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第11章 ふたりのルイスと魔王2
雪が積もる南九州 1563年 市来~鹿児島
しおりを挟む〈ルイス・デ・アルメイダ、同宿の人、島津貴久〉
市来(現在の鹿児島県いちき串木野市)を晴れ晴れとした気分で出発したルイス・デ・アルメイダと同宿の人である。そこから鹿児島の町に移動するのだ。
これまで、アルメイダの同行者を同宿(どうじゅく)と呼んでいるが、その名前は不明である。日本人の信徒で、宣教師たちと寝食をともにし活動の手伝いをする人全体の呼称だ。「助手」という方が正しいかもしれない。
ファン・フェルナンデス修士やアルメイダのように、日本語をある程度習得する人はいたが、完璧ではない。それでも一通り話せるのはごく一部だった。多くのポルトガル人やスペイン人宣教師はカタコトの日本語なので、日本人信徒に細かい話を伝えるのは同宿たちだった。今回アルメイダに同宿の人が随伴したのも、そのような実状に即したものである。その名前は分からないが、あえてこれに「人」を付けたのはその献身に敬意を表してのものである。
さて、市来から鹿児島はーーこれまでの旅と比べればーーごくごく近い場所だった。薩摩半島の根元を横切るように、太い往来を抜けていくのだ。道中、アルメイダたちは市来での歓待ぶりを思い、鹿児島でも同様に迎えてもらえると期待を抱かずにはいられなかった。何しろ、メステレ・フランシスコ(・ザビエル)たちが初めて宣教した地なのである。それは仕方のないことだ。
彼らの淡い期待はあっという間にしぼんだ。
鹿児島の町の民はこれまでのどの地よりもそっけないものだった。アルメイダたちの様子は窺っているのだが、目が合うと一様に避けるような仕草をする。薩摩国一の大きな町なのに……とアルメイダは不思議に思って少し考える。そして、ハタと思い当たった。
フェルナンデス修士が話していたことを思い出したのである。ここは確かにメステレの一行が初めて説教をした土地ではあるが、人々の反応は非常に冷淡であったという。フェルナンデス修士はそこに現れた一人の武士、つまりのちのベルナルドの謙虚な態度について熱心に語っていたが、それは冷淡な人々を制してのものだった。ということは、市来とはまた異なる反応を想定しておかなければならない。
アルメイダたちは何より先に、小高い山と麓に広がる鹿児島城を訪問し、薩摩の国主・島津貴久に面会を願い出た。それはすんなりと通り、彼らはだだ広い応接間に通された。アルメイダはすでに城主に挨拶するしきたりを覚えていたので、相手が無礼だと感じるようなことはなかった。
「かつて、メステレ(師)・フランシスコ・ザビエル、パードレ(司祭)・コスメ・デ・トーレス、イルマン(修士)・ファン・フェルナンデスが殿にご挨拶し、キリスト教宣教の許可をいただいたことに改めて深くお礼申し上げます。その後もポルトガル船の寄港をお許しいただき、引き続き今日まで保護をいただいておりますこと、同じ同胞(はらから)として、まことに恐縮至極に感じてございます。その後私ども、なかなか薩摩の地まで訪れることがかなわず、たいへん失礼いたしました。ぜひ今後とも私どもに変わらぬご交誼を賜りますよう、伏してお願い申し上げます」
アルメイダのこの口上には、同宿の人も背後で伏せながら密かに感動を覚えていた。立派な日本語だ。しかもアルメイダはいくらかの小さな献上品とともにトーレス司祭からの書簡をうやうやしく捧げたのである。そして少しキリスト教の教えについて説明した。
島津貴久は終始無表情ながら、悪い気分にはならなかったようだ。異国の人が丁寧な日本語を話しているのは見上げたものだと思ったのかもしれない。実際、坊津(ぼうのつ)の港に停泊しているジャンク船(中国製の船)のことを気遣う言葉も出てきた。
「今年の冬はわっぜ寒か。よう見てきたらよか」
国主にとってはキリスト教より貿易船の方に関心があるようだった。それはアルメイダにも察しがついたので、丁寧にひれ伏して請け負った。
請け負ったのはよかったが、国主みずから「わっぜ寒か」(たいへん寒い)というのがどれほどのものか、想定してはいなかった。薩摩半島を南下するから寒さも和らぐだろうと思ったのは大きな見込み違いだったとアルメイダは思い知ることになる。
雪が降ってきた。
それも、ただの雪ではない。
一晩中雪は降り続けた。
国主から託されたものを途中で渡す役目も引き受けたが、雪は止まなかった。これで鹿児島で2日足止めをくらう羽目になる。アルメイダは空を見てため息をついたが、2日待った後では出発しないわけにはいかなかった。馬を与えられていたが、彼とて雪道走行に慣れているわけではなかった。途中、雪にたびたび馬の脚を取られ、ろくに進まない。坊津はそれこそメステレの一行が上陸した港であるのに、感慨に耽る暇もまったくなかった。この時の積雪はアルメイダの記録によれば、雪かきをしなければ人が歩けないほどだったというので、15~20センチほど積もったのではないだろうか。
結局、坊津にたどり着いたのは3日後のことだった。停泊しているジャンク船のポルトガル人や中国人も雪と寒さに参っていた。病人も出ていた。アルメイダは(外科的なことはできないが)彼らの診察にさっそく取りかかった。病人が出ていることで船の全体が陰鬱な空気に包まれていたが、アルメイダが診察を始めると、そこらかしこに希望が生まれてきたようだ。彼は詳細を記録していないが、人々を懸命に励ましていたことだけは間違いない。
坊津には都合15日滞在したのだが、その間にアルメイダたちは売られた女性たちが閉じ込められている部屋を目にした。後にもあまり公にされることはないが、どこの港でも行われていたこのような光景を目にし、神に仕える者として歯がゆい気持ちになった。
彼はただ、婉曲な表現ではあるが、「イエスやマリアの名を罰当たりな場で呼んだ者から喜捨を受けるように」と言い残して同胞の船を去った。
船でポルトガルやスペインの人々がどんどん世界に出て、アメリカやインド航路を開拓していく。これは地理上の発見とも言われる。しかしそれはあくまでもポルトガルやスペインから見た視点で、他の場所からのものではない。
人を売り買いするというのはどのような視点からなのだろうか。
アルメイダはふっと自分に問いかけた。
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