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第四話 霊媒師は死してのち真実を語る
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座布団に横たえる千鶴さんの髪をなでる。よく眠っている。しかし、時折長いまつ毛が揺れる。
疲れているだろう。ゆっくり休んで欲しいと願いながらも、そろそろ仮眠から目覚めることはわかっている。
彼女は音に敏感で、あまり深い眠りに落ちないタイプだ。少し前に春樹がアルバイトから帰宅した。家の中がほんの少しざわついたことに気づくはずだ。
案の定、離れにある部屋の明かりがついたとき、パチリと勢いよく千鶴さんの目が開いた。
そして、俺が口を開くより先に、彼女が声を発した。
「俺は自殺したことになったんだな」
「……堤先輩」
千鶴さんはゆっくり上体を起こすとあぐらをかく。はだけた裾から白い足が見えて、なんとなく気まずくなって上着をひざにかけてやる。
彼女はにやりと口をゆがませつつ、円卓にひじを乗せてほおづえをつく。
「俺を刺したやつは今頃どんな気分だろうな」
「遺書が決め手だったようですね。なぜそのようなものを書いたんです?」
「ん? まあ、清華と離婚してまいってたんだろうな。書いたことも忘れてたよ」
千鶴さんに取り憑いた堤達也は、後ろ頭を無造作にかく。
「離婚はショックでしたか」
「そりゃあな。清華だけは俺を見捨てないと思ってた。まさか、何も言わずに寛也を連れて出ていくとは思ってなかった」
「お子さんとも突然?」
「夫婦の縁も親子の縁も、こんなに簡単に切れるのかと絶望したよ」
だから遺書なんて書いたんだろうな。と、達也は苦く笑う。
「好き勝手生きてきたわけじゃないでしょう」
「御影くんはそう思うのかもしれないが、奥さんの胸のうちはわからないものさ」
くすりと、自嘲ぎみに笑う達也は、それ以上は触れて欲しくなさそうに目をそらす。
遺書の話を掘り下げられるのは嫌なようだ。本当に気の迷いで書いたのだろう。だから、俺は質問を変えた。
「なぜ後ろから刺されたなんて嘘をついたんですか?」
「嘘をついたつもりじゃなかったのさ。誰かの気配がして振り返ったときには刺されてた。真っ暗でよく見えなかったしね。そのあとのことも無我夢中で、あんまり覚えてない」
「争うこともなく、ですか。あのような山の中であまりにも無防備でしたね」
「まさか刺されるなんて思っちゃいなかった」
とがめられたことが面白くないのか、達也はすねるように唇を尖らせる。
「なぜあのような山へひとりで出かけたんです?」
注意深く表情をうかがうが、達也はずっと微妙にうっすら笑んでいるだけ。
「先輩は誰に刺されたか知ってるんじゃないですか?」
「それはない。ただ、そうだな。俺はそんなに恨まれていたんだろうか。そればかり考えてる」
「恨まれる覚えはなかったと?」
「いや、恨まれてる可能性はあったのかもな」
歯切れの悪い達也は口元をゆがめたまま、なおも微妙な笑みを見せている。
なぜ刺されなければならなかったのか。
堤達也が成仏していないのは、それを知りたいからなのかもしれない。
「先輩を恨む人がいたとしたら、清華さんですね?」
「さあな」
「はぐらかされても困りますよ」
「本当に知らない。清華が俺をどう思ってるかなんてわからないさ」
そうため息をついた達也は、気まずそうに俺を見る。
「あの日のことは知りたいような知りたくないような気分なんだ。でも俺はきっと知りたがってる」
「先輩が納得するまで付き合いますよ」
「御影くんは優しいね。その言葉に甘えて言ってしまおうかな」
そう言って、沈黙する達也を見守った。
達也は何か重要なことを知っている。ただそれは口にしたくないのだろう。それがなぜなのかは、今の俺にはわからない。
「ある人にね」
しばらく続いた沈黙を破って、彼はぽつりとこぼす。
「俺が刺されたあの日。あの山へ出かけたのは、ある人に大事な話があると呼び出されたからなんだ」
「二人きりで話さなければならないような大事な話があったんですね」
「たぶんそうだろうな」
呼び出された理由を達也は知らないようだ。
「ある人とは誰なんです?」
ちらりと達也は俺を見やり、肩をすくめる。
「言いたくない」
あきれてしまう。
真実の追求に怖気付いているのだ。
「先輩はどうしたいんです?」
「それは決まってる。俺を刺したのが〝ある人〟なのか、気になってる。御影くんなら、調べてくれるよね」
