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第四話 霊媒師は死してのち真実を語る
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蒼白顔で眠り続けた千鶴さんが目覚めたあと、「二度とこのような怖い思いをさせないように気をつけます」と誓った。
そのとき、憑依体質であることを告白していた彼女は、ひどく恥じ入っていた。しかし、俺の言葉に安堵し、気を許すような笑顔を見せてくれた。
彼女の笑顔が俺の中の何かを崩した。そして芽吹かせたものは、信頼だったかもしれない。
廊下の奥の方から、しずしずと歩く足音が聞こえてくる。
珍しい。いつも元気よく走り回っているのに。そんなことを考えながらまぶたを上げた。
「誠さん、起こしちゃいましたか?」
俺の顔をのぞき込む千鶴さんは、柔和に微笑んでいる。
ああ、違う。と、ぼんやり思う。
2月の誕生日に千鶴さんは22歳になった。
着物を身につける彼女を改めて眺める。その着物は俺がプレゼントしたものだ。悩んで決めた柄は、冬生まれにふさわしい、橘が描かれたもの。橘は蜜柑のことでもある。
飼い猫ミカンも連想させるから、彼女はひどく喜んでくれた。
「夢を、見ていたみたいです」
上体を起こし、辺りを見回す。
円卓の上にはクッキーがある。
さっきまでそこに座って、達也と話をしていた。緑茶を飲んで、話に花を咲かせていた。
しかし今は、達也のいた気配は微塵もない。
あの日からもう、3年経ったのだ。それをいまさら夢に見るなんて、と頭をふる。
「コーヒー、飲みますか?」
「そうですね。いただきます」
部屋を出ていった千鶴さんは、すぐにマグカップをお盆に乗せて戻ってきた。
寝起きの俺を覚醒させるにはじゅうぶんな、かぐわしい淹れたてコーヒーの香りが漂う。
あぐらをかく俺の前にひざを折り、マグカップを置きながら千鶴さんは言う。
「どんな夢ですか?」
「お世話になった人の夢をね。夢というより、懐かしい記憶がよみがえったというのかな」
「思い出していたんですね」
「そう。なぜだか急にね。今年も来るだろうか」
5月まであと二カ月ある。
「今年も、というと」
「千鶴さんもご存知でしょう。堤達也のことです」
はじめて俺の前で倒れた千鶴さんは、霊が憑依していると指摘した達也の手によってすぐに除霊が行われ、救われた。
あのときの出来事を、俺たちはあまり口にして来なかった。夫婦となった今だからこそ、憑依体質であることに負い目を感じている千鶴さんの心に踏み込むことができている。当時は到底できなかったことだ。
「もちろんです。堤さんのことは忘れません」
命の恩人です、と千鶴さんは胸に手を当てる。
「何かあれば頼れと言われていたのにね。忘れていたから、夢に出てきたかな」
もう二度と怖い思いをさせないと誓ったのに、あれから幾度も千鶴さんは憑依体験をしている。
「そうじゃないよ、御影くん。ただの虫の知らせってやつじゃないか?」
「え……?」
驚いて目の前の千鶴さんを見つめる。
うっすら笑んでいたはずの彼女は、いつのまにか円卓にひじをついて、にやにやと俺を眺めている。
それは、けっして彼女が取らない態度。
俺はサッと青ざめる。
ふたつのことが脳裏をよぎった。
ひとつはもちろん、千鶴さんが憑依されているということ。そしてもうひとつは、憑依している人物は、俺の知っている男だということ。
「先輩……」
「よく俺だって気づいたな」
さっきまで夢を見ていたからだ。だから気づけた。それを彼は『虫の知らせ』と言った。
「どうして」
「君に会いたくなったからだよ」
「そうじゃなくて」
千鶴さんに堤達也が憑依している。それはすなわち……。
「どうして死んだかって?」
快活に笑ったかと思うと、達也はふと真剣な眼差しを俺に向ける。
「殺されたみたいだな」
「殺されたって、誰にですか」
「さあな。後ろからブスっとやられたみたいでね」
達也はナイフのようなものを両手で握るしぐさをすると、そのまま前に突き出す。
そうやって、達也は何者かに殺された。職業柄、人一倍そういった悪の感情には気をつけていたはずなのに。
にわかには信じられないまま、無言で達也を凝視する。
何も言えないでいる俺がおかしいのか、達也は饒舌になる。
「この身体は妙に心地がいい。取り憑きたくなる霊の気持ちがわかるな」
ぴくりと眉を動かす。
達也はほおやうなじに触れると、胸をスルスルと撫でおろしていく。
もちろん、千鶴さんの手が千鶴さんの身体に触れているだけなのだが、俺の胸はざわざわと音を立てる。
「偕老同穴を約束した夫人に取り憑く俺にひどく憤慨してるね」
達也はますます笑った。生きていた頃とまったく変わらないその口調で。
彼が死んだなんて信じられない。
しかし、信じるしかない。達也の声で話す目の前の彼女は、俺の妻に間違いないのだから。
「この家で飲む新茶を楽しみにしていたのにな」
不意にしんみりとする達也は、マグカップの中をさみしげにのぞき込む。そして俺に向き直り、生真面目な表情で続ける。
「俺を殺した犯人を見つけてくれないか、御影くん」
蒼白顔で眠り続けた千鶴さんが目覚めたあと、「二度とこのような怖い思いをさせないように気をつけます」と誓った。
そのとき、憑依体質であることを告白していた彼女は、ひどく恥じ入っていた。しかし、俺の言葉に安堵し、気を許すような笑顔を見せてくれた。
彼女の笑顔が俺の中の何かを崩した。そして芽吹かせたものは、信頼だったかもしれない。
廊下の奥の方から、しずしずと歩く足音が聞こえてくる。
珍しい。いつも元気よく走り回っているのに。そんなことを考えながらまぶたを上げた。
「誠さん、起こしちゃいましたか?」
俺の顔をのぞき込む千鶴さんは、柔和に微笑んでいる。
ああ、違う。と、ぼんやり思う。
2月の誕生日に千鶴さんは22歳になった。
着物を身につける彼女を改めて眺める。その着物は俺がプレゼントしたものだ。悩んで決めた柄は、冬生まれにふさわしい、橘が描かれたもの。橘は蜜柑のことでもある。
飼い猫ミカンも連想させるから、彼女はひどく喜んでくれた。
「夢を、見ていたみたいです」
上体を起こし、辺りを見回す。
円卓の上にはクッキーがある。
さっきまでそこに座って、達也と話をしていた。緑茶を飲んで、話に花を咲かせていた。
しかし今は、達也のいた気配は微塵もない。
あの日からもう、3年経ったのだ。それをいまさら夢に見るなんて、と頭をふる。
「コーヒー、飲みますか?」
「そうですね。いただきます」
部屋を出ていった千鶴さんは、すぐにマグカップをお盆に乗せて戻ってきた。
寝起きの俺を覚醒させるにはじゅうぶんな、かぐわしい淹れたてコーヒーの香りが漂う。
あぐらをかく俺の前にひざを折り、マグカップを置きながら千鶴さんは言う。
「どんな夢ですか?」
「お世話になった人の夢をね。夢というより、懐かしい記憶がよみがえったというのかな」
「思い出していたんですね」
「そう。なぜだか急にね。今年も来るだろうか」
5月まであと二カ月ある。
「今年も、というと」
「千鶴さんもご存知でしょう。堤達也のことです」
はじめて俺の前で倒れた千鶴さんは、霊が憑依していると指摘した達也の手によってすぐに除霊が行われ、救われた。
あのときの出来事を、俺たちはあまり口にして来なかった。夫婦となった今だからこそ、憑依体質であることに負い目を感じている千鶴さんの心に踏み込むことができている。当時は到底できなかったことだ。
「もちろんです。堤さんのことは忘れません」
命の恩人です、と千鶴さんは胸に手を当てる。
「何かあれば頼れと言われていたのにね。忘れていたから、夢に出てきたかな」
もう二度と怖い思いをさせないと誓ったのに、あれから幾度も千鶴さんは憑依体験をしている。
「そうじゃないよ、御影くん。ただの虫の知らせってやつじゃないか?」
「え……?」
驚いて目の前の千鶴さんを見つめる。
うっすら笑んでいたはずの彼女は、いつのまにか円卓にひじをついて、にやにやと俺を眺めている。
それは、けっして彼女が取らない態度。
俺はサッと青ざめる。
ふたつのことが脳裏をよぎった。
ひとつはもちろん、千鶴さんが憑依されているということ。そしてもうひとつは、憑依している人物は、俺の知っている男だということ。
「先輩……」
「よく俺だって気づいたな」
さっきまで夢を見ていたからだ。だから気づけた。それを彼は『虫の知らせ』と言った。
「どうして」
「君に会いたくなったからだよ」
「そうじゃなくて」
千鶴さんに堤達也が憑依している。それはすなわち……。
「どうして死んだかって?」
快活に笑ったかと思うと、達也はふと真剣な眼差しを俺に向ける。
「殺されたみたいだな」
「殺されたって、誰にですか」
「さあな。後ろからブスっとやられたみたいでね」
達也はナイフのようなものを両手で握るしぐさをすると、そのまま前に突き出す。
そうやって、達也は何者かに殺された。職業柄、人一倍そういった悪の感情には気をつけていたはずなのに。
にわかには信じられないまま、無言で達也を凝視する。
何も言えないでいる俺がおかしいのか、達也は饒舌になる。
「この身体は妙に心地がいい。取り憑きたくなる霊の気持ちがわかるな」
ぴくりと眉を動かす。
達也はほおやうなじに触れると、胸をスルスルと撫でおろしていく。
もちろん、千鶴さんの手が千鶴さんの身体に触れているだけなのだが、俺の胸はざわざわと音を立てる。
「偕老同穴を約束した夫人に取り憑く俺にひどく憤慨してるね」
達也はますます笑った。生きていた頃とまったく変わらないその口調で。
彼が死んだなんて信じられない。
しかし、信じるしかない。達也の声で話す目の前の彼女は、俺の妻に間違いないのだから。
「この家で飲む新茶を楽しみにしていたのにな」
不意にしんみりとする達也は、マグカップの中をさみしげにのぞき込む。そして俺に向き直り、生真面目な表情で続ける。
「俺を殺した犯人を見つけてくれないか、御影くん」
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