ~』
「………………」
『乃蒼、今から俺ん家……来れる?』
「今からって……」
あの月光が、改まっていた。
月光のマンションに赴いたら、一体何を聞かされるのだ。
光沢のある青い包装紙に包まれたウイスキーボンボンを摘んで眺めている海翔からも驚くべき事を聞かされ、さらなる事実を待っていた身としては気が重過ぎる。
月光の声色からして、決して良い話ではない。
気が重いどころか、今すぐ意識を飛ばして誰も知り合いの居ない場所へワープしたかった。
───行きたくない。 これ以上パニックに陥らすのはやめてくれ。
今すぐなんて無理だと匂わせると、電話の向こうで月光が済まなそうに『ごめん』と謝ってきた。
『迎えに行きたいんだけど、俺飲んでるから……』
「それって今日話さないといけないのか? 明日でも……」
『今日。 今すぐ』
───マジかよ。 そんなに大事な話なのか。
のんびりとした、抜けたような喋り方が鳴りを潜めている時点で、乃蒼の胸騒ぎが的中してしまった事をすでに意味している。
改まった月光の気落ちした声は、ただ事ではない。
「…………分かった。 今から行く」
『……待ってる』
月光の短い返答を聞いてから、乃蒼は静かにスマホをテーブルに置いた。
そして小さくため息を吐く。
一昨日までの充実した幸せな気持ちが、見事に打ち砕かれた。
───えーっと……月光の家までどうやって行けばいいんだっけ。
乃蒼の最寄り駅から電車で三駅、下車したら徒歩で十分もかからない、十九階建ての高級高層マンション。
脳内に描いたそこまでの道のりが、今はやけに遠く感じた。
乃蒼は呆然と、床に敷いた薄茶色のラグの一点を見詰めて数秒固まる。
通話後の乃蒼のおかしな様子をジッと見ていた海翔が、摘んでいたウイスキーボンボンをそっと箱にしまった。
「月光の家に行くの?」
「…………うん。 話……あるみたい。 ……はぁ、……なんでこう嫌な予感って当たんのかな。 絶対良い話じゃない」
眉尻を下げて無理に笑顔を見せたが、海翔は微笑み返してくれなかった。
乃蒼へ真剣な表情を向けて静かに立ち上がり、車の鍵を取り出す。
「……送るよ」
「え、いいよ。 まだ電車動いてるし。 な、なぁ海翔。 俺に告白してくれたの、……本気?」
「うん」
月光の話を聞く前に、告白の返事が宙ぶらりんだった海翔への誠意が先だと思った。
冗談でこんな事を言う人間ではない事くらい、海翔と過ごしたわずかな時間ですでに分かっている。
一途な海翔が想い続けてくれた人物が自分だったとはまだ信じられないけれど、それならば乃蒼に迷いはなかった。
「……返事は、ごめんなさい、……です」
「………………」
乃蒼も立ち上がり、海翔を見上げた。
ノーの返事を受けても、海翔の表情は何一つ変わらない。
そういえばここへ来た時、海翔は「フラれに来た」と言っていた。
海翔の中で、もはや乃蒼からの返事は聞くまでもなく、その覚悟が出来ていたのかもしれない。
乃蒼は神妙にコートを羽織る。
「俺いますごいパニクってる。 月光からはよくない話聞かされそうだし、海翔が実は高校ん時の後輩でその時から好きだったとか……ちょっと情報処理が間に合ってない。 海翔の気持ちが本気なら、俺の答えはひとつしかないから先延ばしにしたくないんだ。 だから……ごめん、なさい……」
「……分かってたから、大丈夫。 乃蒼、月光の家まで送る」
「え、いやマジでいいって……」
「乃蒼パニクってるんでしょ? 違う電車乗っちゃったりしたらどうするの。 帰り、終電なくなってたらどうするの。 必要ないかもしれないけど……心配くらいさせて」
独りで行こうとした乃蒼の腕を捕えた海翔が、「ね?」と、今日初めて綺麗な笑顔を見せてくれた。
有無を言わさない口調に、乃蒼も笑う。
「……優しそうに見えて兄貴肌だよな、海翔」
「実際にお兄ちゃんだからね」
「……ふふ、そっか」
車中はどんよりとしていた。
恐らくよくない話を聞かされに行く乃蒼と、失恋したばかりの海翔は、月光の自宅マンションへの案内以外、余計な会話は一つもしなかった。
これから月光が打ち明けるであろう、さらに乃蒼が傷付く真実を海翔は知っている。
そんな事など露知らず、助手席で浮かない顔をした乃蒼はというと、月光から浮気の謝罪を受けに行く心づもりであった。
乃蒼の想いの果てに、決着が付く日だとも知らずに───。
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