しあわせのカタチ

葉月めいこ

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デキアイ

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 一体どこまで本気なのか。それがよくわからなくてあからさまに警戒をしてしまう。

 広海先輩に気があるとか、俺なんかを可愛いとか言うその人は、あっけらかんとしているけど笑うとやっぱりうさんくさい。
 でもおどけたふりをしているが、多分思うよりもずっと頭がいい人だ。

「ミキちゃん、そんなに警戒しなくても取って食いやしねぇよ」

「まだ信用してません」

 仕事の電話だと広海先輩が席を外してから、九条さんは面白いものを見るみたいな目で俺を見ている。
 すごく居心地が悪くて、なんだか檻の中の珍獣になった気分だ。

 早く先輩、戻ってこないかな。
 落ち着かない気持ちでそわそわしていると、九条さんは俺を見ながらニヤニヤと笑う。

「ミキちゃんはほんと広海が好きなんだな。よくあいつを落としたと思うよ。一筋縄じゃいかねぇだろ。まあ、でもまっすぐに好かれたら悪い気しねぇか」

 ふいに九条さんの視線が流れて、ガラス戸の向こう側にそれは向けられた。
 そこには店の外で電話をしている広海先輩の姿がある。

 その姿を見つめながらゆるりと口の端を上げた九条さんは、少し眩しそうに目を細めた。

「あいつが入社して二、三年くらいかな。電話口でミキちゃんの名前を口にするようになってから性格円くなったぞ」

「え?」

「ツンツンしてんのはいまもだけど、少しずつ落ち着いたっつーか。収まるところに収まったって感じだな」

 俺が先輩の家に押しかけるようになった頃、そんなに違って見えただろうか。
 相変わらず容赦がなくって、結構ぞんざいに扱われていたような気がするが。

 でも随分前に彼の友達が言っていた。
 先輩はお喋りなやつも束縛するやつも嫌いなんだって。お前はまさにそうだから、あいつに振られないように頑張れよって笑われた。

 そう考えたら、広海先輩が俺を傍に置いていてくれること自体、もしかしたら特別だったのかもしれない。
 いるだけで騒がしくて、足元を駆け回る犬みたいにしつこい俺を、文句を呟きながらも撥ねつけはしなかった。

「広海先輩はあんまり言葉にしてくれないから、気付かないことも多いんです」

「ふーん、でもそのうち言わずにはいられなくなるんじゃねぇの? 黙ったままで手に入るものなんてそんなに多くねぇよ。必死にならなきゃ、失うもんはある」

「……先輩が必死になるとこ、想像つかない。俺が、必死すぎるのかな」

「そうか? あいつも必死だと思うぜ。自分で気付いてないかもしんねぇけど、ミキちゃんを繋ぎ止めたいんだろう。よく考えてみろよ。あの歳でマンション買うってかなりの覚悟だって。安い買い物じゃないからな。この先ずっと一緒にいるつもりだろ」

「ずっと、一緒にか」

 俺が思うように、広海先輩もこの先の未来を考えてくれているってこと?
 俺と一緒にいるのが、当たり前に感じてくれているのかな。

 できれば彼に直接聞いてみたい。でも九条さんの言うように、もしかしたら自分でも気付いていないのかもしれない。それでもいまと昔、確かに少しずつ変化している。

 好きだとか愛してるだとか、甘い言葉は言わないけど、俺を自分のものだって言ってくれたし、言葉で傷つけられた時は庇ってくれた。

 自分が選んだのは俺だって、言葉にしてくれたことを考えれば、俺って結構幸せ者なんじゃないか。
 だって相手はあの先輩だよ?
 最初の頃なんかろくに、言葉も交わせなかったくらいなんだから。

「広海先輩を初めて見かけたのは大学のサークル勧誘の人混みの中でした。人があふれている中でもすごく目を惹いて、かっこいい人だなぁって思って近づきたくなった。最初は憧れだったんです」

 でも先輩目当てで入ったサークルには、彼はほとんどいなくて、全然会えないんじゃ意味がないし、辞めようかなとも思ったんだけど。
 辞めたら接点なんて一つもなくなりそうで、辞められなかった。

