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第7章 海の巡礼路(日本編) フランシスコ・ザビエル
どのような人も待っている 1551年 マラッカ
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〈フランシスコ・ザビエル、ベルナルド(河邊成道)、アントニオ、マテオ(日本人)ら同行者、ディエゴ・ペレイラ、アントニオ・ゴメス〉
海で駆け足はできないが、そのような気持ちでいたのが効を奏して、アントニオがマレー半島の南端(現在のシンガポール)から先行した小型快速船は12月26日早暁にマラッカに入港した。アントニオはそこから文字通り駆け足で、現地にいるペレス司祭のもとに私の手紙を届けてくれた。ペレス司祭は私が依頼した通り、すぐさまマラッカからインドに向かう最終便の船に出航を待ってもらうように頼んでくれた。また、私たちの船内用の食糧の調達を始めた。
私はアントニオから遅れること1日、マラッカの港を久しぶりに船から見た。要塞は相変わらず堅固で堂々と張り巡らされており、人と船の行き来も多かった。反乱の影響からは脱しているようで安心した。
しかし、薩摩と山口から来たベルナルドやマテオにとっては初めてのポルトガル拠点の訪問になるのに申し訳ないことだった。彼らはマラッカをゆっくりと見ることはできない。すぐさまインド行きの船に乗り換えなければならなかったのだ。
日本を出てからというもの、彼らは心の休まる暇がなかっただろう。
本当ならば1週間ほど静かな環境で霊操(イエズス会における黙想を主とした修練)をしたいと思っていた。それは、これから異国の地で過ごすベルナルドやマテオのためだけでなく、何より自分の心に必要だったのだ。
私は夢見る時期を越えて、ひたすらに祈りたいと願うようになっていた。人々を指導し、宣教し、行く先々の細かい事柄を解決していく。それが嫌だということではない。ただひたすらに祈ることを心が求めていたのだ。それは、これから中国という、キリスト教未踏の地に先陣を切って乗り込んでいく前に、神の御心に添うように心を整えておきたいと思ったからかもしれない。
いや、もっと根源的なものかもしれない。
もうひとつ、マラッカで大きな報せを受けとることができた。ローマのイニゴ(イグナティウス・ロヨラ、イエズス会総長)から手紙が届いていたのだ。
アントニオ、1549年、この時点で2年半ほど前になるだろうか。ゴアの聖パウロ学院の院長にポルトガルから派遣されたアントニオ・ゴメス司祭が着任したことを話した。あなたももちろん知っているだろう。たいへん弁舌に長けていて、説教をすれば聴く人は感動し熱狂するほどだった。しかし、彼は人を国や人種で判断する性向があった。キリスト教、カトリックのしきたりと言語(ポルトガル語は必須だった)を厳格に守らせるのはまだしも、インド人の学生をポルトガル人と分け隔てして、しばしば追い出していた。私には意見を言うことはできても、彼に何かを命じることはできない。
彼は東方での宣教には向いていない。
そのことをイニゴに書き綴っていたのだ。
その返信はマラッカに届いていた。
日本に出発する前にも、マラッカで手紙を受け取ったように記憶しているが、ここは私にとって手紙を受けとる場所なのかもしれない。
イニゴからは、「フランシスコ・ザビエルをイエズス会のインド管区長に任命する」という指示が出されていた。1949年の10月付だった。この発令を持って、私はインド管区長になっていた。そして、それを2年以上、当の本人が知らないままだったのだ。
これが海で隔てられた国の現実というものだろう。
いずれにしても、これからインドに戻る身としては何よりも心強い後押しに違いなかった。
私はイニゴの手紙をしみじみと見返した。発令書としてではない。懐かしい友の書いた手紙として読んでいたのだ。懐かしい文字、懐かしい調子。少しばかりローマの状況が書かれてあった。
