16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第11章 ふたりのルイスと魔王2

まずお互いを理解すること 1563年 鹿児島

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〈ルイス・デ・アルメイダ、同宿の人、フランシスコ・ザビエル、忍室和尚と次代の住持、南林寺の住持〉

 凍えるような寒さはまだ続いていたが、降り続いた雪はすっかり止み、陽光が淡い光を地上に注いでいた。冬でも九州の南が温かいというのは、たいへんな読み違いだったようだが、陽光があるとやはり暖かい。
 山のような島を囲む湾の一角に彼は立っている。
 島は桜島で、湾は錦江湾である。

 鹿児島の町でルイス・デ・アルメイダは会っておかねばならない人がいる。それはある意味で、国主の島津氏よりも重要な人だった。
 とはいっても、アルメイダは会ったことがない。今は豊後にいるコスメ・デ・トーレス司祭やファン・フェルナンデス修士は面識がある。その彼らがぜひにと願っていたので、会わなければならないのである。

 その人は玉竜山福昌寺の住持、忍室という人である。フランシスコ・ザビエル一行が日本に上陸して初めて問答をしたのが彼だった。ザビエルがこの地を訪れたときのくだりは第7章に書いたが、忍室個人の詳しいことは述べなかったのでここに書いておく。
 彼が住持を務めていた福昌寺は曹洞宗の寺院で、国主の島津家の菩提寺である。この一帯における大寺院といえるだろう。僧も多く在している。
 忍室は正しくは忍室文勝(にんしつもんしょう)という。ザビエルが島津貴久に紹介されて面会したときも相当な高齢だったが、ザビエルが説く神と主イエス・キリストの話に熱心に耳を傾けた。もともと、曹洞宗は禅宗の一派である。禅宗では師弟の問答を重視するという傾向がある。これを「対話」とみなせばギリシア哲学に通ずる面もあるかもしれない。忍室はザビエルが説く内容に次々と問いを投げかけることができた。結論がひとつにまとまることはなかったが、ソコトラ島でもインドでも、現地の人と積極的に対話してきたザビエルには願ってもない機会だったはずだ。

 ただ、忍室という名の意味を『真理の心』と当時ザビエルは聞いたようだが、それは「認」と「実」ということで教わったのだろうか。
 鹿児島でたくさんの人を信徒にできなかったザビエル一行であるが、忍室との対話は特筆すべき経験として書き残している。

 アルメイダがトーレス司祭やフェルナンデス司祭に聞いた話を思い浮かべながら歩いていると、同宿の人が尋ねる。
「アルメイさま、思案しておられっと?」
 ハッとした様子でアルメイダは旅の伴を見つめる。
「いえ、ただメステレ(ザビエル)一行も3人でしたが、今は私とあなたで二人でしょう。しかもメステレもパードレ(司祭)もいない」
「いや、アルメイさま、そいでよかっちゃろうと思います」
 同宿の人が即座に答えたのにアルメイダは少々驚いた。その様子を見ながら、同宿の人は続ける。
「アルメイさまは名代でございますし、私ども日本人というものをよく知っちょります」
「そうでしょうか。よく知っているでしょうか」とアルメイダは首をかしげてまた考える。

 福昌寺に着くと、若い僧らが丁重に二人を出迎え寺の中へ招き入れられた。そして部屋には高齢の僧が座していた。

 ここでいったん、閑話休題になる。
 このときアルメイダは忍室に会ったと記録に残している。この時は永禄6年(1563)年なのだが、忍室は弘治2年(1556)に逝去しているのである。どうにも辻褄が合わない。しかもその記録は、アルメイダの書いたものをルイス・フロイスが採録したものなのだ。

 アルメイダを福昌寺で迎えた老住持を忍室と思い込んだのか、フロイスがそう思い込んで採録したのか、その辺りは分からない。ただ、忍室が亡くなってしばらく経っていたとしても、当時いた僧が住持となっていて出迎えただろう。そして、アルメイダは「住持」とは忍室のことだと理解したのかもしれない。

 その住持は、ザビエルの訪問時のあらましをよく覚えていた。そして、言葉のやり取りが難しかったがその熱意に打たれたことをアルメイダに語った。言葉のことを語ったのは、アルメイダが日本語を適度に使えたからかもしれない。懐かしいとしきりにつぶやき、天地創造の話に強く引き込まれたのでもう一度その話をしてほしいと頼んだ。アルメイダは神のこと、イエス・キリストの復活までを平易に語った。