「たまにサークルに顔見せてくれるその日がラッキーみたいな感じで。ほかの女の子たちみたいにあからさまに喜べなかったけど、そんな些細な日が嬉しかった。そんなくじ引きみたいな日を過ごして、ふと自分の中の違和感に気付いたんです」

 憧れだったはずなのに、彼の隣に知らない誰かがいることに苦しくなってきた。
 友達とは違う特別な誰か。当たり前のように彼の隣に立っている、その人を恨みがましく見てしまうようになっていた。

「ずっと見ているうちに憧れが恋心に変わっちゃったんです。女の人とも男の人とも付き合うっていう広海先輩の噂は、何度か耳にしていたから余計かもしれない。小さくて華奢でキラキラした可愛い女の子じゃないけど、好きになってもいいのかなって。でも先輩の中で俺って言う人間は認識されてなくて」

 決死の覚悟で告白をした時、広海先輩は俺を見上げて首を傾げた。そして訝しげな顔で俺を見つめて、少し煩わしそうに眉を寄せたのを覚えている。

 でもその日から俺は、いままでの大人しさが嘘みたいに広海先輩を追いかけた。
 覚えていないのなら、覚えてもらえるまで彼の視界に入ろうって必死だった。

「告白した時はあんまり俺の気持ちは信じてもらえていなかったけど、サークルだけじゃ会える回数も少ないから、しつこいくらい追いかけ回した。広海先輩は感心のない人には素っ気ないくらいなんだけど、気を許した相手には心の壁が薄くなるんです。一年くらいして、ちょっとずつそれを感じるようになった時はすごく嬉しかった」

 その時にはもう彼は卒業していて、以前ほど傍にいることはできなくなっていたけど、先輩の友達に取り入った。
 彼らが集まる時には必ず呼んでもらって、なにがなんでも広海先輩に会うきっかけを作った。

 連絡先を交換してもらえた時には、飛び上がるくらいに嬉しくて、鬱陶しいくらい毎日メールして。
 その頃から返事はたまにしか来なかったけど。それでも繋がっていられることが幸せだった。

「俺って全然先輩の好みのタイプじゃなかったと思うんです。いつも彼の隣にいる人は、派手さのない穏やかな頭のよさそうな人。綺麗な顔をしていて、彼の隣に並んでも見劣りなんかしない、そんな人ばかりだった」

「好み云々とかそういうの抜きにして、ミキちゃんがいいって思ったんじゃねぇの。ミキちゃんは広海の特別なんだろう。ミキちゃんもっと自分に自信もてよ。あんたは思ってるより愛されてる」

 本当によりどりみどりだったら、お前はここにいない。そう言ったのは先輩だった。
 ほかの誰でもなく俺がいいのだと、彼は確かに俺を選んだんだ。道ばたの石ころみたいな俺を拾い上げてくれた。

 あの人は流されて他人に身体を許す人じゃない。それを思えば、それなりの覚悟をして、俺を受け入れてくれたと言うことだ。

 わかっていたことだけど、改めてそれを実感すると、彼の不器用な愛情を感じる。俺が思っているよりもっと、愛されてるのかな。

「おい、こら。なに人のもん泣かしてんだよ」

「怖い顔すんなよ。まだ泣かしてねぇって」

 ふいに後ろから頭を撫でられた。
 俯いていた顔を上げて慌てて振り返れば、いつの間にか戻っていた広海先輩がいて、不機嫌そうに顔をしかめて九条さんを睨んでいる。

 そんな視線に九条さんは、楽しげに笑って肩をすくめた。

「ちょっと恋愛相談してただけだぜ」

「なにが恋愛相談だ。瑛冶、この男の言葉は当てにすんな。本気の恋愛に関してはてんで駄目なんだ。一年半以上続いた例しがない」

「手厳しいな。けど的外れなことは言わねぇよ」

「もうちょっとまともな恋愛してから言え。あんたの恋愛は愛情過多なんだ。重たくて逃げていくんだよ。普段は吹けば飛びそうなくらい軽いくせに途端に一途になる」

 呆れたような眼差しを向ける広海先輩に、九条さんは少し困ったような表情を浮かべた。その顔を見る限り、どうやら先輩が言うことは本当のようだ。

 でも意外だった。
 自分に自信がありそうで、捉えどころがないくらいの性格なのに、恋愛に不器用だなんてすごく人間くさい。
 必死になって手を伸ばした人いるんだって思ったら、なんだかちょっと見る目が変わった。

