64 / 119
死に損ないの六月、折られた傘
3
しおりを挟む
どこか古い映画のコピーみたいな雨音が、ワンルームののっぺりとした静寂を上塗りする。
雨音混じりの息遣いが、やけに大きく鼓膜を撫でる。
「例えば、どんなことっスか」
それを君から聞くのか、と思った。
そんなのはほとんど答えと同じだ。
僕がかけた鎌に対して、探りを入れてくるような。氷雨の言葉は怯えているように聞こえた。
「例えば、そうだな」
僕は一口のグリーンティーで喉を湿らせてから答える。
「いじめとか」
氷雨の表情が一瞬曇る。僕は彼女をまっすぐ見据えて畳みかけた。
「隠すなよ。全部ではないにしても、僕は君の過去を知ってるんだぞ。牟田たちとのことも、君が人殺しを自称するようになった出来事も」
僕だって馬鹿じゃない。
あの話の中で、牟田だけに何のオチもついていないことは理解している。
「それにこれは君だけのことじゃない。先週、僕と若は一年から水風船を投げられた。裏で牟田が作ったものだ」
下校路での取り巻き連中の会話から、牟田の関与はほぼ確実と見ていい。
実行犯の男子たちは、恐らく若に締め上げられるからいいとして。女子である牟田への対処は手つかずだ。若も僕も暴力での解決策を取れない。
代わりに出来ることと言えば、若と共通の後輩に頼んで情報を集めてもらっているくらいのものだ。ただこちらは、脅迫に使える情報が得られる可能性は低い。
お互いの出方を探る沈黙が、微かに震える息遣いで膨らんでいく。
氷雨がふっと短く息を吐いたのは、コップの壁面を水滴がなぞった時のことだった。
「それ、よぎセンが喧嘩売られただけじゃないんスか?」
「じゃあどうして探りを入れたんだ? 心当たりがないなら、最初から否定していいはずだ」
「過去に生きてもろくなことないっスよー。もちょっとナウに生きましょうよ、ナウに!」
からからと乾いた笑いを流しながら、氷雨がシャドーの要領で拳を突き出す。
答えはとっくに出ているようなものだった。僕は眉間を揉んで、溜め息を吐く。
「じゃあ、僕が外にタバコ買いに行くのはナウなことだな」
立ち上がろうとテーブルに突いた手を、氷雨がそっと包み込む。
ゾッとするほどに冷たい。氷細工のような指の細さが、手の甲から伝わってくる。
「ノーなことです。ここにいてください」
跳ね上がった心臓が、爆発的な鼓動を頭に響かせる。
わずらわしい。ぜんぶ愛結晶のせいだ。
きっとこの病には、望む望まないに関わらず、人を愛そうと思わせる効果があるに違いない。
「よぎセン、なんか今日ずっと不機嫌じゃないっスか。学校にも来ないし」
「それはただのサボりだよ」
「そりゃそうなんでしょうけど。心配はします。でもそれも彼女面してるみたいでキモくないかなー、って。アタシも色々考えちゃうし」
それに、と繋げて氷雨は、しばらく僕から目線を逸した。
仄かに赤らんだ頬が、薄暗い部屋の中に浮いていた。
「アタシにだって、誰かに甘えたい日くらい、あります」
調子が狂う。
言葉の一つ一つを、耳じゃない部分で聞いているような気分になる。
それは観覧車で聞いた告白と同じ、湿った声音をしていた。
「こんなこと言うの、センパイだけって言ったら。よぎセンはここにいてくれますか?」
イタズラっぽい顔で氷雨が笑いかけてくる。
「……君の話、もっと詳しく教えてもらうからな」
「よぎセンが尋問してくれるんならいいっスよ~」
挑発的な氷雨の顔を「煩わしい」と思いながらも、僕はその場に腰を下ろしていた。
雨音混じりの息遣いが、やけに大きく鼓膜を撫でる。
「例えば、どんなことっスか」
それを君から聞くのか、と思った。
そんなのはほとんど答えと同じだ。
僕がかけた鎌に対して、探りを入れてくるような。氷雨の言葉は怯えているように聞こえた。
「例えば、そうだな」
僕は一口のグリーンティーで喉を湿らせてから答える。
「いじめとか」
氷雨の表情が一瞬曇る。僕は彼女をまっすぐ見据えて畳みかけた。
「隠すなよ。全部ではないにしても、僕は君の過去を知ってるんだぞ。牟田たちとのことも、君が人殺しを自称するようになった出来事も」
僕だって馬鹿じゃない。
あの話の中で、牟田だけに何のオチもついていないことは理解している。
「それにこれは君だけのことじゃない。先週、僕と若は一年から水風船を投げられた。裏で牟田が作ったものだ」
下校路での取り巻き連中の会話から、牟田の関与はほぼ確実と見ていい。
実行犯の男子たちは、恐らく若に締め上げられるからいいとして。女子である牟田への対処は手つかずだ。若も僕も暴力での解決策を取れない。
代わりに出来ることと言えば、若と共通の後輩に頼んで情報を集めてもらっているくらいのものだ。ただこちらは、脅迫に使える情報が得られる可能性は低い。
お互いの出方を探る沈黙が、微かに震える息遣いで膨らんでいく。
氷雨がふっと短く息を吐いたのは、コップの壁面を水滴がなぞった時のことだった。
「それ、よぎセンが喧嘩売られただけじゃないんスか?」
「じゃあどうして探りを入れたんだ? 心当たりがないなら、最初から否定していいはずだ」
「過去に生きてもろくなことないっスよー。もちょっとナウに生きましょうよ、ナウに!」
からからと乾いた笑いを流しながら、氷雨がシャドーの要領で拳を突き出す。
答えはとっくに出ているようなものだった。僕は眉間を揉んで、溜め息を吐く。
「じゃあ、僕が外にタバコ買いに行くのはナウなことだな」
立ち上がろうとテーブルに突いた手を、氷雨がそっと包み込む。
ゾッとするほどに冷たい。氷細工のような指の細さが、手の甲から伝わってくる。
「ノーなことです。ここにいてください」
跳ね上がった心臓が、爆発的な鼓動を頭に響かせる。
わずらわしい。ぜんぶ愛結晶のせいだ。
きっとこの病には、望む望まないに関わらず、人を愛そうと思わせる効果があるに違いない。
「よぎセン、なんか今日ずっと不機嫌じゃないっスか。学校にも来ないし」
「それはただのサボりだよ」
「そりゃそうなんでしょうけど。心配はします。でもそれも彼女面してるみたいでキモくないかなー、って。アタシも色々考えちゃうし」
それに、と繋げて氷雨は、しばらく僕から目線を逸した。
仄かに赤らんだ頬が、薄暗い部屋の中に浮いていた。
「アタシにだって、誰かに甘えたい日くらい、あります」
調子が狂う。
言葉の一つ一つを、耳じゃない部分で聞いているような気分になる。
それは観覧車で聞いた告白と同じ、湿った声音をしていた。
「こんなこと言うの、センパイだけって言ったら。よぎセンはここにいてくれますか?」
イタズラっぽい顔で氷雨が笑いかけてくる。
「……君の話、もっと詳しく教えてもらうからな」
「よぎセンが尋問してくれるんならいいっスよ~」
挑発的な氷雨の顔を「煩わしい」と思いながらも、僕はその場に腰を下ろしていた。
応援ありがとうございます!
2
お気に入りに追加
15
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる