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第一話 甘い夫婦生活とはなりません
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「意地のわるい人」
浜辺洋子さんは誠さんにそう言って、黙り込んだ。顔には失望を浮かべている。
それでも誠さんの、一緒に御影探偵事務所へ来てください、という申し出を断りはしなかった。
四人で黙ったまま電車に乗った。
誠さんも、春樹さんも何も言わないから、私も何も尋ねることはできない。
奇妙な気分だった。
私は浜辺洋子さんが嫌いだ。それでもずっと会いたいと願っていた。
そんな複雑な感情が先ほどからずっと続いている。
天目神社前駅の改札を出ると、土産屋の老女とすれ違った。
老女は私たちに気づくと足を止めて振り返ったが、すぐに興味を失ったように天目神社へと入っていった。
老女は誠さんと洋子さんのことを知っていた。
それは二人がここを訪れたのが初めてではないという証拠だろうか。
ゆるく長い坂道を足早に上がっていく誠さんの後ろをついていく。
距離をあけて洋子さんが歩く。その後ろを鋭い目をした春樹さんが、まるで彼女を監視するように続く。
「誠さん、前にも浜辺さんとここへ?」
勇気を出して尋ねてみた。するとようやく、誠さんは歩く速度をゆるめる。
「先週の水曜日、千鶴さんに会って欲しいとお願いしました」
「え、私に?」
なぜ? という思いが脳内を駆け巡る。
「事務所の前まで来たのですが、やはり気が進まないから帰ると言い出しましてね。そのまま流れで彼女と食事をしました」
申し訳なさそうに誠さんは語るが、そうした行動に間違いはなかったという自負を瞳に滲ませている。
「誠さんが浮気をされてるとか、思ったことはありませんから」
本当にそうだろうかと、自信なく答える。
けれど今は、誠さんを信じている思いしかない。だから私はそう答えたのだ。
「心配かけるつもりはありませんでした。こういう仕事をしていると、真実を知ることだけが正義だとは思えなくなります。知らなくてもいいことは確かに存在します」
「浜辺さんのことは知らなくてもいいことなんですね」
「少なくとも千鶴さんにとっては」
誠さんは意外なことを言う。
「でも私に会わせたいって」
「会わせたいのは、千鶴さんの中にいる幸枝さんにです」
「え、お母さん?」
ますます混乱する。
母が私の中にいるとしたら、それは……。
「お母さんが私に憑依してるというのですか?」
誠さんは頼りなく眉を下げて、私の髪をそっとなでる。
「浜辺さんの話を聞けますか? そうすることが幸枝さんのためになります」
「はい」
いつものように私は即答する。
誠さんを信じている。
だから、彼の申し出を拒む理由は何一つない。
それが私にとっての彼への愛情表現だった。
そのことに彼は気づいていないだろう。だからこんなにも申し訳なさそうにする。
私と誠さんは黙って前を向く。ぼんやりと電信柱の薄明かりに照らされた、御影探偵事務所の看板はもう、すぐ目の前だった。
「意地のわるい人」
浜辺洋子さんは誠さんにそう言って、黙り込んだ。顔には失望を浮かべている。
それでも誠さんの、一緒に御影探偵事務所へ来てください、という申し出を断りはしなかった。
四人で黙ったまま電車に乗った。
誠さんも、春樹さんも何も言わないから、私も何も尋ねることはできない。
奇妙な気分だった。
私は浜辺洋子さんが嫌いだ。それでもずっと会いたいと願っていた。
そんな複雑な感情が先ほどからずっと続いている。
天目神社前駅の改札を出ると、土産屋の老女とすれ違った。
老女は私たちに気づくと足を止めて振り返ったが、すぐに興味を失ったように天目神社へと入っていった。
老女は誠さんと洋子さんのことを知っていた。
それは二人がここを訪れたのが初めてではないという証拠だろうか。
ゆるく長い坂道を足早に上がっていく誠さんの後ろをついていく。
距離をあけて洋子さんが歩く。その後ろを鋭い目をした春樹さんが、まるで彼女を監視するように続く。
「誠さん、前にも浜辺さんとここへ?」
勇気を出して尋ねてみた。するとようやく、誠さんは歩く速度をゆるめる。
「先週の水曜日、千鶴さんに会って欲しいとお願いしました」
「え、私に?」
なぜ? という思いが脳内を駆け巡る。
「事務所の前まで来たのですが、やはり気が進まないから帰ると言い出しましてね。そのまま流れで彼女と食事をしました」
申し訳なさそうに誠さんは語るが、そうした行動に間違いはなかったという自負を瞳に滲ませている。
「誠さんが浮気をされてるとか、思ったことはありませんから」
本当にそうだろうかと、自信なく答える。
けれど今は、誠さんを信じている思いしかない。だから私はそう答えたのだ。
「心配かけるつもりはありませんでした。こういう仕事をしていると、真実を知ることだけが正義だとは思えなくなります。知らなくてもいいことは確かに存在します」
「浜辺さんのことは知らなくてもいいことなんですね」
「少なくとも千鶴さんにとっては」
誠さんは意外なことを言う。
「でも私に会わせたいって」
「会わせたいのは、千鶴さんの中にいる幸枝さんにです」
「え、お母さん?」
ますます混乱する。
母が私の中にいるとしたら、それは……。
「お母さんが私に憑依してるというのですか?」
誠さんは頼りなく眉を下げて、私の髪をそっとなでる。
「浜辺さんの話を聞けますか? そうすることが幸枝さんのためになります」
「はい」
いつものように私は即答する。
誠さんを信じている。
だから、彼の申し出を拒む理由は何一つない。
それが私にとっての彼への愛情表現だった。
そのことに彼は気づいていないだろう。だからこんなにも申し訳なさそうにする。
私と誠さんは黙って前を向く。ぼんやりと電信柱の薄明かりに照らされた、御影探偵事務所の看板はもう、すぐ目の前だった。
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