 そのようなことで、忍室本人には会えなかったがメステレ(ザビエル)の足跡や、彼の後に続きその場で話ができたことに満足して、アルメイダと同宿の人は再び訪問することを約束し福昌寺を辞した。

 島津の菩提寺で穏やかに会見ができた意義は大きかった。鹿児島にしばらく滞在していたアルメイダは他の寺院からも話をしてもらうように頼まれた。まずは福昌寺の末寺の南林寺で、住持が彼らの訪問を願ってきたのですぐに応じたのだ。この住持は60代のたいへん柔和な雰囲気を持つ人で、キリスト教の宣教師を快く迎えるのに躊躇がなかった。その対話は熱のこもったものになった。勧められるまま、アルメイダは寺に宿泊し夜を徹して語り合い、いよいよ疲れてお互い突っ伏して寝てしまうほどだったという。

 その庫裏には書棚があり、仏教の経典が天井までうずたかく積み上げられていた。アルメイダはその蔵書量に驚いていた。住持はその様子を見て興味深く見ている。そして、仏教というものの長い歴史と教説の多さ、インド・中国から日本へと伝来したいきさつについても、アルメイダに説明した。
 アルメイダを仏教徒にしようとして話そうとしたのではない。同じように宗教と信仰ーー神に仏ということだがーーに仕える者として忌憚なく話したいのであった。そして一通り話が済むと、住持は書棚に積んだ紙の裏に
〈Per signum crucis〉と墨書きした。これは教理問答(カテキズモ)の言葉である。ラテン語で「十字架のみしるしによって」という意味で、アルメイダの帳面に書かれたものを写したのである。

 このように住持もキリスト教の教えに大変興味を持っていたことが窺われるのだが、それはすぐにキリスト教徒になるという意味ではなかった。いわば、「西洋をなす精神的な基盤の学」として捉えていたのだろうと思われる。アルメイダはとうにそのことに気づいている。ただ、宗教の間で対立するのではなく、お互いに尊重、理解し合うことを第一に考える。それはこの旅でさまざまな立場の人に話をして実感したことである。

 特に南林寺の住持の言葉はアルメイダの心を明るくした。

「アルメイダ殿、拙僧は七十の疑問を思い当たり、貴僧とお話するためにそれを書き写しました。さりながら、貴僧がここにおいでになって、拙僧がその疑問の中の3つを貴僧に提出して、最も疑問に思うておりましたところをお尋ね申したところ、貴僧はあたかも拙僧の目の前の濃霧を払いのけられたかのごとく、貴僧のご返答は拙僧を甚だ満足させ、拙僧の理解はほかのすべての疑問に関してもたちまち明らかになり、もうそれを持ち出す必要がなくなりました。
 初めに拙僧に一驚を喫せしめたことは、釈迦の教法の書が七千巻以上もあり、中国で印刷され、それを伝えた天竺(インド)、中国、朝鮮にこれまでいたような重きをなす僧によって校閲吟味され、大層尊重されていたことです。拙僧の知識と判断によれば、これらのものが価値の劣るものとも思われませぬゆえに、一方においてはそれらを信ぜずにおられず、さりながら、他方においては、これをすべてデウス(神)の教えが基づいている道理にかなった根拠の効力と大いなる力に比べれば、それに同意を与えないわけにはまいりません。デウスの教えにこそあらゆる真理の根本と真髄が存すると思われました」
(※1)

 この国にも仏教という大きな基盤がある。それを壊そうとするのではなく、地道に対話をすることが大事なのだ。

 仏教寺院から一定の理解を得たことで、アルメイダはこの地の宣教活動にひとつの方向を得たと感じていた。それを裏付けるように、方々の寺院から訪問の依頼が来るようになった。また、すでに熱心な信徒がいる市来からも再訪の懇願があった。アルメイダと同宿の人には身体がひとつしかないので、順番に回るようにしなければならない。ここまで挙げた他にも法泉寺、恒覚寺などを回ったと記録には記されている。

 1563年のアルメイダはこのように長く薩摩の地に滞在してほうぼうに移動し続けていた。その中では、ポルトガル商人のヴァスが海賊の襲撃を受けて殺されるという痛ましい事件も起こった。
 阿久根からしばらく旅をした人でもあるので、アルメイダはたいへん嘆き悲しんだ。その様子を伝え聞いた島津貴久はインドのイエズス会管区長に宛てた書簡の中で、ヴァスの件に触れている。

 順調に薩摩での宣教が続く中、豊後からトーレス司祭の手紙を託された人が訪れる。

※1 『日本史2』(ルイス・フロイス 東洋文庫)より引用。一部変えています。
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