教皇パウロ3世が病にかかり心配している。開催したトリエント公会議はいったん休会になっている。カトリックとプロテスタントが同じテーブルにつくことは、なかなか難しいーーということだった。(筆者注 パウロ3世はこの手紙が書かれた直後の11月に世を去った)
特にフランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世(兼スペイン王カルロス1世)の間には常に不穏な空気が流れていたが、フランス王は1547年に逝去し、次代はアンリ2世が就いている。神聖ローマ皇帝は公会議の開催に尽力した一人であるが、国内の分裂には決定的な策を講じられない。そして、離れた領土を治めることにもたいへん苦労していたようだ。
私は神聖ローマ皇帝のことを思った。
ガンディア公フランシスコ・ボルハが皇帝、すなわちスペイン国王に近侍していた話はヴェネツィアのニコラス・コレーリャに聞いていた。そして、皇帝はナヴァーラ王も兼ねている。だからつい、思い出してしまうのだろうか。
私はひとつ、彼に共感していることがあった。
移動し続ける困難を抱えているという点についてである。
ハプスブルグ家とスペイン王家を継いだ彼の領土はあまりにも広大だ。移動するだけでもたいへんな日数がかかる。もちろん、アレクサンドロス大王のように地方行政官を置いているだろうが、治めるだけが仕事ではなかった。不倶戴天の敵、フランス王と始終交戦状態にあったのだから。大きな帝国の支配者であるという満足感より、常にあらゆる問題を片付けねばならないことによる疲労の方がはるかに大きいのではないだろうか。
私も幼い頃はアレクサンドロス大王に憧れていたのだが、今では、「心安らぐ暇がなかったのではないだろうか」と思う。それは東方宣教で各地域をひたすら移動する私の身をもって実感していることだった。
実際、ポルトガルの筋から聞いた話によれば、1548年にネーデルラント17州がスペイン王国(神聖ローマ帝国)、フランスから分離独立することになったという。また、1550年にはアメリカ先住民(インディオ)の地位とインディアス問題に関する審議会を開いている。
アメリカ大陸の一部も皇帝の新たな領土になっていたのだ。
この審議会はアメリカ大陸にもともと住んでいた人を同じ人間だと認めるものだ。それまではそのようになっていなかったから、見直したということである。
これらの話を耳にして、やはり帝国が大きすぎると治めきれるものではないのだと思うばかりだった。
それは程度の違いこそあれ、ポルトガルが拠点を築いている各地でも同じことだった。
神は、どの地域の、どのような人のことも待っておられるのに。
「そのようなものは欲していなかった。決して」と静かに、そして確固として話していたセサルの横顔を私はハッと思い出す。
チェーザレ・ボルジアは、このような帝国の皇帝になることを欲していなかったのだろう。それが完遂できずに終わったことは彼にとって悪いことではなかったのではないかと想像した。それは、セサルと10年近い日々をともに過ごして私が感じていたことだった。
出航までのわずかな時間に考えることはたくさんあった。ペレス司祭からも、手紙以外に受け取ったものが多くあった。特にマラッカを中心にした東南アジアの情勢について長く時間を費やしていた。
もうひとつ、気になったことがあった。
ベルナルドがどこからか聞いてきた話である。
「司祭さま、ポルトガル人の中にはユダヤ人やユダヤ教徒が多いと聞きました。ユダといえば、主イエス・キリストを裏切った人間で、その末裔がユダヤ人だといいます。それで、ヨーロッパでは異端審問所が作られて、改宗したユダヤ教徒に真にキリスト教徒であるか問いただしているそうですね」
ベルナルドは聖書を読んでいるので、その話はよく知っている。しかし、その後のいきさつはたいそう複雑である。スペインやポルトガル本国でのディアスボラ(民族離散)、コンベルソ、あるいはマラーノと呼ばれている人々の実情をベルナルドには話しておいた方がいいと感じた。それでなければ、イベリア半島に着いたとたんに異端審問官になりたいと疑念も持たずに志願してしまうかもしれない。
ただ、一晩や二晩でそれを説明することはできない。私は彼にもっとも大切な、ひとつのことを伝えた。