達也は苦笑いし、またひとつため息を吐き出した。
座布団に横たえる千鶴さんの髪をなでる。よく眠っている。しかし、時折長いまつ毛が揺れる。
疲れているだろう。ゆっくり休んで欲しいと願いながらも、そろそろ仮眠から目覚めることはわかっている。
彼女は音に敏感で、あまり深い眠りに落ちないタイプだ。少し前に春樹がアルバイトから帰宅した。家の中がほんの少しざわついたことに気づくはずだ。
案の定、離れにある部屋の明かりがついたとき、パチリと勢いよく千鶴さんの目が開いた。
そして、俺が口を開くより先に、彼女が声を発した。
「俺は自殺したことになったんだな」
「……堤先輩」
千鶴さんはゆっくり上体を起こすとあぐらをかく。はだけた裾から白い足が見えて、なんとなく気まずくなって上着をひざにかけてやる。
彼女はにやりと口をゆがませつつ、円卓にひじを乗せてほおづえをつく。
「俺を刺したやつは今頃どんな気分だろうな」
「遺書が決め手だったようですね。なぜそのようなものを書いたんです?」
「ん? まあ、清華と離婚してまいってたんだろうな。書いたことも忘れてたよ」
千鶴さんに取り憑いた堤達也は、後ろ頭を無造作にかく。
「離婚はショックでしたか」
「そりゃあな。清華だけは俺を見捨てないと思ってた。まさか、何も言わずに寛也を連れて出ていくとは思ってなかった」
「お子さんとも突然?」
「夫婦の縁も親子の縁も、こんなに簡単に切れるのかと絶望したよ」
だから遺書なんて書いたんだろうな。と、達也は苦く笑う。
「好き勝手生きてきたわけじゃないでしょう」
「御影くんはそう思うのかもしれないが、奥さんの胸のうちはわからないものさ」
くすりと、自嘲ぎみに笑う達也は、それ以上は触れて欲しくなさそうに目をそらす。
遺書の話を掘り下げられるのは嫌なようだ。本当に気の迷いで書いたのだろう。だから、俺は質問を変えた。
「なぜ後ろから刺されたなんて嘘をついたんですか?」
「嘘をついたつもりじゃなかったのさ。誰かの気配がして振り返ったときには刺されてた。真っ暗でよく見えなかったしね。そのあとのことも無我夢中で、あんまり覚えてない」
「争うこともなく、ですか。あのような山の中であまりにも無防備でしたね」
「まさか刺されるなんて思っちゃいなかった」
とがめられたことが面白くないのか、達也はすねるように唇を尖らせる。
「なぜあのような山へひとりで出かけたんです?」
注意深く表情をうかがうが、達也はずっと微妙にうっすら笑んでいるだけ。
「先輩は誰に刺されたか知ってるんじゃないですか?」
「それはない。ただ、そうだな。俺はそんなに恨まれていたんだろうか。そればかり考えてる」
「恨まれる覚えはなかったと?」
「いや、恨まれてる可能性はあったのかもな」
歯切れの悪い達也は口元をゆがめたまま、なおも微妙な笑みを見せている。
なぜ刺されなければならなかったのか。
堤達也が成仏していないのは、それを知りたいからなのかもしれない。
「先輩を恨む人がいたとしたら、清華さんですね?」
「さあな」
「はぐらかされても困りますよ」
「本当に知らない。清華が俺をどう思ってるかなんてわからないさ」
そうため息をついた達也は、気まずそうに俺を見る。
「あの日のことは知りたいような知りたくないような気分なんだ。でも俺はきっと知りたがってる」
「先輩が納得するまで付き合いますよ」
「御影くんは優しいね。その言葉に甘えて言ってしまおうかな」
そう言って、沈黙する達也を見守った。
達也は何か重要なことを知っている。ただそれは口にしたくないのだろう。それがなぜなのかは、今の俺にはわからない。
「ある人にね」
しばらく続いた沈黙を破って、彼はぽつりとこぼす。
「俺が刺されたあの日。あの山へ出かけたのは、ある人に大事な話があると呼び出されたからなんだ」
「二人きりで話さなければならないような大事な話があったんですね」
「たぶんそうだろうな」
呼び出された理由を達也は知らないようだ。
「ある人とは誰なんです?」
ちらりと達也は俺を見やり、肩をすくめる。
「言いたくない」
あきれてしまう。
真実の追求に怖気付いているのだ。
「先輩はどうしたいんです?」
「それは決まってる。俺を刺したのが〝ある人〟なのか、気になってる。御影くんなら、調べてくれるよね」
達也は苦笑いし、またひとつため息を吐き出した。
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