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第四話 霊媒師は死してのち真実を語る
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私たちが堤達也の自宅を訪問した翌日、御影探偵事務所に来客があった。
それは、誠さんが出かける準備をしていた頃だった。
飼い猫であるミカンは、仕事中の誠さんにまとわりつくのが好きだ。真っ黒な身体を彼のグレーのスーツにこすりつけ、毛をつけて楽しんでいた。
まいったな、と笑う誠さんが、ミカンをたしなめようとした時、事務所のチャイムが鳴ったのだった。
すぐに事務所のドアを開いた私の前に現れたのは、つい昨日知り合ったばかりの若い女性だった。
「あなたは……」
「八戸城菜月です。すみません。急にお訪ねして」
そう言って、菜月さんは申し訳なさそうに肩をすぼめてこうべを垂れた。
緑茶を差し出すと、菜月さんは頭を下げた。向かいには着物姿の誠さんが座っている。
ミカンは誠さんのひざの上に乗って、満足そうに身体を丸めている。仕事の邪魔をしてはいけないと、ミカンを抱き上げようとするが、誠さんは「千鶴さんもいてください」とやんわり言った。
「昨日はありがとうございました。あのような場所に案内させてしまい、つらいことを思い出させてしまったかもしれません」
誠さんが深々と頭を下げるのを見て、菜月さんは「とんでもない」と恐縮する。
「堤先生のことを忘れたくなくて、毎日あの場所へは行ってるんです」
「毎日ですか。大変でしょう」
「いいえ。仕事もありませんし、ひまだけはあるんです」
悲しそうだけれど、自嘲する菜月さんは途方にくれた目を誠さんに向ける。
「正直、どうしたらいいのかわからなくて」
「というと?」
「先生がいないと、何をしたらいいのかわからないんです」
「離婚した後も、清華さんはあの家に?」
少しばかり思案した後、誠さんはそう尋ねた。
「大事なお客様がいらっしゃるときに顔を出されますが、普段はアパートで暮らしてるみたいです」
「それでは、清華さんに相談することもできないのですね?」
「お給料はいただいてます。でも、奥さまはあの家を手放すつもりのようで。来月までにアパートを探すようにと言われました」
仕事も住む家もなくしてしまった。と、菜月さんは悲しげにうつむく。
私はそっと痛む胸に手を当てた。
まるでかつての私を見ているようだった。
頼る者をなくした彼女は明日の過ごし方さえわからなくなっているのだ。藁にもすがる思いで、誠さんを訪ねてきたのかもしれない。
「新しい仕事を見つけるお手伝いならしますよ」
誠さんが優しく声をかけると、その言葉を望んでいたのだろうか、彼女はパッと表情を明るくする。
「先生が生前、困ったら天目に住む男に会いに行くようにと言っていました。やはり、それは御影さんのことだったんですね」
玄関外まで菜月さんを送った私は、私に似た女性に後ろ髪を引かれる思いにかられた。立ち去ろうとする彼女の背中を見つめていたら、声をかけていた。
「駅まで送ります」
菜月さんは驚いたように振り返ったが、素直に受け入れてくれた。
「千鶴さんはおいくつですか?」
駅へ向かいながら、私たちは当たり障りのない会話をする。
「22になりました」
「じゃあ、私とふたつ違い。もちろん私が年上です」
肩をすくめて笑う菜月さんだが、楽しげに口もとをゆるめた。
「年の近い方とこんな風に話すの、久しぶりです」
私がそう言うと、菜月さんは「私も」と同調する。
私たちはどこか似ている。
親近感と言っていいのだろうか。私は菜月さんに興味があって、知りたいと思っている。
そんなことを考えながら菜月さんの横顔を眺めていると、彼女も目を合わせてくる。
「ご主人はおいくつ?」
「29です」
「お若いんですね」
あ、っと驚いた表情をした後、菜月さんはそう言って、さらに続けた。
「堤先生と同い年ぐらいかと思ってました。あんまり落ち着いてる方だから」
「よく釣り合わないって言われます」
「そんなこと……っ」
菜月さんのひたいにしわが寄る。
私がひどく傷ついた顔をしてしまっているのかもしれない。
「羨ましいって思ったんです。千鶴さんだってまだお若いのに、年上の方を射止めるなんて。それに結婚まで。本当に羨ましい……」
「誠さんのおかげです」
「千鶴さんがかわいいからだと思います。私はダメ。先生の奥さまみたいに美人でもないし、性格だって暗くって」
「菜月さん、好きな方がいらっしゃるんですか?」
それも、年上の?