「まあ、俺の恋愛が駄目なのはいまに始まったことじゃねぇからな。けど駄目でも少しは学んでるっつーの」

「大いに学んでいい加減、落ち着けよ」

「お前のほうが先に落ち着いちまったな。ミキちゃん大事にしてやれよ。素直だし、一途だし、可愛いし」

「余計なお世話だ。おい、瑛冶。時間はいいのか?」

「え? あ、うん。そろそろ戻らなきゃかな」

 時計を見たら、もうすぐで十三時になるところだった。ゆっくりして来いとは言われたけど、あんまりのんびりしすぎるのも気が引ける。
 もう少し広海先輩の傍にいたいけど、そろそろ職場に戻らなくてはいけない。

「広海、ミキちゃん駅まで送ってこいよ。ミキちゃんまたな」

 席を立ったら、九条さんがひらりと手を振った。にやりと口の端を上げて笑うその顔に、広海先輩はなにも言わずに俺の腕を引く。
 その手に慌てて財布を出そうとしたが、九条さんに追い払うように手を振られた。

 歩き出そうとする先輩の気配を感じて、俺は慌ただしくダウンコートを掴むと、頭を下げて背中を追いかける。

「広海先輩、わざわざすみません。仕事中なのに」

 店を出て来た道を戻っていく。相変わらず静かな住宅街は人がほとんど歩いていない。
 少しくらいくっついてもいいかなと、二人のあいだにある隙間をこっそり埋めた。

 肩が触れ合いそうなほど近づいたけど、それをとがめられることはなかった。

「別に構わねぇよ。うちは仕事さえこなせば時間は自由だからな」

「へぇ、そうなんだ。でも広海先輩が暇そうにしてるの見たことないです」

「それは暇そうにするとあの男が仕事を上載せてくるからだ」

 忌々しそうに、眉間にしわを寄せた広海先輩は口を曲げる。けど先輩も俺と一緒で仕事をするのは好きなんだよな。
 だからつい頑張りすぎてしまう。でもたまには息抜きしないと、俺みたいに煮詰まっては大変だ。

「九条さんってなんか変わった人ですね。捉えどころがない人だなって印象だったけど。なんかさりげなく優しいし、聞き上手だし」

「ほだされんなよ。あれはお前があからさまに反応するから面白がってるだけだ」

「うん、でも、ざわざわして落ち着かなかったのは、あの人が広海先輩に本気になったら、敵わない気がしたからかもしれない」

 多分直感みたいなもの。
 ふざけた感じで笑っていたけど、きっとどこかで先輩に対して、真面目に向き合おうとしたことがあるんじゃないかと思う。

 時折見つめる目はひどく優しかったし、かなり大事にしている感じがした。

「敵うとか敵わないとかじゃねぇだろ。負けてんなよ。あんなのに負けるくらいの感情しかないのか。お前の気持ちはそんなもんか」

「そ、そんなわけないでしょう! 俺は、俺は世界一、広海先輩が好きだよ。この気持ちは誰にも譲れないし、誰にも負けない」

「だったら、そんなこと考えるんじゃねぇよ。お前は他人の感情に引きずられやすいんだ。余計なことに惑わされるな」

「俺は、先輩のことが好きで、好きで、どうしようもないんです。これから先、あなたのいない世界が考えられないくらい。好きなんです。だから時々怖くなる」

 疑っているわけじゃない。この人が俺を裏切ったり、見捨てたりしないことはわかっている。
 でも俺よりもっとふさわしい人が現れたらどうしようと不安になる。

 俺は平凡で、なんの取り柄もなくて、あるのは広海先輩が好きだって気持ちだけ。
 それしかないのに、それさえも負けてしまったらなにも残らなくなる。

「瑛冶、こっちに来い」

 いつの間にか立ち止まっていた俺を、先輩はゆっくりと振り返る。そして手を差し伸ばしてくれた。
 まっすぐにこちらを見つめる黒い瞳に吸い寄せられるように手を重ねたら、優しくその手を握られる。

 ぬくもりに胸を高鳴らせれば、彼は俺の手を引いて歩き出した。
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