「神は、どの地域の、どのような人のことも待っておられます」
そう答えながら、私は無性に祈りを捧げたいと、そればかり感じていた。
マラッカに着いて3日後の1551年12月30日、私たちはインド・コーチンに向けて出航した。
海で駆け足はできないが、そのような気持ちでいたのが効を奏して、アントニオがマレー半島の南端(現在のシンガポール)から先行した小型快速船は12月26日早暁にマラッカに入港した。アントニオはそこから文字通り駆け足で、現地にいるペレス司祭のもとに私の手紙を届けてくれた。ペレス司祭は私が依頼した通り、すぐさまマラッカからインドに向かう最終便の船に出航を待ってもらうように頼んでくれた。また、私たちの船内用の食糧の調達を始めた。
私はアントニオから遅れること1日、マラッカの港を久しぶりに船から見た。要塞は相変わらず堅固で堂々と張り巡らされており、人と船の行き来も多かった。反乱の影響からは脱しているようで安心した。
しかし、薩摩と山口から来たベルナルドやマテオにとっては初めてのポルトガル拠点の訪問になるのに申し訳ないことだった。彼らはマラッカをゆっくりと見ることはできない。すぐさまインド行きの船に乗り換えなければならなかったのだ。
日本を出てからというもの、彼らは心の休まる暇がなかっただろう。
本当ならば1週間ほど静かな環境で霊操(イエズス会における黙想を主とした修練)をしたいと思っていた。それは、これから異国の地で過ごすベルナルドやマテオのためだけでなく、何より自分の心に必要だったのだ。
私は夢見る時期を越えて、ひたすらに祈りたいと願うようになっていた。人々を指導し、宣教し、行く先々の細かい事柄を解決していく。それが嫌だということではない。ただひたすらに祈ることを心が求めていたのだ。それは、これから中国という、キリスト教未踏の地に先陣を切って乗り込んでいく前に、神の御心に添うように心を整えておきたいと思ったからかもしれない。
いや、もっと根源的なものかもしれない。
もうひとつ、マラッカで大きな報せを受けとることができた。ローマのイニゴ(イグナティウス・ロヨラ、イエズス会総長)から手紙が届いていたのだ。
アントニオ、1549年、この時点で2年半ほど前になるだろうか。ゴアの聖パウロ学院の院長にポルトガルから派遣されたアントニオ・ゴメス司祭が着任したことを話した。あなたももちろん知っているだろう。たいへん弁舌に長けていて、説教をすれば聴く人は感動し熱狂するほどだった。しかし、彼は人を国や人種で判断する性向があった。キリスト教、カトリックのしきたりと言語(ポルトガル語は必須だった)を厳格に守らせるのはまだしも、インド人の学生をポルトガル人と分け隔てして、しばしば追い出していた。私には意見を言うことはできても、彼に何かを命じることはできない。
彼は東方での宣教には向いていない。
そのことをイニゴに書き綴っていたのだ。
その返信はマラッカに届いていた。
日本に出発する前にも、マラッカで手紙を受け取ったように記憶しているが、ここは私にとって手紙を受けとる場所なのかもしれない。
イニゴからは、「フランシスコ・ザビエルをイエズス会のインド管区長に任命する」という指示が出されていた。1949年の10月付だった。この発令を持って、私はインド管区長になっていた。そして、それを2年以上、当の本人が知らないままだったのだ。
これが海で隔てられた国の現実というものだろう。
いずれにしても、これからインドに戻る身としては何よりも心強い後押しに違いなかった。
私はイニゴの手紙をしみじみと見返した。発令書としてではない。懐かしい友の書いた手紙として読んでいたのだ。懐かしい文字、懐かしい調子。少しばかりローマの状況が書かれてあった。
教皇パウロ3世が病にかかり心配している。開催したトリエント公会議はいったん休会になっている。カトリックとプロテスタントが同じテーブルにつくことは、なかなか難しいーーということだった。(筆者注 パウロ3世はこの手紙が書かれた直後の11月に世を去った)
特にフランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世(兼スペイン王カルロス1世)の間には常に不穏な空気が流れていたが、フランス王は1547年に逝去し、次代はアンリ2世が就いている。神聖ローマ皇帝は公会議の開催に尽力した一人であるが、国内の分裂には決定的な策を講じられない。そして、離れた領土を治めることにもたいへん苦労していたようだ。
私は神聖ローマ皇帝のことを思った。
ガンディア公フランシスコ・ボルハが皇帝、すなわちスペイン国王に近侍していた話はヴェネツィアのニコラス・コレーリャに聞いていた。そして、皇帝はナヴァーラ王も兼ねている。だからつい、思い出してしまうのだろうか。
私はひとつ、彼に共感していることがあった。
移動し続ける困難を抱えているという点についてである。
ハプスブルグ家とスペイン王家を継いだ彼の領土はあまりにも広大だ。移動するだけでもたいへんな日数がかかる。もちろん、アレクサンドロス大王のように地方行政官を置いているだろうが、治めるだけが仕事ではなかった。不倶戴天の敵、フランス王と始終交戦状態にあったのだから。大きな帝国の支配者であるという満足感より、常にあらゆる問題を片付けねばならないことによる疲労の方がはるかに大きいのではないだろうか。
私も幼い頃はアレクサンドロス大王に憧れていたのだが、今では、「心安らぐ暇がなかったのではないだろうか」と思う。それは東方宣教で各地域をひたすら移動する私の身をもって実感していることだった。
実際、ポルトガルの筋から聞いた話によれば、1548年にネーデルラント17州がスペイン王国(神聖ローマ帝国)、フランスから分離独立することになったという。また、1550年にはアメリカ先住民(インディオ)の地位とインディアス問題に関する審議会を開いている。
アメリカ大陸の一部も皇帝の新たな領土になっていたのだ。
この審議会はアメリカ大陸にもともと住んでいた人を同じ人間だと認めるものだ。それまではそのようになっていなかったから、見直したということである。
これらの話を耳にして、やはり帝国が大きすぎると治めきれるものではないのだと思うばかりだった。
それは程度の違いこそあれ、ポルトガルが拠点を築いている各地でも同じことだった。
神は、どの地域の、どのような人のことも待っておられるのに。
「そのようなものは欲していなかった。決して」と静かに、そして確固として話していたセサルの横顔を私はハッと思い出す。
チェーザレ・ボルジアは、このような帝国の皇帝になることを欲していなかったのだろう。それが完遂できずに終わったことは彼にとって悪いことではなかったのではないかと想像した。それは、セサルと10年近い日々をともに過ごして私が感じていたことだった。
出航までのわずかな時間に考えることはたくさんあった。ペレス司祭からも、手紙以外に受け取ったものが多くあった。特にマラッカを中心にした東南アジアの情勢について長く時間を費やしていた。
もうひとつ、気になったことがあった。
ベルナルドがどこからか聞いてきた話である。
「司祭さま、ポルトガル人の中にはユダヤ人やユダヤ教徒が多いと聞きました。ユダといえば、主イエス・キリストを裏切った人間で、その末裔がユダヤ人だといいます。それで、ヨーロッパでは異端審問所が作られて、改宗したユダヤ教徒に真にキリスト教徒であるか問いただしているそうですね」
ベルナルドは聖書を読んでいるので、その話はよく知っている。しかし、その後のいきさつはたいそう複雑である。スペインやポルトガル本国でのディアスボラ(民族離散)、コンベルソ、あるいはマラーノと呼ばれている人々の実情をベルナルドには話しておいた方がいいと感じた。それでなければ、イベリア半島に着いたとたんに異端審問官になりたいと疑念も持たずに志願してしまうかもしれない。
ただ、一晩や二晩でそれを説明することはできない。私は彼にもっとも大切な、ひとつのことを伝えた。
「神は、どの地域の、どのような人のことも待っておられます」
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