私が気になって尋ねると、彼女は笑みを浮かべるように口もとをゆるめる。
「いた、と言った方がしっくり来ます」
その表情があまりにも苦しげだから、もしかしたら菜月さんは……という思いが、私の中を巡っていった。
私たちが堤達也の自宅を訪問した翌日、御影探偵事務所に来客があった。
それは、誠さんが出かける準備をしていた頃だった。
飼い猫であるミカンは、仕事中の誠さんにまとわりつくのが好きだ。真っ黒な身体を彼のグレーのスーツにこすりつけ、毛をつけて楽しんでいた。
まいったな、と笑う誠さんが、ミカンをたしなめようとした時、事務所のチャイムが鳴ったのだった。
すぐに事務所のドアを開いた私の前に現れたのは、つい昨日知り合ったばかりの若い女性だった。
「あなたは……」
「八戸城菜月です。すみません。急にお訪ねして」
そう言って、菜月さんは申し訳なさそうに肩をすぼめてこうべを垂れた。
緑茶を差し出すと、菜月さんは頭を下げた。向かいには着物姿の誠さんが座っている。
ミカンは誠さんのひざの上に乗って、満足そうに身体を丸めている。仕事の邪魔をしてはいけないと、ミカンを抱き上げようとするが、誠さんは「千鶴さんもいてください」とやんわり言った。
「昨日はありがとうございました。あのような場所に案内させてしまい、つらいことを思い出させてしまったかもしれません」
誠さんが深々と頭を下げるのを見て、菜月さんは「とんでもない」と恐縮する。
「堤先生のことを忘れたくなくて、毎日あの場所へは行ってるんです」
「毎日ですか。大変でしょう」
「いいえ。仕事もありませんし、ひまだけはあるんです」
悲しそうだけれど、自嘲する菜月さんは途方にくれた目を誠さんに向ける。
「正直、どうしたらいいのかわからなくて」
「というと?」
「先生がいないと、何をしたらいいのかわからないんです」
「離婚した後も、清華さんはあの家に?」
少しばかり思案した後、誠さんはそう尋ねた。
「大事なお客様がいらっしゃるときに顔を出されますが、普段はアパートで暮らしてるみたいです」
「それでは、清華さんに相談することもできないのですね?」
「お給料はいただいてます。でも、奥さまはあの家を手放すつもりのようで。来月までにアパートを探すようにと言われました」
仕事も住む家もなくしてしまった。と、菜月さんは悲しげにうつむく。
私はそっと痛む胸に手を当てた。
まるでかつての私を見ているようだった。
頼る者をなくした彼女は明日の過ごし方さえわからなくなっているのだ。藁にもすがる思いで、誠さんを訪ねてきたのかもしれない。
「新しい仕事を見つけるお手伝いならしますよ」
誠さんが優しく声をかけると、その言葉を望んでいたのだろうか、彼女はパッと表情を明るくする。
「先生が生前、困ったら天目に住む男に会いに行くようにと言っていました。やはり、それは御影さんのことだったんですね」
玄関外まで菜月さんを送った私は、私に似た女性に後ろ髪を引かれる思いにかられた。立ち去ろうとする彼女の背中を見つめていたら、声をかけていた。
「駅まで送ります」
菜月さんは驚いたように振り返ったが、素直に受け入れてくれた。
「千鶴さんはおいくつですか?」
駅へ向かいながら、私たちは当たり障りのない会話をする。
「22になりました」
「じゃあ、私とふたつ違い。もちろん私が年上です」
肩をすくめて笑う菜月さんだが、楽しげに口もとをゆるめた。
「年の近い方とこんな風に話すの、久しぶりです」
私がそう言うと、菜月さんは「私も」と同調する。
私たちはどこか似ている。
親近感と言っていいのだろうか。私は菜月さんに興味があって、知りたいと思っている。
そんなことを考えながら菜月さんの横顔を眺めていると、彼女も目を合わせてくる。
「ご主人はおいくつ?」
「29です」
「お若いんですね」
あ、っと驚いた表情をした後、菜月さんはそう言って、さらに続けた。
「堤先生と同い年ぐらいかと思ってました。あんまり落ち着いてる方だから」
「よく釣り合わないって言われます」
「そんなこと……っ」
菜月さんのひたいにしわが寄る。
私がひどく傷ついた顔をしてしまっているのかもしれない。
「羨ましいって思ったんです。千鶴さんだってまだお若いのに、年上の方を射止めるなんて。それに結婚まで。本当に羨ましい……」
「誠さんのおかげです」
「千鶴さんがかわいいからだと思います。私はダメ。先生の奥さまみたいに美人でもないし、性格だって暗くって」
「菜月さん、好きな方がいらっしゃるんですか?」
それも、年上の?
私が気になって尋ねると、彼女は笑みを浮かべるように口もとをゆるめる。
「いた、と言った方がしっくり来ます」
その表情があまりにも苦しげだから、もしかしたら菜月さんは……という思いが、私の中を巡っていった。
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