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彼女の傷が怖いなら

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 中庭から見上げる空は雲ばかりが低くて、その向こうの空には希釈した宇宙が高々と広がっている。
 夏は深く、冬は浅く。季節によって微妙に色を変える青は、死に物狂いのセミ時雨を除けば案外平和だった。
 何の感情もなく空を仰ぐのは気分がいい。週中に迫った今年の夏休みは、思ったより平和に過ごせそうだ。

「ねね、次はいつもの四人でご飯食べません?」

 中庭のベンチに座って昼食をとっていると、頬にデニッシュ生地を貼りつけた氷雨が覗き込んでくる。
 僕は微かに口角を上げて、薄く剥離はくりした生地を取ってやった。

「それもいいね。戻ったら聞いておくよ」

 応えながら、僕の気分は少しずつ沈んでいった。
 若とはあまり口を聞いていない。僕が氷雨に向けた感情を打ち明ける前に、その関係に気付いてしまったらしい。
 喉に小骨が刺さったような不快感を噛み締めていると、声が降ってきた。

「夜霧くん来て! 若さんと芽衣花ちゃんがケンカしてる!」

 声をなぞると、三階廊下の窓からクラスの女子が僕らを覗き込んでいた。

「それはいつものことじゃないの?」
「違うの、芽衣花ちゃんがビンタしちゃって!」
「それは珍しいけど、若は手を出してないんだろう?」

 「なら大丈夫だよ」と言いかけた僕の手を、冷ややかな手が掴む。
 目線を下げると、真っ直ぐな氷雨の瞳が僕を見つめていた。

「行きましょう。きっと困ってます」
「いつものことなのに?」
「だったらクラスの人、あんな焦ります?」

 言われて少し、考え込む。
 いや、本当は答えなんてとっくに出ていた。だからこれは、一種のパフォーマンスに過ぎない。
 口とは遠く離れた胸の底で、僕は若を避けているのだろう。誰だって、自分の古い写真は見たくないのだから。

「行きましょう。なんか今日のよぎセン、らしくないっス」

 それでも氷雨に腕を引かれて、僕は抵抗しなかった。
 しばらく彼女の後ろを走り、次第に肩を並べで廊下を走った。

「おい、廊下走るな! 何年だお前!」

 曲がり角でぶつかりかけた教師の怒声がお追ってくる。
 僕と氷雨は同時に振り返って叫んだ。

「二年の夜霧です。教室で喧嘩があったので」
「一年氷雨、好きな人ストーカーしてるだけでーす!」
「待て、喧嘩は何組だ!?」
「二の三です。他の先生も呼んで来てください」

 どうせ簡単には収まらない。
 僕はいつも最悪のパターンを想像してしまう。誰にも言わないまま二人の喧嘩に入れば、謹慎処分が下るのは僕と若だ。
 牟田への警戒を怠れない今は、学校から離れるわけにはいかない。
 後ろで教師が何かを叫んでいる。無視して登った三階では騒動の話が広がっているらしく、三組付近の廊下には野次馬が集っていた。
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